2007年01月22日
吉田喜重+蓮實重彦 トークショー〜映画とフィクションの新たな地平をめぐって〜
去る1月20日の土曜日、青山ブックセンター本店内・カルチャーサロンにて、表題のトークショーに参加してきました。今回は相当早く到着してしまいいつも列が出来ている廊下にはまだ列が出来ておらず、ということは私が一番最初だったわけですが、まぁまだ列を作ることもなかろうと、少し離れた場所で喉を潤したり煙草を吸ったりしているうちにポツポツと人が並び始めたので、やっと列に加わった次第。結果、3番目で、初めて前列に陣取ってみました。目の前でお二人の話を聞くという体験は貴重ですが、どうにも妙な緊張感が体を硬直させ、終った時にはぐったりと疲れてしまいました。予めメモなど取るつもりでいた私は、しかし、結局は話を聞くことに集中してしまい、ほとんど筆を走らせることも無いまま終りを迎えました。まぁ今回はいつものように映画中心の対談ではありませんでしたし、とりわけ、吉田監督の吸い込まれるような目をみつつ話を聞き漏らすまいと努めていたので、致し方ありません。
トーク自体は、蓮實氏が吉田監督の話を引き出すという形で進められた関係上、比率として吉田監督の話を多く聞くことが出来ました。昨年のポレポレ東中野におけるレトロスペクティブの時にもご自身の言葉を聞く機会を得ましたが、相手が蓮實氏だからこそ、自由に、そしてやや饒舌にお話されていたはずで、それはご本人も認めていらっしゃいました。流石、“座談の名手(吉田監督 談)”。
お二人が始めて出会われた時の話はなかなか興味深く、それは1970年にパリのシネマテーク・フランセーズで行われた日本のヌーヴェル・ヴァーグ特集の時だったようです。アンリ・ラングロワから「いい通訳がいるから」と吉田監督に紹介されたのが蓮實氏で、その時お二人は、ラングロワ氏によって「風のように拉致され(蓮實氏 談)」、デザイナーのピエール・カルダン氏がオーナーを務める「エスパス・カルダン」というレストランで大層不味い食事をとらされたのだそう。登場する人物が人物なので、初対面のエピソードとしては何とも羨ましい限りですが、それもこれまで幾度と無く国境超えた活動をされてきたお二人だからこそ。蓮實氏が吉田監督を「国際的というよりもむしろ地球的な人」と評していたことからも伺われます。
吉田監督はトークの中で、自分と蓮實氏がいかに多くの類似点を持っているのか、ということを繰り返し述べられていました。吉田監督はその中で、東大総長を辞された直後に蓮實氏が朝日新聞に書いたコラムに感動したことや、あるいはエーリッヒ・アウエルバッハの「ミメーシス」を巡る蓮實氏のフィクションに関する論考(「表彰の奈落」〜フィクション、理論を超えて〜より)に大きな共感を表明されていました。特に後者の「ミメーシス」に関する件の中で、吉田監督も蓮實氏と同じような感覚を体験した過去があるといい、小津の『東京物語』を引き合いに出していました。つまり、「ミメーシス」も『東京物語』も、冒頭と結末が限りなく類似した(ほとんど同じような)イメージであるという点です。「ミメーシス」であれば、第1章の「オデュッセウスの傷痕」と最終章「茶色の靴下」が共に、男の足とそれに触れようとする女、というイメージであるという点で共通しており、『東京物語』の場合は、冒頭(近く)とラストが、笠智衆と東山千栄子が並んで座っているというイメージが共通している、と。もっともこの場合に限って言えば、ラストでは冒頭と一点だけ異なる点があり、それは東山千栄子の不在ということになるのですが。
アウエルバッハなり小津なりが、意図して冒頭と結末を同じようなイメージで締めくくったのか、それは定かではありません。しかし、そこに、“あるフィクション”を見ることの出来る人間とそうでない人間がいる、作者の意図を超え、偶然をも超えて突如表層に立ち現れてくるフィクションという存在の出鱈目さ、面白さ。お二人は、そのようなことを話されていたように思います。この辺りに関しては、後日「表象の奈落」を読むことで確認したいな、と。
そのほかにもいくつか断片的なお話がありましたが、メモが無く記憶も曖昧ですので、ここでの詳述は出来ません。というよりは、終わり近くに、ほとんど予想はされたものの、やはり驚きを隠せなかった事件とでも言うべきことが起こりまして。
吉田監督が現れる場所には、ほとんど常に、夫人の岡田茉莉子さんがいらっしゃるというのを昨年より何度か体験していましたが、その日も例外ではなく、やはり会場の一番後ろに岡田さんがいらっしゃいました。トークの終わり近く、蓮實氏がほとんどゲリラ的に後ろに座っている岡田さんに質問を浴びせました。曰く、来年本当に自伝を出版されるのか。加えて、今年は舞台に出られるようだが? というようなもので、マイクを渡された岡田さんも恐縮しつつお話されていました。そしていよいよ蓮實氏が閉めの挨拶をという段階になって、突如、まだマイクを持っている岡田さんが後ろから「よろしいでしょうか」と前方のステージの方に歩み出てきたのです。その時、目の前にいる吉田監督が一瞬困り果てたような表情になり、蓮實氏はなんだか嬉しそうで、まさに筋書きになかった展開になってしまったのです。
岡田さんが最後に言いたかったのは、1990年、吉田監督が演出した舞台「マダム・バタフライ」初演をわざわざリヨンまで観に来てくれた蓮實氏に対する賛辞でした。その時蓮實氏が言った「本当に観たい人はリヨンにまで足を運ばなければなりません」という言葉に深く感動したとか。私もどこかで読んだことがあったエピソードでしたが、ご本人の口から聞かされると、やはりなかなかいい話だな、と。そういったハプニングを引き出すあたり、蓮實氏はやはり“座談の名手”なのかもしれません。
そんなこんなで終了後、サイン会がありまして、ちょうど両氏の著作を購入していた私もサインを頂きました。とりわけ吉田監督と硬く握手出来たことは、生涯忘れ得ぬいい思い出になりました。来年は世界3カ国で「マダム・バタフライ」が再演されるらしいですが、是非映画のほうも撮って頂きたいものです。
2007年01月22日 09:56 | 映画雑記