2005年12月26日

『Mr.&Mrs. スミス』は下らないが、美点が無いわけではないということ

Mr.&Mrs. スミス本作の美点が果たしてどこにあったのかを改めて考えてみる時、思い出されるのは主演した2人のスターの頻発されるクローズアップばかりで、つまり、『Mr.&Mrs. スミス』という“スター映画”は、同じくダグ・リーマンが監督した『ボーン・アイデンティティ』のような“スパイ映画”ではいささかもなく、より単純に結論するなら、いかにも中途半端な“アクション映画”だと思うのです。もちろん、中途半端で出来の悪い映画の中には絶対に美点などないのだ、とは思いませんし、そういう発言は、この手のくだらない映画を“観ずして”安易に結論しようとしてしまう人間が陥りやすい罠だとも思うので、ここでは、本作の美点を積極的に挙げてみることで、少なくともこのあまりに下らない映画を“観た”ということの証左として記録に残しておきたいと思います。

さて、とは言ってみたものの、再度画面を思い出そうとしても、やはり脳裏に浮かぶのはブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーのクローズアップ、あるいは、めまぐるしい程の切り替えしのみで、それ以外の様々なショットを思い出すには、さらに画面の記憶を深く掘り起こさねばなりません。このような体験をここ数年したことがあっただろうかと、そんな風に思うにつけ、まさにこの体験こそが(現代の)“スター映画”のあり方を物語っているのかもしれないと思うに至ったのですが、そう結論してしまうと、これ以上何も書くことが無くなってしまいそうなので、もう一度記憶を辿ってみるとします。

『Mr.&Mrs. スミス』は、ややすれ違い始めた結婚6年目の夫婦が実は共にスパイで、しかも敵同士だったという物語を核に展開していきます。カウンセリングを受けるシーンに始まり、同じシーンで幕を閉じる本作は、しかし、そこに挿まれたアクションシーンこそが主であり、夫婦間の微妙な感情の変化やその原因はほとんど無視されるのです。つまり、妻(夫)がスパイであるという事実が発覚してから、2人の銃撃戦や殴り合いに発展し、最終的にあっけなく和解するという展開は、あまり表面的で奥行きがありません。この吹けば飛ぶような“薄さ”に、ダグ・リーマンは俳優の表情や仕草、派手な銃撃戦や爆発を幾重にも張り合わせていくことで、大作へと仕立て上げたのだと私は思っています。

私は本作におけるアクション自体に関して、特に評価していません。それは、新しい発見の欠如というより、2人のスターが演じるアクションであれば、それなりの画面が成立するだろうというようなスター依存主義的な安易さが透けてみえるような気がしたからです。それは、ほとんどが壊滅的とも言えるスローモーションで構成されていたショッピングセンター内での銃撃戦を観ればもう充分過ぎるほどで、まさに誤魔化しのスローモーションとも言えるそのシークエンスには、つまり“敵”がいないのです。予め存在しないものとされているかのような“敵”の代わりにあるのは、ほとんど目に見えない銃弾のみですが、それらもブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの表情とアクションを際立たせるためだけのエクスキューズに過ぎません。実際、彼らがどんなにスタイリッシュに銃を扱おうと、単なる一人(正確には二人)芝居にしか見えませんでした。

ところでアンジェリーナ・ジョリーは、その顔と体だけに焦点を絞るのであれば、かなり魅力的な女優だと個人的には思っています。意地悪げに眉毛をピクっとあげてみせる表情など、彼女の持ち味だとすら思ったりもするくらいです。一般に女性としてはしたないとされている行為が似合ってしまうことも、あるいは彼女の美点なのかもしれず、その意味で、本作はアンジェリーナ・ジョリーのイメージ通りのショットが溢れる作品だと言えるでしょう。
一方のブラッド・ピットですが、いかにも彼らしいなと思わせたアクション、例えば、中盤でお互いが同じターゲットを狙い、それが互いの素性を発覚させるきっかけになるシークエンスにおいて、砂漠を爆走するジープから降りたブラッド・ピットが、音楽に合わせて握り締めた手を前に数度突き出す無邪気な仕草や、あるいはラストの銃撃戦における、冗談っぽくブルース・リーらしき仕草を真似する瞬間などは悪くなかったものの、肝心のキスシーンもベッドシーンもあまり魅力的とは思えませんでした。そこには単なる“甘さ”とか単なる“激しさ”以上のものが感じられず、勢い、俳優の顔(個性)に頼らざるを得ないのです。

閑話休題。どうも欠点ばかり書いてしまいなかなか美点が出てきませんが、そろそろ本作における、私にとっての価値ある瞬間に関して、多少なりとも記していきたいと思います。最初に断っておきますが、それらは決して無理やり探し出したものではなく、極自然に記憶に残ったものです。

まずは、若干やりすぎな感じがしないでもありませんでしたが、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの腹の探り合いをこれでもかと画面に定着させた、中盤の食事シーン。互いに相手が敵のスパイであるという、ほとんど決定的な証拠を掴んだ状態で臨む晩餐。後は実際にその目で確認するだけという段階のサスペンスが、まさに視線劇としてシーンを構成していました。実際、カメラは何度も2人を切り返しては、相手の表情を読み取ろうとする2人のクローズアップを執拗に繰り返すのですが、二人の疑惑が段々確信へと近づいていくように、バストショットから目のクローズアップへと丁寧に切り替えされる演出は、常套とはいえよく撮られていたと思います。

次に、アンジェリーナ・ジョリーがブラッド・ピットに向かって「Pussy!!!」と罵ったシーン。恐らく本作中で最良の表情だったように思われます。あの不敵な微笑に漂うエロティシズムは、その衣装やヘアスタイルを含め、素晴らしい。

そして、クライマックスの駄目な銃撃戦における、エレヴェーター内の奇妙な間。ほんの数秒間だけ、穏やかなBGMが流れるあの空間とその中に身を置く2人の、銃撃戦の時とはまるで次元が異なるかのようなとぼけた表情とのコントラストが、たまらなく可笑しな間を形成していました。それは2度繰り返されるのですが、あのようなシーンを銃撃戦の間に挟みこんだのは、全くつまらないあの銃撃戦にあって、一時の清涼剤のような効果を齎したと思います。

最後に、ラストシーンですが、カメラのほうに向かって語りかけるアンジェリーナ・ジョリーの台詞に込められた、ブラッド・ピットとの距離感。もちろん、あれは演出上のそれであって、実際の2人の距離感とは異なるものでしょうが、にもかかわらず、そこに漂う(それがまるで現実世界と地続きであるかのよう、と言う意味で)“超自然的な演出”は悪く無く、それがあったからこそ、本来であればこうして文章など書くことなど無いだろうと思った私に、まぁこのような文章を書かせたと言えるのかもしれません。

ここまで読み返すと、ほとんど“アンジェリーナ・ジョリー賛”に終始しているかのようなこの文章、お世辞にも本作をお薦めする文章とは言いがたいのですが、こういう下らない映画にもそれなりの楽しみ方はあるべきで、アメリカ映画がすべからく傑作ばかりで成立しているわけではない以上、この手の映画を観ることで、アメリカ映画の相対的な深さを確認するという点では、決して徒労には終らないのではないかと、そんな風に結論しつつ、次なるダグ・リーマンの新作に期待したいと思います。

2005年12月26日 17:38 | 邦題:ま行
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