2005年12月12日

『ブレイキング・ニュース』あるいは、ズレていくことの魅力

ブレイキング・ニュース映画を観ていると、時に、空いた口が塞がらないという状態になることがあります。それは、あまりに弛緩した画面に呆れかえる場合と、あまりの素晴らしさにしばし放心状態に陥る場合とに分けられますが、50歳を超えて今なお世界一多作ではないかと思われるジョニー・トー監督の新作『ブレイキング・ニュース』の冒頭7分間にわたる、息を飲むほか無い程緊迫したシークエンスショットの見事さを前にした私は、文字通り空いた口が塞がらない状態になりました。無論、後者の意味で。

どこにでもあるような香港の路地の一角を、やや俯瞰気味で捉え始めたカメラは、その路地を歩くある男の姿を追い続けます。どうやら強盗団の一人であるらしい彼がアジトである雑居ビルに入ると、カメラはやや先回りして3階に位置するそのアジトの室内を捉えるのですが、ふと部屋から目をそらしたカメラが、さらに上階から落ちてきたと思われる一枚の新聞紙のひらひらと落ちていく様子を捉えるあたりの呼吸、その新聞紙がすぐ傍で張り込んでいる刑事の車に落ちるあたりに漂い出す、物語が疾走し始めることを告げるかのような期待感、刑事がその新聞紙を手にし声に出して読み出しても、カメラが凡庸に刑事のアップを捉えたりせず、あくまで“流れ”を断ち切ろうとしないという徹底性、強盗団たちがアジトから出てきたことで生まれる硬質の緊迫感が、まるで事情を把握していない2人の警官の介入によってさらに増していく時の、いかにも胸躍る映画的な展開、そして、強盗団による一発の発砲が、突如としてその場を銃撃戦の只中へと変貌させる衝撃性、それ事態が暴力と化した重い銃撃音と空を切る弾丸の軽快音のコントラスト、そして一通りの銃撃戦が終わり強盗団を取り逃がした後に一瞬漂う虚脱感とすぐさま疾走し始める登場人物たちの躍動感。これら全てが流麗なカメラワークにより1シーンに収まっているのを目撃した私の口が、まったく阿呆みたいにポカーンを開いたままになってしまったとしても、それはもう不可避の事態として受け止めなければなりません。

本作は所謂“追っかけ”の形態をとっています。マスコミにより信用が失墜した警察側と、その裏を掻きながら警察を挑発しつつ逃げる強盗団による“追っかけ”という図式は、それだけで映画の題材足りえるのでしょうが、ジョニー・トーはそこに“カメラの目”という視点を導入することで、通常の“追っかけもの”にメタ的な要素を取り入れています。ちなみに、ここでいう“カメラの目”とは、もちろん、透明な存在として映画を撮るカメラではなく、警察側に装着された小型カメラのことです。
その新しい視点が生み出すドラマが、本作の主題でもあるのですが、私が非常に興味深かったのは、ジョニー・トー独特なユーモアの部分、例えば強盗団が逃げ込んだ団地で偶然彼らと鉢合わせてしまったある家族が絡む一連のエピソードにより、この一見現代的な映画にある種の亀裂が走り、そこで生まれるズレが、物語に大いに貢献しているような気がしたのです。

特筆すべきは、やはり、中盤で繰り広げられる料理、そして団欒の食卓を囲むシーンでしょう。強盗団と同じようにやはり警察から逃れてきた殺し屋の2人組との奇妙な掛け合いの面白さ、追われる側という接点だけで、両者の間に漂う友情にも似た雰囲気の最たるものとして描かれるのが、この手の物語に全く相応しからぬ料理のシーンであるということ。かなり細かいカット割りで撮られた2人の犯罪者による見事な包丁さばきや調理ぶりが、何気ない会話と見事に調和し、非常に異質でありながら妙に平和なシークエンスを形作っています。このシーンの堂々たる演出に、私は冒頭のシークエンスショットと同様に驚きを禁じ得ませんでした。
以降の団欒シーンは、物語上、警察へのカウンターとして巧みに利用されるのですが、この一連のシーンは、まるでそんなシーンなど観たこともないかのような不思議な印象を齎すのです。先に述べたジョニー・トー的な“ズレ”は、つまりそういう部分に存するのです。

本作のラストは、最終的に警察側が犯人に追いつき、幕を閉じます。強盗団のボスは、物語のラストに相応しく、それなりに美しく死ぬことになるでしょう。数ある刑事もののジャンルを大きく逸脱することも無く終わる『ブレイキング・ニュース』ですが、冒頭の異様とも言えるシークエンスショットや、中盤の意図的な弛緩として記憶される、その意味ではやはり異様な調理シーンや食事のシーンを撮りつつも、最終的にこの“追っかけ”を完璧に語りきってしまうジョニー・トーの凄さ。それがどれ程凄まじい強靭さに支えられているかを、これまでいくつかの香港映画が教えてくれましたが、今、ジョニー・トーのある種の図々しさに、香港映画の魅力を改めて重ねてみたい、そんな気がしています。

2005年12月12日 22:58 | 邦題:は行
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Comments

>秋日和さま

ああ、なるほどそういうことでしたか。それならおっしゃる事もわかります。『アカルイミライ』は確かにそうでしたね。

こちらも日々読ませていただいております。今年もいい映画を沢山観たいですね。


Posted by: [M] : 2006年01月10日 23:21

すみません、フィルム上映でしたが、撮影されたのが今流行の映画用ハイビジョンで、たとえば『アカルイミライ』とかとおなじやつだと思われるのでした。
これはフィルムにかなり近いといわれるDVで最終的にはフィルムに変換されます。でも、ボクそれには結構敏感になってしまうんです。
今年もこちらのブログをいろいろ参考にさせて頂きます。


Posted by: 秋日和 : 2006年01月10日 12:34

>秋日和さま

あけましておめでとうございます。
『ブレイキング・ニュース』、堪能されたようで何よりです。
あれはヴィデオ上映だったんですか。恥ずかしながら、まるで気づきませんでした。もちろん、フィルムの魅力はありますが、今回全く気にならなかったということは、あるいは、自分の中でヴィデオを無意識的に許容しているんだな、と思いました。昨年はDVものを沢山観ましたから。

ともあれ、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。


Posted by: [M] : 2006年01月10日 11:03

遅ればせながら『ブレイキング・ニュース』いってまいりました。
冒頭の銃撃戦で泣いてしまいました。
料理のところも最高です。
リッチー・レンも最高。
いつもあの劇場では最前列で見てるので、これがDVじゃなくてフィルムだったらなあと少し思いました。


Posted by: 秋日和 : 2006年01月08日 00:35
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