2007年05月14日

GW後半の覚書と前半の補足

今更な感もありますが…。

映画のほうは前半飛ばして観たので、後半に観たのは『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』 と『スパイダーマン3』のみ。ヴィデオでオリヴェイラを観直したり、テレヴィで『スパイダーマン』を観ちゃったりはしましたが。

後半はむしろ、美術館やギャラリーに行くように心がけました。もちろん、先のエントリーでも書いた通り、澁澤関連の展覧会です。ひとまず予定していた中で、「澁澤龍彦の驚異の部屋」(ギャラリーTOM)、「カマクラノ日々」(鎌倉文学館)、「澁澤龍彦 幻想美術館」(埼玉県立近代美術館)には行くことが出来たので、残るは10日から始まる「幻想と異端の図書室−文学とアートのコラボレーション−」のみになります。これらに関連して、書籍も数冊購入。「澁澤龍彦 幻想美術館」の図録(監修・文 巌谷国士)だとか、「イタリア庭園の旅」(写真・文 巌谷国士)だとか、「TH NO.30〜禁断のフランス・エロス」(アトリエ・サード)だとか。全てに巌谷国士が絡んでいるのですが、ここ数日間、久方ぶりに澁澤の世界にどっぷりと浸っております。私は映画よりも絵に親しんだほうが早かったのですが、映画に比重を置くようになってからは自分の美術に対する嗜好性について、ゆっくりと考えることがありませんでした。こうしてまとめて絵を見たり書籍を読んだりしているいい機会なので、当分はこちらの方に専念しつつ(もちろん新作映画は観ますが)、あまりに感動してぐったり疲れてしまった「澁澤龍彦 幻想美術館」についての覚書をまとめたいと思っております。

さて、先延ばしにしていたGW前半の映画についてですが、予想通りというべきか、すでに記憶が曖昧になりつつあります。モードが切り替わってしまったので致し方ないのですが、何も書かないというのもアレなので、下記に簡単にまとめておきます。

■『かちこみ! ドラゴン・タイガー・ゲート
実はウィルソン・イップ作品をこれまでことごとく見逃しており、本作が初体験でした。アクション自体の完成度は流石といったところですが、数多あるワイヤーアクション映画との大きな差異を指摘するのは難しいです。もちろん、この一作のみでウィルソン・イップを判断することは出来ないのですが、強いて言うなら、こちらが嬉しくなるような展開でした。映画は少なからず観客のほうを向いていなければならないと思いますが、この映画ほど、観客をただ楽しませることを念頭に置いた映画もまたないのではないか、と。ドニー・イェンのあのすばやいながらも“剛”というほかない動きには、それだけで人を感動させるものがあるということに監督も確信を抱いているかのよう、メロドラマ的要素は本当に最小限に抑えられ、あらゆる登場人物の心理的葛藤めいたものは、やはり彼らによる一つのアクションによって、ただちにより背後へと姿を消してしまうかのようです。かといってドラマの構成が出鱈目極まるのかと言うとそんなこともなく、最低限筋は通していくという姿勢、この“潔さ”にかなり好感を持った次第です。
旧作も含め、また見逃せない香港映画監督になりそうです。

■『BRICK ブリック
監督のライアン・ジョンソンが初めてカメラを手にとったのは12歳の時だったといいます。『BRICK ブリック』の脚本は南カリフォルニア大学卒業の年に書かれた後、およそ7年もかけてブラッシュアップされただけに、細部にまで監督の映画的記憶が満ち満ちているかのようでした。恐らくかなりの映画マニアだったのではないかと推察されます(確かにタランティーノとの親近性も感じました)。
すでに多くの作品を産み落とした30年代風のノワール的細部を、これまた現代においてもありがちな学園ドラマという設定に置換してみせたその発想は、私の好きな概念である“デペイズマン”に相当しているというだけに留まらず、それが結構上手くいっているあたりが生意気といえば生意気な感じもします。基本的にはダークな事件を題材として扱っているのですが、作品としてのトーンはことごとく乾いていてユーモラスでもあり、それは本作において特徴的な、人を殴る時の音や、スリルがよりデフォルメされているかのようなショットにおける、いささか大仰だけれども記憶に残るディテールの存在に追っているような気がしました。
中盤あたりから主人公が原因不明の体の不調に襲われ、乾いた咳を頻発し始めるのですが、この辺の描写はまるで『ユリイカ』における役所広司を彷彿とさせますが、恐らく単なる偶然でしょう。
私は途中でダレることなく、本作のいささかトリッキーなリズムに乗れたので、最後まで一気に鑑賞できた次第ですが、今にして思えば、手放しで賞賛するほどの作品かというと、それはそれで考えてしまう、そんな作品です。微妙とまでは言いませんが、奇妙ではある、という風な印象。もちろん、次回作は楽しみです。

■『フランドル
ブリュノ・デュモン監督作については、これまで2作品鑑賞してきましたが、いずれの作品についても、ほとんど記憶がありません。強いて言うなら、どことなく退屈だと感じた瞬間があったことだけは、おぼろげに覚えているくらいです。ただし、肯定的に捉えた瞬間も合ったはず。しかし、その記憶だけが、すっぽりと抜け落ちています。私は無意識的に、自らの記憶を操作しているのでしょうか。
にもかかわらず本作を鑑賞することにしたのは、ひとえに本作が先のカンヌでグランプリを獲ったからに他なりませんが、予告編で感じた、あのいかにもヨーロッパ映画的な(もしかするとこの感覚は古いのかもしれませんが)雰囲気に賭けてみよう、などと思ったのかもしれません。
本作を戦争映画だと断じることにはいささか躊躇がありますが、確かに戦地におけるシーンにそれなりの時間を割いてはいます。ただし、それは一方で故郷から出ることの出来ない少女・バルブの内面との対比として描かれているに過ぎません。戦地と彼女との間には、長い距離が横たわっているにもかかわらず、彼女は罪を重ねていく兵士たちの罪を、距離なしに直感的に感じ取ってしまうのです。
さて、このあたりをどれほど許容出来るかどうかは、評価が分かれるとことかと思います。私は正直言って、何とも言えないという立場。しかしながら、ブリュノ・デュモンの繊細な演出が光っているシーンが何箇所かあって、例えば、彼女を残して、周りの男たちのほとんどが戦場に行ってしまった後、兵役を逃れて故郷に留まる男とバルブがばったり出くわすシーンがありました。その男は、邪魔がいなくなったとばかりに、あからさまにバルブの体を求めるのですが、彼女はきっぱりと拒否します。この時、彼女に振られた男は、絶望と諦念が入り混じったような、非常に複雑な表情を浮かべるのです。あの表情は、たとえば『カノン』における、フィリップ・ナオンの叔父にあたる人物の表情に匹敵する複雑さなのです。
まぁそういったわけで、本作の評価は難しいところ。たまたま私の気分にそぐわなかっただけなのかもしれません。ちなみに、ペニスを切断される男が出てきますが、『エル・トポ』を参照するまでもなく、男性としての象徴を失くしてしまった男に待っているのは、死以外はありえないのですかね。

■『バベル
これは再見予定なので、今は何とも言えません。

■『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
小説、テレヴィの特番に月9ドラマと、かれこれ3回もこの物語をなぞってしまったことも影響しているのかもしれないのですが、本作にもう一つ乗れなかったのは、その構成に不満が好みではなかったからです。ただし、出来としてはやはり映画が一番良かったとは思います。それはオダギリ・ジョーと樹木希林
に拠るところが大きいのですが、無駄なキャストが多すぎたというのは指摘しておきたいと思います。あのような贅沢が、映画の出来を左右すると思ったら大間違いです。

■『スパイダーマン3
『東京タワー』のラストより、本作における“友人の死”のほうによりグっときてしまったのは何故か。
もちろん、予めその死がわかってしまっている死よりも、思いがけない死のほうが強く印象に残るというようなレヴェルではなく、そこにはドラマを語る上での歴史や技法の違いがあるような気がしています。まぁこんな言い方では何も言わなかったことに等しいのですが、私はこれまでの「スパイダーマン」の中で、本作が一番好きです。

2007年05月14日 13:05 | 悲喜劇的日常
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