2006年03月13日

バランス感覚

早くも本年度ベスト候補を観てしまい、先週末は覚めやらぬ興奮とともに終了。
現在恵比寿ガーデンシネマで上映されている2本は、いずれも水準が高く、同時にまるで異なる映画でもありますので、共に未見の方は、そのどちらかを選ぶという消極的姿勢ではなく、両方を観るという積極的姿勢で、この2本の作品に接していただければと切に思います。

ただ私の場合、そのような傑作と呼ぶべき作品ばかり観てしまうことは、それはそれで不健康ではないかと思ってしまう一面があるので、その2本と同時に、所謂くだらない作品もあわせて鑑賞できたことを、結果的に幸せなことだったのではないかと思い初めているのですが、それがハリウッド映画に他ならなかったという事実は、やはり、あまり軽くは考えられないところ。
以下簡単にそれぞれの作品に関して。

『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』は、昨年のカンヌ映画祭で主演男優賞と脚本賞の2冠を獲った作品だったので注目していましたが、監督がトミー・リー・ジョーンズだったというところがまた興味深く、さらに脚本がギジェルモ・アリアガだったので、ただならぬ作品の予感も。とにかくまずキャスティングが素晴らしく、登場人物それぞれが持つ“味”はほとんどベテラン監督が演出したかのようで、すでに俳優としてのキャリアは長いトミー・リー・ジョーンズの生き様というか思想というか、そのようなバックグラウンドがなければとても撮りえなかったのではないか、という意味で、大人の映画だったと思います。予告編でも流れた馬の落下シーン、あれだけを観ればありがちなドラマチックなスローモーションに他なりませんし、それはそれで映画的な興奮を感じさせてくれるのですが、その後のシークエンスがあまりに淡々としていて驚き、言い換えれば、馬が落ちたことをそれ以上のこととしては描かず、こちらの興奮も瞬間的に冷めさせてしまうような演出は見事というほかありません。意図的な時間軸の操作はいかにもギジェルモ・アリアガ的な展開ですが、無駄な説明が無いという部分に好感が持てます。
本作のラストに関してはここでは触れずにおきますが、なるほど、そう来たかと思わせられ、まぁよくこんな映画でデビューしたものだな、という感じ。いろいろと書いてきてこんなまとめ方もないのですが、一切の説明を一端忘れた上で、この映画は観て頂きたいなと思います。

『うつせみ』はどちらかと言えば『サマリア』に近い感覚を呼び起こす作品。
今回も台詞が極限までそぎ落とされているので、様々な解釈が可能ではありますが、『サマリア』に比べると、より“明確な”ものだったようにも。ただし、そこに漂う余韻はいつものキム・ギトク的なものであり、決して彼の衝撃性が失われたという意味ではありません。『うつせみ』という邦題は、逆説的に寓話性を際立たせているかのようで悪くはないのですが、私としてはいつものようにぶっきらぼうなタイトルのほうが好みではあります。

さて、最後に『イーオン・フラックス』。
本作で興味深い点があるとすれば、それは物語が始まる以前の時代/世界設定の部分ではないかと。つまり裏を返せば、最初にナレーションで説明されてしまうこと以上に興味深い点が見当たらなかったということなのです。もちろん、美術や衣装にはそれなりに力が入ってはいますが、新しい発見に繋がるものはなく、強いて言えば、『ホテル・ルワンダ』のソフィー・オコネドーがあの時とは全く異なる役柄に挑戦している様は悪くなかった、と。もともとSFがそれほど好きではないのかもしれませんね、私は。ただし、アクション映画として本作を観た場合でも、やはり美点を挙げるのは難しく、シャリーズ・セロンの美しさは別に本作に限ったわけではないし、結局はほとんどが銃撃戦なので肉体アクションとして観るべき部分もなかったとは思います。マシンガン撃ちまくれば周りにいる敵は人間はイヤでも死んでいくでしょう。そこにどんな情動を創出できるか、全ての銃撃戦が興奮に値するわけではないのです。
しかし先ほども書いたように、傑作ばかり観ていては駄目だという私の思いにより本作をセレクトしたのですから、観たことはいささかも後悔していません。あくまでバランス感覚が大事。そういうことですかね。

2006年03月13日 13:30 | 悲喜劇的日常
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