2005年01月24日

カイエ週間〜『トルチュ島に漂流した人たち』

トルチュ島に漂流した人たち昨日に続いて、“幸福な週末”の続きを。
日曜日は東京日仏学院で開催されている「カイエ週間」に行ってきました。非常に貴重な作品を観たので、それについてもやはり多少は触れておかねばならないでしょう。

『clean』以来2度目の東京日仏学院には、上映の30分前くらいに到着しました。前回ほどの混雑は流石にないだろうと高を括っていましたが、30年ぶりのジャック・ロジエをみすみす見逃すまいと考えている映画好きはやはり多く、同時通訳での上映ということもあってか、会場は満席でした。

『トルチュ島に漂流した人たち』は1974年に撮られたフランス映画で、昨年フランスでリバイバルされ再評価されたようです。今回の「カイエ週間」でも私が一番注目していた作品でしたが、同時通訳というなれない環境を差し引いても、予想以上に途方も無い作品であったと言えるでしょう。フランス映画が持つ“貧しい”イメージなどこの作品を前にたちどころに雲散霧消するだろうと思わせるほどに、出鱈目な笑いがあり、そしてまたドキュメンタリー性(それを今起こりつつある事件だと換言してもいいのですが)がある。『アデュー・フィリピーヌ』といい本作といい、どうしてこのような作品が正式に公開されなかったのかが全くわからなくなり、その意味で、東京日仏学院の10年にわたる一貫した努力は、間違いなく賞賛に値すると言えましょう。

無人島(夢)へのポジティヴな思いと、無謀な計画が故の停滞。その2つはぎこちなく、ということは、決して上手く按配されることがなくどことなくぶっきらぼうに投げ出され、半ば強引に収束されています。この一見場当たり的“ぶっきらぼうさ”は、主人公ピエール・リシャールが演じるジャン=アルチュール・ボナバンチュールのそれに重なります。彼の振る舞いは、唐突で、出鱈目で、観ているこちらを当惑させもしますが、そこに漂うユーモア(ほとんどギャグと言えます)が何とも心地よく、それ故か透明な印象を齎してくれます。『アデュー・フィリピーヌ』の後半に唐突に顔を出す、あのイタリア人のような途方もない存在が、本作にも登場します。船の持ち主であるその黒人は、神出鬼没に画面に現れては、奇妙なリズムで歌うのです。物語が円滑に進もうとするのを監督自身が逐一阻んでいくような映画。もちろん、この映画に監督のメッセージなどを読み取ろうとしても徒労に終わるでしょう。もはやジャンルからも遠くはなれ、決して分かりにくいわけではない物語であるにもかかわらず、かなり孤立した存在感を放っているのです。何処が演出で何処が即興か、それすらわからなくなります。つまり、現実と虚構の境界線すらひたすら曖昧に宙に舞っていくかのようです。

この映画をどのように受けとめればいいのか。出来の良し悪しの問題ではもちろんなく、あの冒頭の絵画を、あのベッドでの会話を、あのジャングルでの彷徨を、あの朝の光を、あの海の青さを、そして、人を喰ったようなあの展開を……確かなことは、本作を観ながらその不意打ちのギャグに私は笑い、不意打ちの景色に感動し、不意打ちのラストにもう一度観たいと願ったということです。ほとんど過激にそれだけで充分だと納得させる『トルチュ島に漂流する人たち』は、生半可な映画では対抗できない程の途轍もない存在感を、私に植え付けたのでした。

2005年01月24日 21:51 | 邦題:た行
TrackBack URL for this entry:
http://www.cinemabourg.com/mt/mt-tb.cgi/154
Trackback
Title: ストローブ=ユイレと青山真治をハシゴ
Excerpt: 〈日仏学院〉で≪第10回カイエ・デュ・シネマ週間≫。 14:30の回、ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレの『ルーブル美術館への訪問』(2004)を観ました。まるで、教育番組のようなタイトルですねえ。ボクとしてはソクーロフの『エルミタージュ幻想』のよ...
From: 秋日和のカロリー軒
Date: 2005.01.25
Comments

>こヴィさま

どうもです。寒い中駆けつけた甲斐はありました。
『アデュー〜』と同じ空気感が漂う怪作でしたよ。
何年後かにまた奇跡的に公開されるといいんですけどね・・・


Posted by: [M] : 2005年01月28日 12:02

あーーーーっ、やっぱり行かれたのですね!
昨年『アデュー・〜』の衝撃を体験したひとりとしては、やっぱり、観たかったっす。


Posted by: こヴィ : 2005年01月28日 02:33

秋日和さま

度々ありがとうございました。
ゴダールはそれなりに観ておりますが、『軽蔑』以外で彼に“共感”したことは多分一度もありません。ただし、それと作品の評価とはまた別だという認識も一方でありまして。
彼の発言等も全く知らないわけではないのですが、あの人は自分を「GOD」とか言う人ですからね。話半分で聞くというスタンスは今後も変わらないとは思います。その作品同様、ほとんど苦笑するしかないジョークが好きな人かもしれませんね。

個人的には、これまでのいくつかの作品を観る限り、彼はやはり喜劇の人だと思うところがあるんです。その視点に立てば、やはり彼は壊れてはいないだろうと思うのです。

ストローブ=ユイレにおける“ぶれのなさ”に関しては、やはり観た上で具体的に考えてみたいと思っています。

長い割りにわかりづらい文章ですみません。


Posted by: [M] : 2005年01月26日 12:48

度々おじゃまします。
『JLG映画史』を観たときに、ボクが感じたのは、結局、「俺がいちばん凄い」って云ってるように思えたのです。そして、「ゴダール全評論・全発言」の何巻かで「俺は映画を追いかけない、映画が俺についてきてるだけだ」といい放ち、「俺程の人間なら傲慢でいいのだ」と云ってて、思わず「おっしゃるとおり!」と手を叩いてしまいました。でも、ずっと人の悪口ばっかで矛盾することばっかり云っていて、それで魅力的なんだから、こ、この人、絶対正しくないけど、面白すぎる!と思ったのです。
ストローブ=ユイレは真逆で、1ミリたりともブレないところが異常だとおもいます。


Posted by: 秋日和 : 2005年01月26日 01:36

コメントありがとうございます。
私はシネフィルではありませんから、ストローブ=ユイレを一本も観たことがありませんが、少なくともゴダールは決して“壊れて”はいないと思いますよ。まぁ私も新作が“壊れて”いたかどうかは観ていないのでわからないんですけど。逆に、ストローブ=ユイレの生産性はどのようなところにあるのでしょうか。ちょうどDVDが出る(出た)らしいので『アメリカ』あたりから観ようと思っています。


Posted by: [M] : 2005年01月25日 23:29

ボクはストローブ=ユイレの『ルーブル美術館への訪問』を見ました。教育テレビみたいな題名なのに中身は相変わらずぶっ飛んでました。ぶっ飛んでるのに壊れてないっていうのが、ストローブ=ユイレの特徴だとおもいます。ゴダールは完全にこわれてますからねえ。


Posted by: 秋日和 : 2005年01月25日 19:22
Post a comment









Remember personal info?