2006年05月18日
『夜よ、こんにちは』、マルコ・ベロッキオはファンタジスタである
原題:BUONGIORNO, NOTTE
上映時間:105分
監督:マルコ・ベロッキオ
イタリア現代史における重大なテロ事件である、「赤い旅団」によるアルド・モロ元首相誘拐殺人は、マルコ・トゥリオ・ジョルダーナの『輝ける青春』においても間接的に描かれていましたが、この2人の映画作家の視点は大きく異なっています。もっとも、『輝ける青春』ではソニア・ベルガマスコ演じるジュリアが、テロリズムに傾倒していく過程と、投獄を契機に改心し改めて家族というものを見直していく様子に重点が置かれ、「赤い旅団」そのものに関して多くを語っているわけではありませんでしたが。
どちらかと言えば、60年代後半以降のイタリア現代史という逆らいがたい大流がまずあり、それに翻弄されつつもなお失われることの無い普遍的な愛や友情を、ある“家族”のを通して描こうとした『輝ける青春』は、“政治を間接的に取り込んだ青春映画”だと思っているのですが、一方の『夜よ、こんにちは』は、「赤い旅団」の内部から、その中で唯一の女性テロリストであるマヤ・サンサの人間性の変遷を通して歴史的な事件を対象化したと言う意味で、“青春の痛みを政治的に描いたドラマ”ではないか、と。ここで言う“政治”という言葉を用いたのは、内部と外部それぞれの相互干渉的な関係性が主題になっていたと思われたからです。あるいは、歴史や事件として政治を取り上げるというより、ドラマそのものが帯びる政治性が際立っていたということでしょうか。
本作において驚くべきは、マルコ・ベロッキオのあまりに独創的な語り口です。この“政治的”事件が主に、テロリストとしてのマヤ・サンサの瞳の揺らぎを媒介として語られるところが素晴らしい。マヤ・サンサの大きな瞳は、何より雄弁に彼女自身を語ります。とりわけ印象的だったのは、モロ首相を演じたロベルト・ヘルリッカが監禁される小部屋を、小さな覗き穴から凝視するマヤ・サンサのクローズアップです。その瞳には、彼女の中に渦巻くカオティックな感情が込められていたと思うのです。
主要な舞台である、とあるアパートの一室、あの限定的空間の内部と外部。さらに、そのアパートの中に設けられた監禁部屋の内部と外部。そしてマヤ・サンサ自身の内部(心情)と外部(行動)。それらが相互に干渉しあう時、そこには繊細極まりないサスペンスが生起し、それを観ている観客はただそのサスペンスに息を飲むほかありません。そしてサスペンスといえば、マヤ・サンサが働く図書館の螺旋階段とエレヴェータもまた実にサスペンスフルな場として描かれていたことが思い出されます。中盤で繰り返し登場する、エレヴェーター内部からその外部に向けられたカメラの視線が、遂にその内部へと切り返される瞬間には文字通り手に汗握ってしまったし、後半で図書館に警官がどっと押し寄せた時、それを発見したマヤ・サンサが逃げるように螺旋階段を下りていく描写と彼女を追っているかのような警官達とのカットバックにもまた、高度に映画的なサスペンスが画面を支配していたと思います。そう、本作はまさにサスペンスそのものだったと言ってもいいかもしれません。
そしてラストシーン。テロリストとしてのイデオロギーが時間軸とともに揺らいでいくマヤ・サンサが最後に見たものは、「赤い旅団」から開放されたモロ首相が、霧雨の中を歩いていくイメージでした。それはもちろん、現実にはありえなかった幻影に他なりません。彼女が夢想した現実と目の前に横たわる真の現実の差異が生んだあの光景は、例えば、モロ首相が物語のラストで無残に殺されるシーンを見せる正攻法に比べ、より残酷ですらあったと思います。それが幻に過ぎないという現実が、最後の最後に示されることになるからです。しかし同時にあのイメージは、何と美しいファンタジーとして私の目に映ったことか。そこには肯定や否定を超えた、まさに映画ならではの“夢”としか形容できない何かがありました。陰惨な歴史的事件を題材にしつつ、マルコ・ベロッキオはその緊張感極まる物語の最後に、ふと現実ではない、もしかすると“起こりえたかもしれない”光景を紛れ込ませたのです。
このシークエンスを観て感じた新鮮な驚きは、マルコ・ベロッキオを映画のファンタジスタだと確信するに充分でした。私はマルコ・ベロッキオの旧作を全て、たとえ一生かかってでも何としても観なければならない、そのようにも決意するのでした。
2006年05月18日 12:11 | 邦題:や行
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>ヴィ殿
なるほど、あの強く真っ直ぐな目は確かに。
兄の予知夢とマヤ・サンサの幻視は、一方はその通りになり、一方はそれが叶わないのですが、いずれもそうであるがゆえの残酷さ、という点では共通していますね。
Posted by: [M] : 2006年05月26日 12:49
これ実は一度も二人は対面しないんですよね(たしか目だけ一度合う)。彼女の目と「亀も空を飛ぶ」の少女の目、そして兄の予知夢とマヤ・サンサ(キアラ)の幻視とダブりましたーー。
Posted by: こヴィ : 2006年05月26日 04:15