2005年01月27日
『バッドサンタ』を前に無表情にならざるを得なかった理由
『バッドサンタ』は、コーエン兄弟がエグゼクティヴ・プロデューサーを務めています。といっても、そもそも製作総指揮など単なる(イメージ上の)“箔”くらいのものですし、何ら実質性を伴いはしないとも思うのですが、それでもなんとなく彼らの“テイスト”が表れていはしまいかなどと思ってしまう辺り、私の小市民的態度が如実に表れていて嫌になります。まぁそれは置くとしても、今調べてみたところ、今回のコーエン兄弟はオリジナルの脚本に手を入れて実際にコーエンテイストを反映させたらしく、その上からさらに監督自身が手を入れたとのこと。
さて、その上で本作の感想を述べれば、「ふ〜ん、そうだったんだ…」くらいのもの。結論を言えば、『バッドサンタ』をほとんど楽しむことが出来ませんでした。無論、感動なども…観る前の漠たる期待も潰えた、ということになります。
本作を観た上で考えてみたいのは、映画における“コード”に関してです。“コード”、つまり“約束事”ですが、それを規定するのは一先ず“文化”ということになるでしょう。一言で“文化”と言っても、そこには様々な要素が含まれてしまうものですが、中でも極端な差異が表れやすいものとして“宗教”が挙げられると思うのです。
『バッドサンタ』は文字通り“悪いサンタクロース”の話ですから、物語の舞台は必然的にクリスマスである12月25日周辺に設定されています。クリスマスといえばキリスト教、という概念は現代の日本人に薄れつつあるのかもしれませんが、全国民の8割以上がキリスト教徒であるアメリカにおいて、クリスマスはやはり重要なイベントであることは違いないのです。
『バッドサンタ』に私が乗れなかった、というよりどちらかというと、特筆すべき感情の揺れをいささかも感じなかったのは、私がキリスト教徒ではないからでしょうか。ある意味「YES」だと言えます。本来あるべき姿とは間逆のサンタクロースの存在がこの映画の肝であり、クリスマスという特別なイベントを舞台に彼がどのように変化するのかが主題であるにもかかわらず、その「クリスマスの重要性」を真に理解できない私が、本作にちりばめられた種々の“コード”に気づくことも、それを楽しむことも出来ないのも当然だ、と。プロテスタント福音派の勢力が増し、保守性を強めつつあるアメリカでは、このスキャンダラスな映画の配給をディズニーが拒否し、観客の反応も真っ二つに割れるほどある意味で物議を醸したようですが、それを聞いたところで、やはり私には「ふ〜ん」としか思えないのも、私がキリスト教徒では無いからだと言うことが出来るのかもしれませんし、事実、そう思う部分もあります。
しかしながら一方で思うのは、これまで私が好きだったり嫌いだったりした映画における“コード”群には、文化の違いなど当たり前のように軽々とを飛び超えて理解した(気になるような)ものの方が圧倒的に多かったのではないか、ということです。西部開拓者時代など経験していない私にも西部劇を心から楽しむことが出来るように、カンフー映画も、ホラー映画も、遠い異国のラブロマンスですらも、そこに渦巻く“コード”を読み取ってきたではないか、と。そのように考えると、宗教の違いだけを理由にすることが躊躇われてきます。やはり、作品の出来そのものに乗れなかっただけなのかもしれません。
コメディを土台にやや心温まる結末で締めくくるという意味では、先日観た『ふたりにクギづけ』と同様な構造だとも言えますが、『バッドサンタ』における最大の問題は、たった1シーンにしか笑えなかったことです。確かにビリー・ボブ・ソーントンははまり役だったと言えるでしょう。サンタらしかぬ暴言の数々を吐く台詞回しも、相棒である小人俳優トニー・コックスの、ホドロフスキー映画から出てきたような道化ぶりも決して悪くはなかった。しかし、テリー・ツワイゴフ自らが発言しているように、その台詞の“ニュアンス”を一番大事にしている本作は、英語圏に暮らす(あるいは英語をネイティブレベルで操れる)人でなければ理解されづらい、つまり、その面白さが伝わりづらいのかもしれません。事実、私が唯一笑えたシーンも、台詞にではなくそのアクション(ボクシングのリングにおいて、3人が股間をパンチしあう場面)にだったのですから。
これまでコーエン兄弟の映画には比較的“笑えた”私ですが、本作にはほとんど“笑えな”かった。ここで、映画とは脚本だけが重要なのではなく、カメラ、照明、音楽その他から成り立つ“総合芸術”なのだという当たり前の事実を思い出し、先日『ふたりにクギづけ』の文章にも書いたとおり、やはりコメディは最終的には笑えなければならないのだという思いを一段と強めたのです。
2005年01月27日 12:51 | 邦題:は行
Excerpt: これは・・・ビリー・ボブが適役と言える映画。なぜ主役候補がいっぱいいて、ころころ変わったのかも信じられないくらいだ。 映画の中は汚い言葉のオンパレード。スケベ親父とちっちゃい人。仕事中に小便漏らしたりするもんだから、強盗の方も大丈夫なのかよ、と余計...
From: ネタバレ映画館
Date: 2005.01.28
>Billyさま
コメントありがとうございます。
ビリー・ボブ・ソーントンだけに関して言うなら、期待を大きく裏切られはしないと思います。笑いのツボは人それぞれでしょうから、Billyさんにはもしかしたらハマるかもしれません。
『Ray』は気になる映画ではあります。
レイ・チャールズその人に対する思い入れはほとんど無いに等しいのですが、それでも小学生の時に聞いた「We are the world」の中の彼は今でも記憶の奥底に残っております。あの曲中の彼とスティーヴィー・ワンダーの自由な歌い方には、子供の私を驚かせるほどのソウルが漲っていました。
『Ray』の評判も良いので、機会があれば観に行きたいと思います。
Posted by: [M] : 2005年01月31日 09:32
こんにちわ。僕もこれ結構期待してたんですが、イマイチでしたか。僕はビリー・ボブが好きなので彼がよければそれでいいのですが、感想を読む限り、例え彼のよさが出ていてもカバーできない映画としての不足があるのでしょうね、きっと。
こないだ『Ray』で久々に映画鑑賞を満喫しました。荒が相当目立つ映画ですが、ジェイミー・フォックスの演技はハマっているというより、レイ・チャールズその人でした。凄かった。
ではでは。
Posted by: Billy : 2005年01月30日 21:43
>Puffさま
どうもどうも。
いやぁ期待はしてたんですけどねぇ。私が鈍感なだけなのかもしれませんし、私こそ非常に俗物的だと思いますが。
笑いのポイントがあわなかったということですよ。
ビル・マーレイのほうも観てみたかった気がします。。。
Posted by: [M] : 2005年01月27日 19:53
はろーーん
そっかー、Mさん的にはイマイチでしたか。
いやはや、ワタクシは俗物人間なものですから
あちらこちらで、クスクス笑っておりました。アセアセ
笑いと言っても、失笑に近かったかな。
当初の予定はビル・マーレイだったそうだけれど
この映画の場合はビリー・ボブ・ソーントンで正解でしたよね。
んんっ、Mさんのレヴューを読んで
つくづく己の俗物さに呆れ果てるのでした・・・・・・
Posted by: Puff : 2005年01月27日 19:22