2006年08月29日

『ゆれる』、開かれたフィクション

ゆれる原題:ゆれる
上映時間:119分
監督:西川美和

『ゆれる』の物語を最初に読んだ時、すぐに想起されたのが『ソン・フレール-兄との約束-』(2003年/パトリス・シェロー)というフランス映画でした。実際、その物語はまるで異なるものの、兄弟における互いの視線が変容していくさまを物語の中心に据えてある点、あるいは台詞に頼らず、じっくりと対象を見つめようとするカメラの存在、“救済”とも捉えられるラストショットなど、『ゆれる』を鑑賞した今もなお、その近親性を指摘することが出来るのです。そして本作は、『ソンフレール』がそうだったように、硬質な叙事性と繊細な叙情性を併せ持った、見所のある映画でした。『蛇イチゴ』を見逃したばかりに、この才能を感じさせる女性監督の登場に立ち会うことが出来なかったことが悔やまれますが、若干31歳の西川美和は、私の中では『犬猫』の井口奈巳以来の注目すべき女性監督の一人として記憶されることになるでしょう。

この映画のタイトルである“ゆれる”という言葉には、その言葉どおり、かなり微妙な感情が込められているでしょうし、また、視覚的メタファーとしても、例えば吊り橋だとか川面だとか風に揺れる木々や草花などを思い起こすことが出来ます。どこと無く青みがかった画面における、様々な“ゆれ”が、そのまま本作の主題になっているのだと思います。

例えば、2つの相反する事物や概念があるとして、その片方からもう片方へは、そのほとんどが“直線的に”移行されるわけではありません。愛と憎しみ、有罪と無罪、現在と過去、大人と子供…。それらの対立概念における事実や感情は、絶えず揺らぎながら徐々に移行していくものではないか、と。もちろん、時間という概念は、常に直線的に経過していくものですが、それとて映画の中では解体されることがほとんど、行きつ戻りつ、揺れながら進んでいくものなのです。
そんな、わざわざ書くまでもない当たり前のことが、本作では敢えて注視されていると思いました。

見所はやはり、オダリギジョーと香川照之とのダイアローグに収斂されていると言えるでしょう。
とりわけ二度繰り返される面会所のシークエンスは、通常の切り替えし以外にもフィクションならではのカメラアングル、すなわち、普通ではありえない真横からのショットがあったりして、監督の野心を感じさせました。香川照之が、ほとんど諦念を全面に出しつつも抑えた演出、あるいは静けさを破り唐突に逆上する瞬間の演出は見事としか言いようの無い程。香川照之は、『フリック』の時も凄かったですが、本作はさらにその上を行っていたのではないか、とすら思います。

カメラに関して言うなら、適度なロングショットが作品の雰囲気を作り出していたし、先に書いたように、安直な擬似ドキュメンタリー的テクニックに頼らず、しっかりとフィクショナルな空間を創出していたように思います。

その出自をみるにつけ、ドキュメンタリー的な演出を予想していたのですが、例えば静から動への演出(瞬間的な情動の炸裂)などは、ほとんど反=ドキュメンタリー的に見事に演出されていたと言えるし、あるいは後半で呆けてしまう父親役の伊武雅刀の痴呆の兆しを、短い1ショットだけで表す手腕もまた簡潔で好感が持てました(先に普通に洗濯をする姿を見せていたから、後半のそれが効いていたのです)。

そしてラスト。あの香川照之の、言語を絶した微笑みの美しさには、ラストショットとしての強度が充分備わっていたと思います。たとえその直後に画面が暗転し、映画が唐突に終焉を迎えようとも、観客は“その先にあるもの”について、思考を巡らすことができる。そういう点は、やはり是枝的と言えるのかもしれませんが、少なくとも私はあのラストショットを肯定します。

『ゆれる』は、裁判シーンや真相の究明が中心に据えられているように見えて、実はそのような分かりやすい構図におさまってはくれません。誰かが犯罪者なのか、あるいはそうでないのか。重要なのはむしろ、その過程にあるだろう感情の、意識の、記憶の“ゆらぎ”そのものであり、西川美和はそれを何とか画面に定着させたかったのではないかと思います。結論的なメッセージを本作から読み取ることがなかったのはその所為であり、だから本作は優れて開かれたフィクションなのです。

久々に俳優陣の熱を感じさせるこの映画を、私は予想以上に楽しむことが出来ました。
ちなみに、ある2人の人物の切り替えしで物語が終わり、そのラストショットが非常に含みを持たせた笑顔である映画がもう一本ありました。広末哲万監督×高橋泉脚本(群青いろ)による『阿佐ヶ谷ベルボーイズ』は、『ゆれる』同様、ラストシーンの“その先”を思考させる映画です。

2006年08月29日 19:13 | 邦題:や行
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Title: 『ゆれる』のもうひとつの可能性
Excerpt: 『ゆれる』の評判がいい。僕の行った平日の最終回(新宿)もほぼ満員。オダギリジョー
From: Days of Books, Films
Date: 2006.08.29
Comments

>雄さん

あらためて雄さんの文章を読み返してみました。確かに、この作品をエンターテインメント的なわかりやすい、しかし重厚な作品として仕上げることも出来たような気がします。そして私も、一方でそれを観てみたかったとも。
仰るように、かなり意図的な曖昧さが全編を支配しているので、その部分に積極的に反応するかどうかで、評価が分かれてくるかもしれませんね。
私としては、それでもこの監督はフィクションの枠に留めようと奮闘していたと思って評価しました。

>エノキさん

上記ではオダギリジョーのことにほとんど触れていませんが、20代を締めくくるという意気込みで臨んだ本作は、これまで私が知るオダリギジョーの中で最良の演技だったと思います。これは是非無理してでも劇場で観ていただきたいですね。


Posted by: [M] : 2006年08月30日 09:58

そっかぁ、やっぱ良かったんですね『ゆれる』。
観たい観たいと思って未だ観れておりません。。
今回の香川照之はすごいらしいですね。
もちろん私はオダギリ目当てですが(^_^.)
やっぱ映画館で観たいなぁー。


Posted by: エノキ : 2006年08月29日 23:42

香川照之のラストの微笑は心に残ります。時間が経つほどに沁みてくる映画ですね。

私は[M]さんが「フィクショナルな空間」「反=ドキュメンタリー的演出」とおっしゃる部分に過剰反応して、ないものねだりをしてしまいました。「ゆらぎそのものを定着させたかった」というのは全く同感です。


Posted by: : 2006年08月29日 22:31
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