2006年09月14日

たとえ錯覚でも、『弓』では奇跡が起こっていると思った

弓原題:THE BOW
上映時間:90分
監督:キム・ギドク

本作のエンディングロール冒頭には“キム・ギドクによる第12番目の作品”というような一文が記されていました。インタビューを読むと、この一文はどうやら配給側が入れたらしいのですが、何故わざわざこのような宣言を滑り込ませるに至ったのか、この『弓』という作品を振り返ってみると、それが何となくわかるような気もしますし、逆によくわからない気も。12という数字は、なるほど、一つの区切りを示す数字であると言えなくもありませんが、キム・ギドクの場合、どの作品にも(と言っても『鰐』、『野生動物保護区域』、『実際状況』は正式公開されておらず未見)共通する要素はありつつも、一作一作まるで別世界のように異なる映画でもあって、12作目という区切りがどれほどの説得力を持つか、私にはよくわかりません。『弓』を撮ることで彼が何かを“閉じた”という印象もあまりなく、だから実際には、あくまで配給側によるちょっとした配慮、というだけなのかもしれません。尋常ではないペースで映画を撮り続けているキム・ギドクは、現在韓国において、あまりよろしくない状況に置かれているらしいのですが、次回作『時計』もすでに完成しているようですし、個人的には、この12という数字が、不吉な数字として世の中に認知されてしまうことだけはあって欲しくないと思っています。

現実にはとてもありえないような特異な状況におかれつつ、社会から疎外された人間を描いてきたキム・ギドクは、本作においても海に浮かぶ漁船といういかにもギドク的なイメージを核に、ある愛の物語を描いています。キム・ギドクの映画が3つにカテゴライズされるのはもはや周知の事実と言えるでしょうが、では本作は果たしてどのカテゴリーに属するのでしょうか。『弓』では、口を利かない(実際には話している言葉が観客には聞こえないということですが)老人と少女に焦点が当てられています。いや、敢えて言うなら、この映画の主人公はその老人1人だと言えるかもしれません。彼は少女と結婚することを待ち望んでいて、その少女に寄ってたかる男達に対し、怒りをあらわにしながら追い払う。そうかと思えば、少女と2人きりの時は穏やかに微笑んだり、時には悲嘆にくれたりもする。その表情や身振りは、キム・ギドクの演出ならではとも言うべき非常に繊細かつ大胆なものです。そう考えてみると、『弓』は『悪い男』『魚と寝る女』と同系譜に属する“クローズアップ映画”だと捉えることが出来るような気がします。しかし、主に“怒り”を描いた初期作品と本作が異なるのは、登場する老人にも少女にも“怒り”とは異なるもう一つの側面があって、その側面もまた同レヴェルで強調されているからです。ちょうど、本作に何度も出てくる重要な小道具である弓にも、武器と楽器という相反する側面があるように。この相反する側面は、ラストシーンで象徴的に描かれる生と死へと置き換えることが出来そうだ、などとも思えます。

それにしても、『弓』を観て改めて確信したことがあります。それは、キム・ギドクの世界が、まったく唯一無二だということです。いったいどういう部分が唯一無二なのか、という問いを発する暇もないほどに、それは圧倒的な説得力を持って、私の前にただある。これは驚くべきことです。
彼が描く寓話(としかいいようがありません)は神話のように普遍的でもあり、だけれども、我々が生きる現実と上手く重ね合わせることが困難です。ありそうでありえない。これがキム・ギドクの映画であり、かつ、彼の人生でもあるのでしょう。

キム・ギドクの想像力は、本作でも爆発しています。例えば、弓占い。あれは彼が創出した架空の占いのようですが、ブランコに乗って揺れる少女に向かって弓を3本射て、それが刺さった位置で判断しているのかどうかは定かではありませんが、とにかくその儀式を経た少女の脳裏に占うべき人間の未来が見えるという、非常に独創的なものです。このシーンは3回繰り返されますが、面白いのはその占いの結果が観客には知らされないということ。謎は謎のまま。この点もまたいかにもキム・ギトク的ですが、3〜4箇所のカメラで撮られたこの弓占いシーンは、そのカット割りの周到さからみても、非常に重要なシーンであることがわかります。死と隣り合わせのこの危険な占いにおいては、2人の間の信頼関係があからさまに顕れてしまうからです。実際、老人と少女の間にそれまでありえなかった“怒り”の感情が芽生えた時、つまり、信頼が揺らいだ時、この危険な占いは第三者の手によって中断されるのです。その第三者とは、少女が恋心を描く青年に他なりません。そしてこの招かれざる客の出現が、この寓話を新たなステージへと昇華させることになります。

青年が登場するまで、老人と少女の生活には彼らだけの論理があり、それは誰にも犯すことの出来ない強固な壁(本作では漁船を囲む広大な海がそのメタファーだったように思います)に守られていました。しかし、まるで“社会”を体現しているかのような青年が2人の間に亀裂を入れることで、結果的にもう一つの選択肢が生まれる。別離でも再生でもない、もう一つの結末が。仮にそのどちらかの結末であっても、この映画は成り立っていたでしょう。しかし、キム・ギドクはそのようにはしませんでした。本作が神話的な崇高さを纏うことになるのも、キム・ギドクによって創造されたこの結末の存在に拠るのです。

死を覚悟した老人の悲愴な決意を前に、少女は失いかけた老人に対する情を取り戻します。そして、まさに儀式と呼ぶに相応しい2人だけの結婚式に至る。色鮮やかな衣装に身に纏った2人は、一見幸福に包まれているかに見えます。儀式の後、2人がボートに乗って漁船から遠く離れていくのを、青年はただ途方に暮れながら見ることしか出来ません。愛の勝利、などという陳腐な言葉すら浮かびそうにもなるこの一連のシークエンスはしかし、その後のある種奇跡にも似た悲劇を際立たせるためのものだったのかもしれません。

映画は時に、いかなる説明をも寄せ付けないようなシーンで観客を呆気なく置き去りにしますが、老人が大空に矢を放ち、その後自らの肉体を海の中に沈めるというシーンに、我々はどのような説明を加えるべきなのでしょう。いや、果たしてそんなことが可能なのか。
老人が命を絶った、という事実を知っているのかどうかすら疑わしい少女が眠りから目覚めると、突如足を大股に開き、まるでセックスをしているかのように一人悶えだすのですが、稀有な事態がただ目の前で起こっているということをただ観てしまう他ないという意味で、先述したシーンに等しい。大股を開いて悶える少女の股間近くに、これまた突然一本の矢が突き刺さろうとも、その矢が当たったわけでもないのに少女の秘部から鮮血が溢れようとも、たとえその矢が先に老人が放ってであろう矢だということを了解できたところで、やはりそんな奇跡が起きてしまっていることを、我々はただ見つめ続けるしかない出来ないのです。

もちろんこの一連のシークエンスに、それらしい説明をつけることが出来ないわけではありません。画面を観ながら、その真意(そんなものが本当にあるのかどうかは別として)に想像をめぐらすことだって可能です。しかしまったく幸いなことに、私はこのほとんど映画ならではの奇跡としかいいようのないシーンの強度に圧倒されてしまったがゆえに、目の前で起こりつつある出来事を説明的に解釈しようなどとは思いませんでした。そしてその強烈な印象が、この映画の神話性を高めるに至ったのだと今は確信してます。

ことほど左様に、『弓』という90分の映画はあらゆる解釈を無効にしつつ、しかし必ず観るものを打つ、そんな映画です。ラストで漁船がゆっくりと沈んでいくショットがありますが、あのように恰好な映画的素材をまるでスペクタクルとして撮ろうとせず、にもかかわらず、そこには叙情性と叙事性が同時に顔を出しているかのような感覚を覚えてしまうのです。あのような芸当をやってのけるキム・ギドクの凄さ、これはもう、いささかも似てはいないものの、ロバート・アルドリッチの凄さとか、モンテ・ヘルマンの凄さとか、そのようななかなか説明出来そうも無い凄さの粋に達していると思います。最後は結局比喩に逃げざるを得ない、しかし最初から比喩の対象などないという意味で、やはりキム・ギドクは唯一無二の映画作家なのです。

2006年09月14日 19:02 | 邦題:や行
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Title: 弓 キム・ギドク
Excerpt: 広い海に浮かぶ船の上で、2人きりで暮らす老人と少女。10年前、老人がどこからともなく連れて来て、宝物のように大切に育ててきた少女が、もうすぐ17歳になる。...
From: Chocolate Blog
Date: 2006.09.18
Title: 『弓』の生々しい欲望
Excerpt: キム・ギドク監督の映画はいつも一貫したテーマ系と似通った設定を持ちながら、初期作
From: Days of Books, Films
Date: 2006.09.22
Comments

>雄さん

記事を読ませていただきました。
キム・ギドクの場合、“愛”というイメージが孕む美しさとは別種の、それこそ生々しくて荒々しい欲望がその根底にあり、それが彼の独自性だと私も思います。
彼の世界は本当に一貫していますね。それは、自分の人生しか撮れないという彼の姿勢を物語っているような気がします。


Posted by: [M] : 2006年09月26日 09:26

自分の感想を書くまで[M]さんのレビューを読まないようにしていましたが、結果的に似たようなところに反応していますね。これが「クローズアップ映画」だというのは、([M]さんがおっしゃるのとはと少し意味が違うかもしれませんが)、私も同意します。そのことによって、最近の彼の作品の美しさと生々しさとが(調和が取れていた『春夏秋冬』などと違って)変にアンバランスで、そこがまたキム・ギドクらしいなどとも思いました。


Posted by: : 2006年09月22日 15:07

>Chocolate様

こんにちは。コメントとTB、ありがとうございます。
(もう一つのTBは削除しておきました)
彼の引退話ですが、彼は特に自国における自分の扱いをこそ気にしているようですが、国外における評価は依然として高いですね。ですから、映画制作自体はやめないんじゃないかと私は思っています。韓国で公開されることはもうないかもしれませんが。


Posted by: [M] : 2006年09月19日 12:11

スイマセン・・・TB間違ってしてしまいました。
1つ削除して下さい。スイマセン。


Posted by: chocolate : 2006年09月19日 10:59

こんばんわっ。

「弓」御覧になったんですね。
もうキム・ギドク凄いですよね・・・
唯一無二の映画作家、本当にそうですとも!
彼意外にこういう映画を作れる人は
世界中どこ探してもいないですもの。
引退なんてしないで欲しいですー。


Posted by: Chocolate : 2006年09月18日 21:31
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