2007年02月13日

『エレクション』における過剰な静けさ

エレクションエレクション/ELECTION 黒社會/2005年/香港/101分/ジョニー・トー

作品の中に、その流れを断ち切るようなズレ(あるいは亀裂とでも言いましょうか)を忍び込ませる作家。私の中のジョニー・トーはそのような作家として位置づけられていますが、本作にも深く感動せずには居られないシーンがあり、ああ、やっぱりジョニー・トーの映画を観ているのだということを実感。しかも作品自体の出来も素晴らしく、「ほとんど傑作だよね」と同行した女性に言い放ってしまう始末。本当に傑作を観た場合、大概は黙りこくってしまい、気軽に誰かに話しかけることなど無いのですが、今回はそう言わずに居られなかったのです。それはどこかで、続編の公開を何とか実現させて欲しいという思いが発露した結果なのかもしれません。

物語はいたってシンプルなのに、どこか一筋縄ではいかないような感覚、ともすると本作はそんな感覚を観客に抱かせるかもしれません。それは恐らく、物語自体を過剰に彩るアクション(これは別に、銃撃戦や格闘シーンに限ったものではなく、登場人物のあらゆる運動を評しているのですが)の所為ではないかと思われました。過剰さとは時に、ほとんど静寂に包まれた画面においても生起してくるのです。

それが最も印象付けられたシーンは、組織の長老幹部が一同に会して次期会長を選出するための議論の最中、組織の重鎮にしてもっとも影響力の強いウォン・ティンラム演じるタンが、幹部たちに茶を振舞うシーンでした。幹部たちは、次期会長候補である2人の男のうちどちらを選ぶか、自らの未来の安泰を左右するこの重要な選挙に際し、ある者は保身のため、ある者は組織の将来のために、ほとんど互いに一歩も譲れないかのような議論を展開している。その時、まるで鶴の一声であるかのように、それまで口をつぐんでいたタンが静かに、しかし重い言葉を発するのです。幹部たちを諭すかのようなその言葉に、それまでの議論にはあっさりと終止符が打たれます。その時点で次期会長が決定されるのですが、その時、タンは幹部たちに自らが淹れた茶を振舞うのです。タンを取り囲むように起立した幹部たちは、それが場に最も相応しいかのようにまったく無言のまま、注がれた茶を飲み干していく…。
その様を、やや引き気味のカメラがさも“大事そうに”画面に納めるのです。そしてまったく同じシーンが2度繰り返されます。その間一切の会話は無く、すでに老齢に差し掛かった組織の男達が、ただ湯飲みを受け取り、立ち上がって茶を飲むというだけのシーンです。しかし、この静けさはいったいどういうことでしょうか。ただ私は、その控えめでありながらも稀有な一連のシーンを観て、戦慄するほかありませんでした。なるほど、この静かで暴力性など微塵も感じられない画面だからこそ、組織の厳しさが十全に伝わるのだ、などという知的な思考の介在する余地などまるでなく、ただただ、場違いとも断絶とも言えそうなこのシーンに驚き、深く感動してしまったのです。その瞬間、『ブレイキング・ニュース』における、やはり過剰な料理場面を思い出さずには居られなかったものの、ある種麻薬のように人を惹きつけてやまないジョニー・トーの過剰さに参ってしまいました。やはりそれは紛れもないアクションなのです。

相変わらず途方もないロングショットに驚かされもしましたし(レオン・カーフェイが2人の部下に拷問をするシーンの鮮烈なロングショット!)、フルショットにおける黒いユーモアも流石(ラム・シューのやられ損ぶり!)、どれほどの馬鹿が見ても分りやすい格闘&銃撃シーンの職人芸(ニック・チョンの殺人兵器のような動き!)にもやはり関心することしきりでした。一反は心を許しあったかに見えた新会長サイモン・ヤムとレオン・カーファイの蜜月を一瞬で無かったことにしてしまうかのようなあの執拗な殺人シーンも、物語的展開からすればやはり驚くべきシーンだったわけですが、それでもやはり、私にとってのジョニー・トーを考える上で、先述したシーンの衝撃は大きく、鑑賞後もそのシーンばかりが反芻されたのでした。

同行した女性に感想を求めてみると、そもそも香港映画をあまり見ないという彼女は、やはりというべきか、困惑した表情を浮かべていたのですが、一言、「みんなでお茶を飲むシーンは素晴らしかった」などと言うので、こちらも人に誇りうるほど香港映画に精通しているわけでもないのに、そうかい君もなかなかわかっているね、などと言いつつ、何とか共感の念を示そうとしたりも。まぁ私もいい加減ですが、“黒社會”という原題を持つこの映画において、それを観た2人が感動したシーンが、共に“お茶を飲む”というシーンだったことは、やはり偶然ではないのでしょう。

2007年02月13日 10:32 | 邦題:あ行
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Comments

>雄さん

やはり本作はあのシーンが出色だったかと思います。
確かに『インファナル・アフェア2』における復讐の杯を想起させますね。室内と屋外で随分と趣は異なるのですが。

最後の殺人シーン、仰るように、ノワール的美学のセオリーからは外れていたし、唐突でもあるし、違和感がまったく無かったと言えば嘘になりますが、あのあまりに執拗な殴打、あそこまでする必要はなかったはずなのに、やはり私にはそれが過剰さゆえのズレに感じられて、最終的には納得した次第です。

続編は、ラストであのシーンを目撃してしまった息子も主要な人物として登場するとか。公開が絶望的という声も聞きますし、だとしたらもう外国版のdvdしかないかもしれません。


Posted by: [M] : 2007年02月15日 10:18

お茶を飲むシーン。逆光で闇の濃い室内空間を引きのカメラで撮ったショットはほんとに素晴らしいものでした。僕は『インファナル・アフェア2』で、夜の路上レストランで復讐を誓って杯を挙げるシーンを思い出しました。『2』はドラマの流れのなかで感情が高ぶるシーンでしたが、繰り返されるお茶のシーンは[M]さんおっしゃるように、「過剰」さゆえの作家性を感じさせますね。

ただ、僕は最後の殺人シーンはどうにも肌合いが合わず、『ブレイキング・ニュース』や『PTU』のようにはのめり込めませんでした。


Posted by: : 2007年02月14日 14:23
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