2006年07月27日

2本のカルト映画にまつわる記憶〜『ミッドナイトムービー』を観て

ミッドナイトムービー原題:MIDNIGHT MOVIES
上映時間:86分
監督:スチュアート・サミュエルズ

“カルト映画”という言葉を最初に知ったきっかけは、多分、どこかの映画雑誌を読んでいた時だったと思います。当時、私はまだ15歳くらいで、オカルト映画との差異もほとんど分からなかったのではないでしょうか。だけれども、観る事が容易ではなく、観てしまったら熱狂的に支持してしまうような映画なんだというイメージだけは、その雑誌からも強烈に伝わってきたのでした。

私が住んでいた千葉県にある小さな町にはレンタルヴィデオ屋が4軒ほどあって、その全ての会員だった私は、その内の一軒にて“カルト映画”というインデックスのついた棚を見つけます。おお!こんなちっぽけなヴィデオ屋にも棚があるっていうことは、結構有名なジャンルなんだな、などと感心し、早速その棚を隅々まで観察すると、どうやらそれまで観た事が無いような作品ばかり。その時、名前だけは知っていた『エル・トポ』や『ピンク・フラミンゴ』、『ロッキー・ホラー・ショー』や『イレイザーヘッド』を発見するのです。もしかしたらその棚には、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』や『ハーダー・ゼイ・カム』なんかもあったかもしれません。そしてその中でも強烈に興味を惹かれた作品が『エル・トポ』や『ピンク・フラミンゴ』でした。

ところで、“カルト映画”を映画の一ジャンルとするなら、その他のジャンルと何が異なるのでしょうか。
例えば西部劇やホラー、コメディ、SF、時代劇などという既存のジャンルに関して、我々は、たとえ大雑把にでも説明することが出来ます。それらのジャンルは、観客とは無縁の領域でそれぞれの映画に振り分けられ、そして観客に宣伝される。だから観客は、そういうジャンルの映画なんだ、という心の準備を整えつつ、作品を鑑賞することが出来るのです。
一方、作品に立ち会った観客の熱狂度合いによって決定される新たなジャンル、既存のジャンルには到底当てはまらず、ごく限られた観客にのみ強烈なインパクトを植え付けるようなジャンル、それが“カルト映画”だと、『ミッドナイトムービー』では宣言されていました。
私は本作で始めて『エル・トポ』の一部をスクリーンで鑑賞したに過ぎず、当時も薄汚れたヴィデオで鑑賞しただけですが、それでもあの時感じた衝撃、そしてその後も何度も何度も観返したことを思い出すにつれ、なるほど、私はあの時確かに熱狂的だったと断言出来ます。こんな映画観た事が無い! 学校で友人達にそんな興奮を伝えようと必死に宣伝してまわった程です。

閑話休題。
そんなわけでまずは『エル・トポ』を鑑賞することになるのですが、この映画の一体どこに過剰な反応を示したのか。細部を列挙することは可能ですが、端的に言うなら、そこに展開される画面や背景にある物語を含め、私の理解をほとんど超越していたという部分にこそ認められます。まだそれほど多くの映画を観てはいなかったこともあるのでしょうが、その凄さを言葉で説明しづらいということ、つまり、私の内にカオティックな感情や感覚を生じさせたということなのでしょう。それらはなかなかアウトプットされないまま、その濃度だけが高まっていったのです。

『ミッドナイトムービー』はまず、深夜興行のメッカであるエルジン劇場の館主やプロデューサー、そしてアレハンドロ・ホドロフスキー監督へのインタビューを通じて、『エル・トポ』がいかにして“カルト映画”になったのかを解明していきます。1970年の秋、深夜0時過ぎのエルジン劇場とは一体どんな空間だったのか、そして、そこに詰め掛けた観客や新聞記者の反応がいかに熱を帯びていたのか。マリワナでトリップしつつ撮られた映画を、同じようにマリワナをキメた観客が観るという、時代性を象徴するかのようないかにもアンダーグラウンドな空間がそこにはあったのです。

カウンターカルチャーが終焉を向かえてもなお、アメリカ映画はアメリカンニューシネマと呼ばれる作品群が残されてはいました。無力感や挫折を感傷的に描いたこれら作品群とは、しかし、決定的に異なるのが“ミッドナイト・ムーヴィー”だったのでしょう(この視点に立てば、60年代から映画制作に乗り出したアンディ・ウォーホルが70年代前半にポール・モリセイと組んで撮ったゲテモノめいたエロ・グロ作品もまた、私にとっては紛れも無い“カルト映画”です)。観客の内に渦巻くエネルギーを開放できる作品として、あるいは、現実の延長としての映画ではなく、別次元へと飛翔させてくれる映画として、70年代初頭に無意識的に欲求されていたのが“ミッドナイト・ムーヴィー”だったとも言えるかもしれません。

さて、もう一本のマスターピース『ピンク・フラミンゴ』ですが、そのショック度は『エル・トポ』と同様、いや、それ以上だったかもしれません。宗教的で儀式的、つまり難解だった『エル・トポ』とは対極に位置するかのような映画、下劣極まりなく、かといって高度に政治的でもあった『ピンク・フラミンゴ』という映画と主演のディヴァインという怪優の名前はすぐさま脳裏に刻まれ、やはりその後何度も再見することになります。世界一下品な人間を競い合うという荒唐無稽な物語もさることながら、ありとあらゆる性的倒錯がほとんどドキュメンタリー的に撮られている本作に“影響を受けた”などと言えばあらぬ誤解をされそうですが、初めて鑑賞してから数年後の1998年、今はなきシネヴィヴァン六本木にて公開された『ピンク・フラミンゴ<特別篇>』の初日に駆けつけられたことは全く感動的で、そこで私は改めて、映画にタブーなどないのだということを確信するに至ったのですから、やっぱり影響は受けているのでしょう。

“カルト映画”監督たちのインタビューを聞くと、彼らが非常にストレートな人間であることがわかります。嬉々として映画を撮ってみたら、それが問題作になってしまったという感じ。またそれとは逆に、誰もやっていないことをやってやろうという野心もあったでしょう。いずれにせよ、彼らの美学、人間や世界に向けた独自の哲学、途方も無い想像力が時代の歯車と一致したということです。

ある種の祝祭性が充満した劇場で“カルト映画”を観るという特権に、当時の私は激しく嫉妬しました。後20年早く生まれていたら…などと本気で思っていたのです。そしてその思いは未だ完全に消え去ったわけではありません。それほどまでに、“カルト映画”は私に新たな世界を提示してくれました。今の私があるのは、あのターニングポイントがあったからだとさえ言えるでしょう。そして、この『ミッドナイトムービー』という映画を観て、そんな風にノスタルジックな気分に浸ってみる体験も消して悪くはないのです。

最後に、ここでは触れませんでしたが、前述した2作以外のカルト作品に同じような記憶がある方にとっても本作は必見ですので、どうかお見逃しなきよう。

2006年07月27日 18:40 | 邦題:ま行
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