2005年11月21日
『バッシング』はこちらの期待をいい意味で裏切る果敢な作品である
初参加となる「第6回東京フィルメックス」で、小林政広監督の『バッシング』を鑑賞してきました。本年度のカンヌ国際映画祭コンペティションに出品された本作ですが、どうやら未だ日本での正式公開の目処が立っていないらしいのですが、前作『フリック』がそうだったように、本作も渋谷シネマソサエティあたりで限定レイトショーという形でも正式に公開されるといいのですが。
舞台挨拶には小林監督以下、主演の占部房子さんや香川照之氏などの姿も。中でも香川照之氏はなかなか饒舌で、カンヌでの小林監督をジャン=リュック・ゴダールに見立てたかと思えば、『バッシング』を評して、“日本のアキ・カウリスマキが日本のジュリエット・ビノシュを撮った映画”などと言い、会場を沸かせていました。確かに占部房子さんはジュリエット・ビノシュに似ていないこともなく、私は『歩く、人』も未見ですから彼女に対するこれまでの印象はゼロに近かったのですが、なるほど、この人は凄い女優かもしれないと思わせる演技が『バッシング』には溢れていました。
『フリック』で初めて小林監督作品に触れた私ですが、そこには確かに監督の確固たるスタイルが認められ、優れた監督はたった一作でもそれを証明してしまうものだなと関心した記憶がありましたが、『バッシング』は上映後のティーチ・インで監督自身が言っていたように、前作までの“画面に凝る”というスタイルが捨て去られ、ドラマに力点が置かれていたように感じました。5、6人のスタッフだけで撮ったという本作は、全てが手持ちカメラによる撮影、恐らく、照明も自然光のみだったような気がします。だけれども、あるシーンを執拗にリフレインするという手法は『バッシング』にも見られ、例えば占部房子が自分の住む団地の一階に自転車を止め、3階まで階段を上っていくその様子を、ちょうど彼女の後ろを追うようにカメラもまた階段を上りながらそれを捉えるというショットが顕著でした。このシーンは、幾度も繰り返されていましたが、シーンごとにほとんど変化が感じられません。強いて言えばその速度が微妙に変化していたことに、占部房子演じる主人公の、不安や逡巡や疎外感が反映されていたような、そんな気がしました。
本作は一応例の事件を題材にしたようですが、映画自体は完全にフィクションです。それは、“バッシング”する側にもされる側にも肩入れせず、その危うい境界を描こうとする姿勢においてフィクションだったのだと思います。何が正しいのかなど、この映画には求められていません。それを物足りないととるか、あるいは現実的だととるかは、観るものに委ねられているのではないでしょうか。
バッシングを受け続ける家族の父親は、その弱さゆえ死を選ばねばなりませんが、彼が死ぬ直前の表情に刻まれた死相、これは見事な演出だったというべきでしょう。故に、彼の死自体は描かれず、誰もいない部屋で窓だけが開け放たれた薄ら寒いショットと、ベランダからすぐ傍の海に向かってパンしていくカメラによってのみで、父の死という事実が暗示されるのです。ベランダの下には、間違いなく横たわる父の姿があるはずなのに、カメラはそれを映しません。その代わり、その殺伐とした部屋の様子を見て父の死を確信する占部房子の、諦念めいた表情をカメラは捉えるのです。直後には喪服を着た占部房子と大塚寧々が寺でお経を聞いているシーンが来るのですが、このあたりの省略の呼吸も見事でした。
占部房子の表情が非常に素晴らしく、これは小林監督の演出力に拠るのでしょうが、社会に対する絶望と怒りを秘めつつ、何かを決意したように歯を食いしばるあの硬質な表情は凄い。こんな表情には、そうそう出会うことがないだろうなと思わせるに充分な、強固なショットでした。この映画の印象は、あの表情に尽きるのかもしれません。
いずれにせよ、良い意味で期待は裏切られつつ、結果的には満足できました。
ところで、上映後のティーチ・インで何人かが監督に質問を投げかけたのですが、その内の一人はあろうことか、後半の数十分を明らかに睡眠しつつやり過ごしたにもかかわらず、どうしてあのような質問が出来るのか全く理解に苦しみ、その内容をここでは詳述しませんが、苦笑するほか無いほど見当違いだったので、まぁ金を払って観ているのであれば、人に迷惑をかけなければどのように時間を過ごそうが自由だとは言え、少なくともまともに観ていないような人間に、さもしたり顔で質問されるとは、監督も報われないななどと余計な気を働かせてしまいました。
最後に、全くの偶然から隣に座ることになった湾岸君、お疲れ様でした。高校生のうちから、あのような機会を逃さないでいるのは、私からしてみれば賞賛に値します。是非『フリック』もご覧頂き、感想をお寄せいただければ幸いです。
2005年11月21日 19:25 | 邦題:は行
Excerpt:
From: Badlands
Date: 2005.11.28
>湾岸殿
そうですね、隣かどうかはともかく、またどこかで合うこともきっとあるでしょう。観る予定の映画は、大体このブログで告知してますし。今度はゆっくり話せればいいなと思ってます。
Posted by: [M] : 2005年11月28日 13:12
書き込み遅れてすみません。
先日はありがとうございました。
賞賛に値するだなんていやはや、今は子供が単に趣味で映画をお金払って観ているだけですが、
[M]さんにそう言っていただけるとは嬉しくも恐縮です。
確かに父親が消えるシーンの前後は非常に僕も印象的な部分だと思っていました。
というか、その他すべて確かに確かに、と[M]さんの文章に頷くこと仕切りで、僕もいつか[M]さんのような鋭い視線を以て映画を観てみたいです。
それでは、(相当、可能性は低いと思いますが)またどこかの劇場で隣席になることなどありましたら、よろしくお願いします!
Posted by: 湾岸 : 2005年11月25日 00:33