2006年06月02日

『ドッグ・デイズ』を観ても特に驚いてはならない現実に、私は生きている

ドッグ・デイズ原題:HUNDSTAGE
上映時間:121分
監督:ウルリヒ・ ザイドル

ミヒャエル・ハネケ特集の記憶も未だ覚めやらぬうちに、こうも凄い逸材がオーストリアから現われるとは。あのヴェルナー・ヘルツォークが本作の監督を激賞しているのですが、確かに未だ聞きなれぬ名前を持つこの監督、やはりあたりに衝撃を走らせてデビューを果たしつつも、もはや映画を撮らなくなって久しいハーモニー・コリンの初期作品と比べてみると、その手触りが大きく異なるような気がします。より社会的、とでも言いましょうか…。

監督の名前はウルリヒ・ザイドル。1980年にドキュメンタリー作家としてスタートした彼は、約20年を経て、長編劇映画を撮りました。それがこの『ドッグ・デイズ』という映画です。すでに国際的な評価を獲得していたらしいウルリヒ・ザイドルですが、この第2のデビュー作というべき映画は、私の想像を遥かに超えた映画であると同時に、これまでスクリーンで一度も観た事がなかったような、ある意味ショッキングというかスキャンダラスというか、そんな画面を私に見せてくれたという意味で、今のところ他のどの映画とも異なる、やや大仰な言い方をすれば、孤高の作品だと言うことが出来るかと思います。

例えば今、『ドッグ・デイズ』とミヒャエル・ハネケの作品を、その題材を巡って、あるいはそのスタイルを巡って比較したいという気持ちが無いわけではありませんが、ここではあえてそれを回避し、ウルリヒ・ ザイドル監督が撮った初の長編に対する率直な感想を書くに留めておきます。

『ドッグ・デイズ』の説話的構成自体は、それほど特異なものではありません。
ウィーン郊外の新興住宅地に暮らす数人の人物にスポットを当て、彼らが1年中で最も暑い数日間(これを“ドッグ・デイズ”と呼ぶらしいです)をいかに過ごしているのかが並行的に描かれるのですが、ほとんど繋がりの無いそれぞれの日常が、ラストに至って(消して見事にではなく)かろうじて繋がるという、言ってみればそのような構成になっています。
構成という一要素だけ抽出すれば、『マグノリア』や『クラッシュ』とさほど変わりませんし、所謂ドキュメンタリー的な表現についても、それこそハーモニー・コリンやダルデンヌ兄弟、ドグマ95の諸作品などもあり、まるで珍しくもありません。
では、『ドッグ・デイズ』のオリジナリティはどのような部分にあるのでしょうか。

実はそれをピンポイントで指摘するのは難しいのですが、私が思うに、徹底したリアリズムの中にフィクショナルな(≒映画的な)ファクターが、かなり絶妙な按配で配置されているところだと思っています。つまり、いささか乱暴な言い方ではありますが、『ドッグ・デイズ』は単なるリアリズム指向の映画に収まらず、物語るための仕掛け(言い換えれば、誰にでも了解可能な分かりやすさ)まで計算されているということです。本作で初めてフィクションに挑戦した監督が腐心したのは、恐らく、“いかに物語るか”ということだったのではないかと思うのです。

ところでリアリズムに関して言うなら、映画におけるリアリズムの多くは所詮“作られたもの”であるに違いないのですが、にもかかわらず、登場する人物や背景が、現実世界にも実在することを微塵も疑わせない演出、ここでいうリアリズムはそのような意味です。あるいは、“現実そのまま”であることなどありえないと知りつつも、“それが現実だ”と思わせてしまう演出とでもいいましょうか。そのために監督は、主要な登場人物に素人を起用しているし、劇映画らしからぬ、あまりにとるに足らないが故にいやおうなく“リアル”足らざるを得ない日常描写を、ほとんど反=映画的ともいえる姿勢で積極的に取り入れていくのです。その意味でも、ウルリヒ・ザイドルはかなりしたたかな戦略家かもしれません。

さて、では『ドッグ・デイズ』という映画におけるフィクショナルな部分とはどこを指すのか。それは、ウィーンの郊外に住んでいるという点を除けばそもそも互いの関係性など無いに等しいそれぞれの登場人物が、それがフィクションであるが故に、ある状況や装置を介して相互に絡み合っていくという説話構造です。改めて言うまでもなく、フィクションの構造自体に偶然が介入する余地はないのですが、本作においても、物語の進行とともにそれぞれの日常は相互に緻密に計算された接点を持っていき、そしてラストの雨においてそれらが控えめながら統合されるのです。そう、あの“雨”の存在こそがこの映画のフィクション性を際立たせていると思います。ちょうど『マグノリア』で突如降ってくる“蛙”のように、“雨”もまた等しく彼らのもとに降り注ぐ。しかしそれが分かりやすい答えを導き出す“雨”でないことも、ウルリヒ・ザイドルの倫理だったのでしょう。

つまり『ドッグ・デイズ』は、細部は徹底的にリアリズムに拘りつつ、換言すればドキュメンタリー的な演出を用いつつ、その構造は極めてフィクショナルな映画だということです。インタビューを読むと、監督は順撮りに固執したようですが、それはどこかで物語が異なる方向に飛翔する可能性に、常に意識的だったからではないでしょうか。そういう自由度はドキュメンタリー的と言えるでしょうし、納得いく太陽が出るまで撮影を中断したり、酔う演出では本当に酒を飲ませ、暑がる演出ではヒーターで周囲の気温を上げるという、言わば俳優達の体調まで操作しようとするリアリズムは、まさに物語に貢献させると言う意味で非常にフィクショナルでもあります。このあたりのバランス、曖昧さと厳密さとのバランスにこそ、本作のオリジナリティが認められると思うのです。

かようにして“いかに物語るか”を突き詰められた『ドッグ・デイズ』に、私は、厳密なドキュメントが普遍的な物語に変わる様を感じることが出来ました。あの登場人物のいずれかが、仮に自分だったとしても一向に不思議ではないという感覚。彼らの日常は一見、非=日常的でありながらも、実はあれこそが現代の都市に生きる人間の日常に他ならないということ。実際、私が生きている現実が、あの異様に映りもする光景と、いったいどこが違うというのか。彼らもまた社会に生きる人間であり、我々同様、嫉妬や恐怖や虚無や憎悪や悲しみや愛おしさという、誰もが持つ感情を共有しているのです。

つまり私は、『ドッグ・デイズ』を観ても驚いてはならない現実に生きているということなのでしょう。
『ドッグ・デイズ』は、優れて批評的にあるいは倫理的に、それを教えてくれるのです。

2006年06月02日 17:30 | 邦題:た行
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Comments

>CHOCOLATEさん

本作は文章で説明するのが非常に難しいですね。いろいろ書き連ねてなんですが、観ていただく他ないというのが率直なところです。
監督の名前は記憶しました。次回作の情報にも目を光らせておきたいと思います。

>ヴィ殿

そうですね、私も決して安直なラストではなかったように思います。少なくともそうは描かれていなかったような。断絶していた夫婦が雨に濡れながら並んでブランコを漕ぐシーンがありましたが、あれだっていささかもポジティブには取れませんよ。『マグノリア』は決して嫌いではありませんが、それでもラストに若干の疑問を感じざるを得なかったということを、本作のラストで思い出した次第です。


Posted by: [M] : 2006年06月05日 12:16

“雨”と“蛙”や、「ガンモ」の嵐&雨(プール)は、私も思いました。しかし、「記録的な猛暑が続き、人々が狂気へ針が振れ、雨で冷やされる」という構造だとすれば、ややもするとこの我々が共有する現代社会の問題が「解決された」ように見えてしまわないか、という懸念があります。しかしそれでも「パズルのピースがぴったりと嵌まるような」スッキリ感で終わらなかったのは良いのかな。ちなみに私はあれ以来「モ〜ニャ〜♪」の歌が頭から離れません……。


Posted by: こヴィ : 2006年06月03日 01:32

こんばんわっ。

レビュー拝見しました。
そうですね、ドキュメンタリーっぽいけどフィクションなんですよねー。
その辺の作り方が私もすごいって思いました。
映画を見てるって気がしないっていうか、
まるで誰かのホームビデオでも見せられてるかの様な気になりました。
ウルリヒ・ザイドル監督は要チェックですよねー。
新作も是非日本で公開して欲しいです。(*^_^*)


Posted by: CHOCOLATE : 2006年06月02日 22:19
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