2007年03月28日
『白人女に手を出すな!』、超現実的西部劇であるがゆえの出鱈目さ
白人女に手を出すな!/Touche pas à la femme blanche/1974年/フランス・イタリア/108分/マルコ・フェレーリ
映画としての西部劇は『大列車強盗』から始まったと言われていますが、以来アメリカはもとより、“西部”を持たない国でも西部劇は量産されてきました。広大な大地と馬、それにカウボーイハットと拳銃という小道具さえあれば、そこがアメリカでなくても撮れてしまう、それがジャンルとしての西部劇です。
スパゲッティ(マカロニ)ウェスタンなんていう言葉がそれなりに流通し始めてからというもの、ヨーロッパ製の西部劇もとりわけ珍しくはなくなりましたが、イタリーやスペインならともかく、フランスで、しかもパリで撮られた西部劇が存在するということを、私はまったく知りませんでした。ウェスタンとパリ。この相容れない2つの言葉を結びつけて映画を撮ってしまった監督がマルコ・フェレーリだと知っても、俄かには信じられなかったほどです。
マルコ・フェレーリは『最後の晩餐』を撮った翌年の1974年、ある映画を撮りました。それは、『最後の晩餐』の興行的な成功(本作は1973年のカンヌでパルムドールにノミネートされ、結果として国際映画批評家連盟賞を受賞しました)によるものだそうです。自分の望み通りに撮られたというその映画のタイトルは『白人女に手を出すな!』。まぁ『最後の晩餐』にしても、そのある種崇高なタイトルからは想像もつかないほどにグロテスクな内容だったので、『白人女に手を出すな!』と言われたところで、それがいったいどんな内容なのか想像出来なくても無理はないでしょう。しかし、にもかかわらず、本作が70年代のパリを舞台にした西部劇だなんて聞かされてると、やはり驚きを隠せません。サム・ペキンパーが西部劇への挽歌を奏でてしまったのが1969年だとするなら、それから5年も経ったフランス・パリにある更地でリトルビッグホーンの戦いを再現しようとするなど、ほとんど正気とは思えません。マルコ・フェレーリはそれほどまでに西部劇を撮ってみたかったのでしょうか、その点にも興味は尽きませんが、今はそれを知る由もありません。とにかくそんな出鱈目な映画が1974年に撮られ、映画史に刻まれてしまった。この事実は揺るがないのです。
さて、私が鑑賞した時には日本語字幕がなく、しかもフランス語だったので台詞はほとんど理解できませんでした。どうやらタイトルにある“白人女”がカトリーヌ・ドヌーブらしい、ということはわかったと思うのですが。主要なキャストは『最後の晩餐』の時とほとんど変わっていません。ドヌーブに加えて、マルチェロ・マストロヤンニ、フィリップ・ノワレ、ミシェル・ピコリ、ウーゴ・トニャッツィら『最後の晩餐』組、そこにセルジュ・レジアニが彩を添えています。
そもそもこの映画が撮られたのも、パリのレアール地区にあった中央市場がちょうど移転し、パリの中心に更地が出来てしまったことが直接の引き金だったのではないかと推測されます。西部劇を撮るにはまず場所ありき、かと。しかし本作では、そこが“現代のパリ”であることを隠そうとはしません。事実、ラストシーンでカメラは空撮に切り替わり、この大きな更地を含む70年代のパリの現在を画面に映し出すのです。この空撮は映画のラストシーンに真に相応しく素晴らしいショットでした。
そもそもの設定からして超現実的な本作ですが、マルコ・フェレーリ作品常連の俳優達は、嬉々として演じているような気がしました。衣装も芝居も、戦闘シーンすらも等しく仰々しいのに、その仰々しさこそが映画だとでも言わんばかりの悪乗りぶり。ドヌーブに関してはほとんど借りてきた猫のようであまり記憶にはないのですが、飛んできた弓矢が喉を貫通する様をワンショットでみせた彼女の死に様には呆気にとられました。かようなシーンを観てしまうと、いくらセルジュ・レジアニをインディアンに仕立て上げる出鱈目さを前にしても、白い馬に乗りつつも大真面目なミシェル・ピコリを前にしても、やはりこれは映画だと納得せざるを得ません。
どうやら海外版のdvdは発売されている模様。もちろんそれらにも日本語字幕はありませんが、映画好き同士が集まってわいわい観るにはもってこいの映画ではないでしょうか。私も本作を一人きりで観たことを若干悔やんだ次第です。
2007年03月28日 17:30 | 邦題:は行
>yasushiさん
本作が現代的なのかどうか、私も答えに窮してしまいますが、つまり映画は何でもありなんだということだけは改めて確信しますね。
マルコ・フェレーリを語り合える友人など周りにはほとんどいないのですが、確かに『最後の晩餐』を友人らと観つつ話すのは楽しかったです。まぁ私の場合もほとんどが下ネタです(笑)
Posted by: [M] : 2007年03月29日 13:46
観た事はもちろんありませんが、ある種の現代的な映画の走りなのかもしれませんね。ジャンルものを掛け離れた場所でやってしまおうというような。
出演陣を観ただけでちょっと興味はわきますが。
その作品自体もそうですが、マルコ・フェレーリそのものが意外とワイワイ語らい合うのに向いてるかもしれませんね。
というか、此の際、今の私はなんでもいいから語らい合いたい。
時々、相部屋の陽気なおじさんとは下ネタだけは語らい合ってるんですけどね(笑)。
Posted by: yasushi : 2007年03月29日 07:03