2004年09月26日

『アリックスの写真』『不愉快な話』『ぼくの小さな恋人たち』

ジャン・ユスターシュ
今日の日記は三本立てになります。昨日から今日にかけて、計5本の映画を観たので、流石に1本の日記にまとめるのも辛かろうという個人的な事情により。

土曜日は以前見逃したことをかなり後悔していたジャン・ユスターシュのドキュメンタリー2本とすでにヴィデオで何回か観てはいたものの、スクリーンで観るのは初めてだった長編1本を、アテネフランセにて鑑賞。なかなか公開されない作品とあって、客席には60~80くらい埋まっていたと思います。

『アリックスの写真』はユスターシュの遺作です。18分のカラー作品。この短い映画は、恐らく、“視覚の脆弱”を暴き立てることが主題だったのではないかと思われますが、いかがでしょう? スクリーンに“映ってもいない”事物をまさに“映っている”と錯覚すること。この“無意識の作為性”をこそ描きたかったのではないかと思います。なんだか、華麗に一本とられた、そんな感じです。

『不愉快な話』はある1つの話がフィクション編とドキュメント編とに分けられ反復される映画です。私のようなイカレた男からすれば、その話自体は非常に“愉快な話”だったわけですが、それはさておき、この実験映画はその手法から言っても大変興味深い。倫理に、というより、法に反する“覗き”という行為に魅せられた男が行ってきた行為自体が“不愉快”なのか、もしくは、そんな愚かな話を2度聞かせられること事態が“不愉快”なのか…? 前者における主語はスクリーンの中で聴く者、後者においてはスクリーンを観る観客になりますが、このあたりは私には理解しかねました。もし可能であれば、ユスターシュのインタビューなどを読んでみたいものです。いずれにせよ、非常に面白い映画でした。

最後に『ぼくの小さな恋人たち』。この作品に関しては過去の日記でも触れているので繰り返しませんが、ここであえて告白するなら、そこに何の意味もないと知っていながら、先日観た『なぜ彼女は愛しすぎたのか』との比較をしてしまったということです。ほとんど理不尽な比較かもしれませんが、13歳の少年を主人公に据えたこの2作品を比べてみた場合、主題は全く異なるものの、その“残酷さ”の質において、ということは作品自体が持つ強度からしても、『ぼくの小さな恋人たち』の優位は決定的だったと思うのです。まだ大人になりきってない少年だからこそ彼が孕み持つ残酷さ。これを恋愛という位相で輪切りにしてみせた『なぜ彼女は愛しすぎたのか』に対し、ユスターシュが描いたのは、まさに人間自体の残酷さなのであり、だからその残酷さに観客が納得できる理由などなく、アルメンドロスによる“美し過ぎる”画面構成にもかかわらず、人間は大人であれ少年であれ、残酷だから残酷なのだという暴力的な同語反復しか通用しない厳しさが、『ぼくの小さな恋人たち』の圧倒的な美しさを生んでいたのではないかと思うのです。

ともあれ、これら3作品をスクリーンで観ることが出来たのは、全く幸福という他ない体験でした。

2004年09月26日 19:09 | 邦題:あ行, 邦題:は行
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