2007年10月05日

ポジティブに退行してトラッシュに突っ込む予定は、しかし未定

クエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ』を観て以来、ずっと頭の中に引っかかっていることがあります。

一つは、自分がいかに70年代のアメリカB級映画を観ていなかったか、ということです。『デス・プルーフ』という大傑作に出会った良い機会だったので、所謂“グラインドハウス映画”についていろいろと調べてみましたが、もちろん、その大半は下らなくて、悲しくなるほどにいい加減で、二度と観たくないと思わせるような映画なのでしょうが、それを承知の上でも、やはり今後の映画人生において、何らかの発見に繋がりそうだということに気づいたのは、自分でも驚きでした。知らず知らずのうちに偏愛していた映画が、実は“グラインドハウス映画”と密接に結びついていたということもそうですし、今まさにこんな映画が観たいという純粋な欲求が沸いてきたりもしたのです。それらの多くは、暴力や残酷さ、あるいはエロス的な見世物性のみにフォーカスされたもので、私もほとんど無視してきたか、無関心を装ってきたものばかりですが、『デス・プルーフ』におけるタランティーノの素晴らしさが、意図せずに私への啓蒙となっていたことは否定出来ません。

思えばタランティーノの作品には、これまでも積極的にグラインドハウス的精神や描写が垣間見られました。『デス・プルーフ』を観るまで、私の一番のお気に入りだった『ジャッキー・ブラウン』などはその際たるものです。私は『ジャッキー・ブラウン』の封切り時に、そのまま『Foxy Brown』や『Coffy』に代表されるジャック・ヒル作品へと接近すべきだったのです。この後悔もまた、『デス・プルーフ』によって齎されたものです。そして同様に、“foxy”という言葉が持つ甘美で淫靡な魔術に、もっと早く気づいておくべきでした。まぁもっとも、その段階でそちら方面への傾向を強くしていたら、今のような志向性に至ることもまたなかったのでしょうが。

さて、ここで冒頭の話題に立ち返りますが、『デス・プルーフ』に登場する“bitch”であると同時に“foxy”でもある女性たちへのタランティーノの視線、これもまた、ずっと脳裏に焼き付いているのです。それはおそらく、私自身がその視線を共有してしまっていたことを意味するのかもしれません。
それだけではなく、あまた存在するグラインドハウス的な映画を片っ端から観てみたいという欲望が高まってきているのです。何というポジティブな退行化、そして何というトラッシュへの爆走!

今、どうしても『Foxy Brown』を観たいと思っている私は、ひとまずYouTubeにてオープニングタイトルを発見しました。これがまた素晴らしいの一言。この素晴らしいという言葉は、まったく個人的なもので、誰かにお勧めしたいなどという、生産的な絶賛ではありません。道に落ちているエロ本だったり、ヴィデオ屋でふと視界に入ってきた目的外のAVのパッケージだったりに、奇跡的に、自分の琴線に触れるような“foxy lady”が写っていた時に感じるような、あまりおおっぴらには言えない絶賛なのです。
まぁご覧ください。今日だけで、この動画を50回はリピートしました。


そしてもう一つ。ついでに見つけたのですが、『ジャッキー・ブラウン』のサントラに収録されている、その名もフォクシー・ブラウン(!)というアーティストの曲「Letter to the firm」です。PVではないので画面は固定のままですが、当時「Across 110th street」同様、憑依してしまうくらい聞いた曲です。

2007年10月05日 18:40 | 映画雑記
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