2005年03月04日

『ソン・フレール〜兄との約束〜』、救済へと到る視線の変容

ソン・フレール『ソン・フレール〜兄との約束〜』の上映後、客もまばらな劇場の隅でしばし思いに耽ってしまったのは、私にもやや年の離れた兄がいて、今はもう年に一度会うかどうかという関係を何年も続けているという状態が、この悲痛な、しかし、穏やかな安らぎをもたらす映画とどこかでシンクロしたからなのか、あるいは、そのラストシーンが『息子のまなざし』のラストショットにおける、“宙刷りの救済”にも似た、妙な安堵感を覚えたからなのか。いずれにせよ、その後に予定していた映画へと緩やかに思考を切り替えることが出来ず、この映画を引きずったまま、何故だか孤独に苛まれつつ家路に向かうほかありませんでした。

『ソン・フレール〜兄との約束〜』は、パリの病院内におけるシークエンスとブルターニュの海辺におけるシークエンスが交互に展開されます。各シークエンスの冒頭に示される字幕を見ても明らかなように、もともと一方向のはずである、冬のパリから夏のブルターニュへと流れる時間の流れが解体されていることがわかるでしょう。この二つのシークエンスは非常に対照的な撮られ方をしていて、色彩設計や俳優の演技の質のようなものまで異なっています。もちろん、それは意図された演出であり、病院内のいささか緊迫感を伴う冷たい描写と陽光に照らされた海岸における(束の間の)開放感が交互に展開することで、観る者は息つく暇もないまま、兄弟の関係性が徐々に変容していく様を追い続けることになります。

本作において最も特筆すべき点は、執拗なまでに繰り返される、人間の肉体そのものへの視線に存しているとまずは言えると思います。それは時にエロティックであり、時に残酷であり、そして穏やかでもある。
病が再発し、ほとんど絶望に打ちひしがれる兄のブリュノ・トデスキーニは、すがる様な目で弟であるエリック・カラヴァカの家を訪ねていきます。長らく反目しあい、恐らく互いに兄弟であるという意識も薄れつつあったでろう二人が唐突に出会うシーンで、弟は困惑の表情を浮かべつつ、心身ともに衰弱しきった兄を看病すると決めます。この時の兄を見つめる弟の視線が、ラストで海を見つめるあの穏やかな視線へとどのように変化していくのか。それが本作の主題となるでしょう。つまり、兄弟の関係性の変容を媒体にした、弟の視線の変容こそが重要なのです。邦題にある“兄との約束”という副題も、本作が弟の物語であることを端的に示しているのです。

しかしながら、我々観客の視線を奪うのは兄の方だと言えるでしょう。生きる望みはもうほとんど残っておらず、もはや光などどこにも見出せない状態で臨む手術に際して行われる、ほとんど儀式のような、機械のように正確無比な看護士による剃毛行為をなすがままに受け入れる兄の深い諦念は、そのシークエンスの異様な長さとともに私の魂を揺さぶるに充分過ぎました。ショッキングとさえ言えるこの剃毛シーンは、恐るべき手際のよさで淡々とこなされていきます。一切の感情を排しているかのような二人の看護士の美しい手さばきと、死体のように痩せこけた兄の痛々しさ。何より肉体そのものが物語を凌駕し、観客に語りかけているような、極めて感動的なシークエンスです。
術後、ブルターニュでの静養に入ってからも、常に死と隣り合わせな状態に晒されている兄は、その手術跡で我々の視線を奪い、そうかと思えば大量の鼻血で死に瀕し、ここでもその肉体が朽ち果てて行く様を強烈に印象付けられてしまう。ではそんな兄に向けて、弟はどのような視線を投げかけるのか。

同性愛者である弟は、兄の看病をするうちに恋人を失っていきます。同じように、兄の恋人もまた、彼の元を去っていくのですが、彼女と弟が最後に交わす会話のシークエンスは、一瞬、かなりの違和感を齎すかもしれません。自らの辛い過去、すなわち、兄との禁断の日々を告白し、吹っ切れたように、同時に何かにすがるように兄の恋人の唇を貪る弟…。このシーンの直前に、弟は兄の病院で一人の青年とすれ違うのですが、兄と同じように病に伏すこの青年との短い会話と、やはり絶望的に塞ぎこむその青年の腕を強く握り締めることしか出来ない弟の言い難いもどかしさが、前述のような一見すると不可解な行為に到らせたのではないかと思います。もはや兄に対する心のわだかまりは少しずつ溶け始め、自分を求める兄に対する視線の変化が表れてくるのです。兄とはほとんど視線が交わることが無い弟ですが、兄の手術を境に兄の苦悩を真に知ることになったのではないでしょうか。弟が、兄と同じような状態でベッドに横たわる幻影を見るシーンはそのように解釈したいと思います。

ブルターニュは癒しの空間として描かれていますが、人気の無い海岸は時にその荒涼さを際立たせ、瞬時に残酷な空間へと変貌しそうな気配もあります。にもかかわらず、兄が自ら命を絶つシーンには、曇天の空と荒れた海というダークな色調に反して、安堵感に満ちているようです。一糸纏わぬ姿で海へと入っていく兄を捉えた美しいショットは、弟の視線そのものだったのではないかと思います。それは他でもない、ラストで海を見つめる弟の優しい視線に重なるのではないか。兄の死によって兄弟が真に“再生”したことを示すあの穏やかなシークエンスによって、弟の物語はようやく幕を閉じるのです。

肉体そのものを深く見つめること、そして、触覚を通じてその肉体を感じること。いくら兄弟とはいえ、そのようにしてしか真に相手を理解できないのかもしれません。

2005年03月04日 00:50 | 邦題:さ行
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Title: 不安の青−ソン・フレール−
Excerpt: 以前に観た『ソン・フレール−兄との約束−』である。かなり,重い。これも,例の「不安の青」である。 『父帰る』,『列車に乗った男』,そして,『心の羽根』と,不安な青の色調をベースにしている映画の一つだ。 病院での衣服,壁,至るところで青みがかった色調が
From: ハードでルーズな生活
Date: 2005.06.06
Comments

>puffさん

こんばんは。ギリギリセーフでしたね。そして、かなり琴線に触れたご様子。おっしゃるとおり、本作は深く味わうタイプの映画かと思います。
映画において、厳しさと美しさは時として共存するものです。そして、そう感じさせる映画の多くは傑作に違いないだろうと、今はそんなことを考えています。


Posted by: [M] : 2005年03月09日 19:53

[M]さん、こんにちは

昨日やっとこさ観に行って来ました。
どうも長く上映する作品は安心してしまい
終了間際にドタバタして行くという大慌て者です。

いやはや、この映画は、、観た後はそっとしておいて欲しいような
しばらく一人で居たくなるような、そんな映画でした。
言いたいことはたくさんあるのに上手い言葉が見つからなくって、、
[M]さんが代弁して下さってありがとうございます。エヘ
人は海から生まれて海に帰って行く・・・
海を見つめる二人の眼差し
言葉もですが、それ以上に、この映画では眼差しが
印象的でしたよね。
厳しいシーンの連続なのに、何処か美しさも感じる、、
ワタシにとって忘れられない作品となりました。


Posted by: Puff : 2005年03月09日 18:14

>だいなごん様

こんばんは。コメントありがとうございます。ご覧になりましたら、是非感想を書き込んでいただければと思います。今後ともよろしくです。

>7ntrdbl様

こんばんは。私は監督のテーチインに出席できませんでしたが、WEBでその日の模様を読みました。本作は、端的に言って、“いい映画”という範疇に属するかと。
今後ともよろしくです。


Posted by: [M] : 2005年03月06日 21:04

TBありがとう!
また何かあったらよろしく。
楽しみにしてます。


Posted by: 7ntrdbl : 2005年03月06日 13:18

こんにちは、TBありがとうございました!
映画たっくさん観ているんですね〜驚きました。
女性の意見、とあるので観に行ったらコメントします♪


Posted by: だいなごん : 2005年03月05日 21:49

>こヴィさま

初日に観られていましたか。私の周りでは、後輩(♂)1人だけが観たようですが、女性の意見は確かに聞いてみたいです。
こヴィさんは、好みだと思っていましたよ、何故だか。


Posted by: [M] : 2005年03月04日 14:36

>Mさん
初日に観て以来、友人に会うたびにこの映画のことを語っています。今回の作品、Mさんとほとんど同じこと感じました。『息子のまなざし』は私も連想しましたし。女性の感想が聞いてみたいです。


Posted by: こヴィ : 2005年03月04日 03:51
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