2007年04月18日

再見したくなる映画を2本

今年は夏を待たずに早々と日焼けしまして、顔の皮が部分的に剥けてしまいました。先週末、毎月恒例のフットサルをした時に結構焼けてしまったらしいのですが、この年になって赤ら顔というのもかなり恥ずかしかったです。おまけに今回は人数が足りなくてずっと出ずっぱりだったため疲労の度合いも濃く、いきおい、筋肉痛も長引いております。

さらに近況を書いておくと、先週から週に2日、休肝日を設けるようにしました。
酒は百薬の長といいますが、それにしても毎日飲みすぎだろうと思われたのと、毎年会社の花見で同僚に迷惑をかけているという現状を顧みて、ちょっとだけ自重しようかな、と。
イタリーの中高年はワインがないと食事が出来ない人も多い、などという記事をどこかで読んだのですが、日頃食事と酒(ほとんどはワイン)をやはり切り離せないでいた私が、ただ食事“だけ”をすることなど非常に稀で(もちろんウィークデーの日中は別)、自宅で一人夕食をとっていても、そこに水しかないということにものすごい違和感を感じてしまうのですが、決めたことは何とかやり通したいと思います。
ただし、これはあくまで一人きりの場合に限るので、友人・知人との飲みが続いてしまった場合は、いたし方ない、という特例をあっさりと許してしまうあたりが、何とも……。

さて、映画のほうはというと、先週は2本鑑賞。
いずれも渋谷では今週金曜で終ってしまうので、駆け込みで観て来ました。
最初に観たのはトニー・スコットの『デジャヴ』。鑑賞前、劇場に張られていたポスターを眺めると、そこには“『アルマゲドン』『パイレーツ・オブ・カリビアン』のプロデューサーが贈る、サスペンス巨編!”という文字が大きくあり、トニー・スコットという名前は目を凝らして探さなければとても見つけられない大きさでしかなく、現在のわが国におけるトニー・スコットの扱われ方があらためて理解された次第ですが、だからと言ってジェリー・ブラッカイマーという名前が広く流通しているとはとても思えず、だからこそわざわざ“『アルマゲドン』『パイレーツ・オブ・カリビアン』のプロデューサー”などという遠まわしな表現をする羽目になったのでしょう。過去のヒット作品を前面に押し出すことが最も効果的な宣伝方法、なのかどうか私にはわかりませんが、何にせよ、本作が多くの人に観られれば、トニー・スコットの次回作を観られる確率があがるわけですから、それはそれでいいことです。ちなみに、私が観た土曜日の初回は、16人しかいませんでした。

まぁそんな話はさておき、『デジャヴ』で印象的だったのは撮影監督であるポール・キャメロンのめまぐるしいカメラに、『マイ・ボディガード』の時ほど違和感を感じなかったこと、カーチェイスシーンの視点が非常にオリジナルで、近作で比べるなら例えば『マトリックス・リローデット』のそれよりもはるかに興奮したこと、ヴァル・キルマーのだらしなさと貫禄が同居したようないい感じの太り方、デンゼル・ワシントンとポーラ・パットンの非=劇的なキスシーンという感じでしょうか。予想以上に面白い映画で、多くの人に薦めたいのですが、もう終ってしまいますね。幾重にも張られた伏線や複雑な時間軸のほうに注目してしまうと、やや難解な映画でもある本作ですが、トニー・スコットはやはりアクションとエモーションの監督なのだと思いました。

もう一本はロバート・アルトマンの遺作『今宵、フィッツジェラルド劇場で』をル・シネマで。
本作は実在のラジオ番組「プレイリー・ホーム・コンパニオン」がモチーフにされています。この長寿番組、後から調べてわかったのですが、ほぼ私と人生と同じだけ続いているようです。厳密に言うと、番組のほうが1週間だけ早く生まれたようですが。

番組の名物司会者ギャリソン・キーラー本人が原案・脚本・出演を兼ねた『今宵、フィッツジェラルド劇場で』は、やはり長年続いた公開ラジオショーがついに最終回を迎える日を舞台にしています。いずれも芸達者な俳優ばかりが登場し、彼らが歌うシーンだけでも充分に感動的ですが、中でも私が素晴らしいと思ったのは、ガイ・ノワールを演じたケヴィン・クラインです。彼が随所に見せる細かいギャグには何度も声をあげて笑ってしまいました。フィリップ・マーロウもかくや、といったハードボイルド的外見を裏切るように、惚けていて飄々としたキャラクターを見事に演じていました。いや、彼だけではありません。あの傑作『サイドウェイ』のヴァージニア・マドセンを天使にしたり(『サイドウェイ』からはもう一人メアリールイーズ・バークも!)、いかにもペキンパー的風貌と声が印象的なL・Q・ジョーンズをベテランシンガーにしたり(彼の死のが発覚するシーンの呼吸も素晴らしい)と、キャスティングは本当に冴えています。
2人組みのカントリーデュオ・ダスティ&レフティが下品極まりないカントリーのを見ながら、ステージマネージャーみたいな男(誰が演じているのかはわかりませんでした)が舞台の袖でやはり下品な文句をまくし立てているという、まったく常套的な手法にも爆笑。ああいったシーンにはやはり英語が相応しいということを再確認しました。

劇場が取り壊されてしまうシーンに時代の、いや一方的にしか流れない時間の残酷さを感じさせながらも、だからこそ新たな希望も生まれ得るということを垣間見せるラストシークエンスを持ってくるロバート・アルトマンの微かな人生賛歌に、私は躊躇い無く拍手を送りたいと思います。

2007年04月18日 12:00 | 映画雑記
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Comments

>雄さん

いや、まだまだあるものですね、本当に。カメラも凝っていましたし、非常に興奮しました。
リドリー・スコットの新作はもう観なくなってしまいましたが、私の好みがアクションとエモーションのほうに傾いてきたということなのかもしれません。


Posted by: [M] : 2007年04月23日 11:40

カーチェイスというのは既にありとあらゆる撮り方がされていて、もう新しい手法はないと思っていましたが、タイムパラドックスを使ったこんな手があったんですね。アイディアに脱帽です。

リドリーがサスペンスと美学の監督だとすれば、確かにトニーはアクションとエモーションの監督ですね。たっぷり楽しみました。


Posted by: : 2007年04月20日 14:41
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