2004年05月26日

『ぼくの小さな恋人たち』、何故こうも美しいのか…

青山真治氏をして“ 非妥協・非転向の作家”と言わしめたジャン・ユスターシュが1974年に撮った作品です。ル・コルビュジェが建てた住宅群があることでも知られるフランスの田舎・ペサックを舞台にしていますが、その長閑な舞台から予想されるノスタルジックな 印象など実はあまりなくて、それよりなにより興味を抱いたのは、主人公・ダニエルが歩く速度、というか歩くシーンそのものがすばらしく、数回出てくるこの歩くシーンを見た瞬間、『カノン』のフィリップ・ナオンを思い出さずにはいられませんでした。早くもゆっくりでもなく、本当に絶妙としか言いようのない速度を保ちながら、ダニエルが歩くシーンが数シーン出てくるのですが、『カノン』におけるような“独善的モノローグ”が歩行に重なることで、彼の強い意志、というかほとんど不条理なエゴイズムを印象付けたのに対し、本作において、ダニエルの目線はどこを見ているのかもわからず、無論歩いているのだから前を向いているのでしょ うが、果たして未来を見ているのか、過去を思い出しているのか、もしくは、目の前の女の子を見ているだけなのかまったくわからず、だとするなら、一連の歩行シーンに感動したのは、彼の歩行という運動そのものに惹かれていたのだということになります。

もうひとつ印象的だった箇所、それは、ダニエルが少しだけ成長し、言い換えれば大人になって、離れていた故郷に戻るところで映画は終わるのですが、ラストシーンで、ダニエルは友達だった女の子に再会し、嘗てのように無邪気さを装ってその女の子と遊ぶのですが、このとき、大人になってしまったダニエルがその女の子の胸に触る瞬間の表情が画面に映ったとき、その不意打ちの美しさに非常に感動しました。明らかに行き過ぎた行為をしてしまったダニエルの表情に刻まれた諦念は、そのまま本作全体に纏いつくトーンに他ならなか ったのです。だからこの映画は決してノスタルジックな青春映画なのではなく、ついに女性を嫌悪の、と言って悪ければ、性の対象として見てしまうことになる少年の、残酷な未来と憂いとを捉えた、極めて陰鬱な映画です。アルチュール・ランボーの詩から引用されたタイトルもそれを示唆しているかと。だからと言って、その事実は『ぼくの小さな子供たち』の価値を貶めるものでは決してなく、むしろ掛け値なしの傑作だと強く思う次第です。

『ジャン・ユスターシュ特集』で再度観直した時のレビュー

2004年05月26日 10:56 | 邦題:は行
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