2006年04月17日

映画において、男女はいかにして横たわるか

という講演(義)を聞いてきました。ABC本店内・カルチャーサロン青山にて。
この場所には嘗て、「シネコン」発売記念として開催された青山真治氏と阿部和重氏のトークショーに参加して以来でしたが、その時とは違って流石映画狂人先生のイベント、会場15分前に到着したときには、すでに30人ほどの列が出来ていました。ただの講義だけならまだしも、ヴィデオ上映も交えた講義なので、席取りが重要、と気づいた時にはすでに遅かったというわけです。何とか前から3列目を陣取るも、スクリーンを観るにはどうにも…今後の教訓にします。

さて今回で14回目を数えるこの“とことん語る”シリーズ、私は初参加でした。では何故今回参加する気になったのかというと、そのサブタイトルに“にっかつロマンポルノ”という言葉が入っていたからに他なりません。著書では幾度か読んだことがあるものの、氏の口から直ににっかつロマンポルノの話を聞いたことが無かったし、その主題が“横たわること”であれば、これは聞きに行かない訳にもいかないな、と思った次第。

氏の根本的な主張は、“制度的にも造形的にも、映画における男女は、同時に横たわることを執拗に避けてきた”というものです。私の拙い知識ではあまり頼りにならないのですが、なるほど、確かにそのような絵は“少ない”かもしれません。例えばここ数年観た映画の中で、横たわる男女を(真)俯瞰で捉えた画面を思い出せないわけではありませんが、それは恐らく、あくまで例外的なものなのだ、という風に言ってしまいたくなる程、氏の論考と実証はなかなか興味深いものでした。

時間が押してしまったせいで、にっかつロマンポルノへの言及が少なくなってしまったことは悔やまれますが、『新婚道中記』の猫によるギャグの普遍性、『晩春』のあの場面の特異性、『奇跡』の奇跡的なシークエンス、『日本やくざ伝・総長への道』における瑞々しさと残酷さ、『(秘)女郎市場』のありえないカメラワークと出鱈目極まるがゆえの衝撃等々、新たな発見も数多くあり、2時間という時間が短すぎるように感じました。それはまるで、滅法面白い映画を観終えた時のような感覚、と言えば伝わるでしょうか。

男と女が共に横たわらず、どちらかが横たわり、どちらかが傍らに立つ(居る)という画面の必然、視線に高低差が生まれることで生起してくる官能性、そして横たわることと死との関係性……これらは、やくざ映画やにっかつロマンポルノだけではなく、あらゆるジャンルを横断していく、映画においては重要なファクターなのかもしれません。

講義終了後、私はすぐさまトイレに駆け込んだのですが、氏と並んで用を足す貴重な機会を得た、ということを最後に書き加えておきたいと思います。

なお、上映された作品は下記の通りです。

『新婚道中記』(1937 レオ・マッケリー)/『散り行く花』(1919 グリフィス)/『ブーローニュの森の貴婦人たち』(1944 ブレッソン)/『晩春』(1949 小津安二郎)/『今宵かぎりは』(1972 ダニエル・シュミット)/『奇跡』(1955 カール・ドライヤー)/『次郎長三国志 第六部「旅がらす次郎長一家」』(1953 マキノ雅弘)/『リオグランデの砦』(1951 ジョン・フォード)/『侠客列伝』(1968 マキノ雅弘)/『日本やくざ伝・総長への道』(1971 マキノ雅弘)/『明治侠客伝・三代目襲名』(1965 加藤泰)/『(秘)女郎市場』(1972 曽根中生)/『生贄夫人』(1974 小沼勝)/『人妻集団暴行致死事件』(1978 田中登)

2006年04月17日 19:43 | 映画雑記
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