2005年10月20日
『真夜中のピアニスト』、弱さゆえの肯定
ジャック・オディアール監督は、前作『リード・マイ・リップス』がそうであったように、本作でも特定のジャンルを回避しているかのようです。たとえ本作の邦題に“真夜中”という言葉が使われていても、本作は単純にノワール調のサスペンスとはならず、だけれども“ピアニスト”という言葉が連想させる音楽的要素が物語を引っ張っているとも言い切れません。
この邦題に関して言えば、どうしても“わかりやすさ”が先行してしまっている感が否めず、何とかジャンルへの接近を試みようとしているかのよう。個人的にはむしろ、原題『De Battre Mon Coeur S'est Arrete』を邦訳(とあるサイトによれば、「僕の鼓動は止まった」という意味)したほうがの方がより詩的な感じで作品の雰囲気に合っているような気がしないでもないのですが…
それはともかくとして、『真夜中のピアニスト』について若干の考察を。
本作は、奔放で横暴な父と、ピアニストだった亡き母との間で育ってきたある青年が、引き裂かれる寸前のアイデンティティに苦悩しながら自己の変革を成し遂げようもがく、そのように要約出来ると思いますが、この何かと何かに“引き裂かれながらもがく”という主題がとにかく様々な場面で目につくので、主題はその部分にあるのではないかと思いました
父を受け継いだ形で犯罪すれすれの不動産ブローカーになったトム(ロマン・デュリス)は、いわば“夜の世界”に生きる男で、それは彼の“精神的な弱さ”に原因を求めることが出来るような気がします。たった一人の肉親である父に対する愛情はありますが、その裏返しの感情もある。また、生きていくためとはいえ、非人道的ともいえるの仕事にもうんざりしている。だけれども、父も仕事も放り出してしまうことが出来ない。それはある一面においては彼の優しさだともいえるかもしれませんが、やはり弱さに端を発しているのです。そして、そのような閉塞状況における唯一の救い、それが“ピアノを習うこと”なのです。
『リード・マイ・リップス』との共通点は、この弱い男に対し、(精神的に)自立した女が配されている点に認められます。トムが密かに抱く夢はコンサートピアニストになるという途方も無いもので、同時にそれは、夜の世界から昼の世界に移り住むことに他なりませんが、これを不器用ながらも手助けする存在、それがある中国から来た留学生です。彼女は中国語しか話せず、トムはフランス語しか話せない。ここでは確かにディスコミュニケーションが成立していますが、それが次第に緩和されていく様が、実に丁寧に描かれています。留学生の女性が話す中国語に、字幕は出ません。よって、我々観客も、トムと同じ境遇に立たされることになります。ピアノのレッスンの後、2人は必ずお茶を飲むのですが、このシーンが重要なのは、互いに母国語をレッスンしあいながらコミュニケーションが少しずつ生成されていくからというより、彼らを結びつける唯一の媒体であるピアノに頼らず、2人の間に確実に存在している大きな差異に耐えながらも尚、その差を埋めていこうとする意思が一連のシーンに不思議な魅力を与えているからだと思います。
この留学生の部屋は、窓の傍にピアノが配置されています。ピアノをレッスンするのは午後の昼下がりですから、シーンには必ず日の光が差し込んでいます。室内でも照明の明かりは感じられず、恐らくは自然光で撮られたこの部屋の光景は、若干薄暗い中に差し込む光が、トムの意識の変容を表しているかのようで、その空間設計にはなかなか唸らされました。真夜中にほとんど明かりをつけずに自宅でピアノを弾くシーンとのコントラストがより鮮明に浮かび上がるこのピアノのレッスンシーンが、自己変革の過程として描かれていくのです。
しかしながら、その変革は容易には実現しないでしょう。事実、トムは、2年後に訪れる大きなチャンスを、自ら不意にしてしまうからです。父に対する、というより、自らの人生に対する最終的な決着は宙吊りにされたまま、それまで望んでいたであろう自己変革は志半ばで潰えてしまいます。それは果たして不幸なのか、それとも……
ところで、『真夜中のピアニスト』は1978年のアメリカ映画『マッド・フィンガーズ』(ジェームズ・トバック監督)のリメイクです。私は未見ですが、あらすじを読むと、その結末が大きく異なっているようです。それはまさしく、主人公の人生への折り合いのつけ方の違いとして描かれるのですが、『マッド・フィンガーズ』のほうがほとんど絶望的な結末だったのに比すると、『真夜中のピアニスト』の結末は、遂に変われなかった自己を肯定したという意味で、間逆の結論を導き出しているのです。ここは非常に興味深いところだと思います。
ピアニストになる夢は叶わず、父への愛憎に対する決着もつけられなかったトムは、しかし、ラストシーンにおいて、嘗ては留学生で現在はピアニストへと成長した中国人がコンサートでピアノを演奏する様を観るのですが、そのトムの目に、少なくとも絶望は感じられません。諦念ではなく、寛容の視線がそこには描かれているのです。もちろん、これを手放しでハッピーエンディングだとは言いがたいし、観る者に委ねられているとも思うのですが、少なくとも私には納得できるエンディングでした。
とにかく人物のキャラクター造形が丁寧で、俳優の演出に長けているジャック・オディアール監督ですが、とりわけ、登場シーンはそれほど多くないですが、父の恋人役のエマニュエル・ドゥヴォスは実に魅力的で、40歳を超える彼女の容姿は決して好みではないものの、“フランス的”としか形容しようの無いエロティシズムを漂わせています。
エロティシズムといえば、本作でロマン・デュリスは妙にもてる役柄ですが、彼と女性とのやり取りにも注目していただければ、本作をより楽しめるのではないでしょうか。
2005年10月20日 12:00 | 邦題:ま行
Excerpt: 生エマニュエル・ドゥヴォスに感激。 会えなかったけど、やっぱりロマン・デュリスはいいよね! 第13回フランス映画祭横浜2005 に顔を出してみました。 みなとみらいはかなり久しぶり。 いつのまにやらこんなにいろんな建物が完成していたのですね。 みなとみらい...
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From: 日っ歩??美味しいもの、映画、子育て...の日々??
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Excerpt: ★原題:De Battre Mon Coeur S'est Arrete★監督:ジャック・オディアール(2005年 フランス作品)京都シネマにて鑑賞。★あらすじ悪徳不動産ブローカーを生業としながらも、ピアニストの夢を捨てきれない青年・トム(ロマン・デュリス)の苦悩や葛藤を描く。レ...
From: 朱雀門の「一事が万事!オッチョンジー」
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Excerpt: 見事な演奏が聴けるんだろうと、そこにカタルシスがあるんだろうと思ってたら、そういうわけではなかった。
From: Paranoia Vagrant
Date: 2005.12.15
>かえる様
はじめまして。コメントとTBありがとうございました。
貴ブログもいろいろ読ませていただきましたが、渋谷周辺の劇場に行かれることやセレクトも含め、結構好みが似ていますね。(『ドミノ』を観られていて羨ましい限りです。。。)
私は『マッド・フィンガーズ』も結構好みですが、まぁ別の映画ですよね。
『パリところどころ』、レビューが書きあがりましたら、また遊びに来てください。ではでは。
Posted by: [M] : 2005年11月17日 12:44
こんにちは。
こちらのとても的を射ているレヴューを読んで嬉しくなりました。
フランス映画際で観て気に入って、最近再鑑賞をした私です。
おもしろい映画、感動する映画ではないんだけど、
トムの心情がリアルでやるせなく、心に響く作品でした。
『マッド・フィンガーズ』はどうも好きになれなかったけど・・・。
『パリところどころ』は昨夜観ましたー。
レヴューが書けたら、またおじゃまします。
Posted by: かえる : 2005年11月17日 09:45
>keikoさま
度々どうもです。
そうですか、渋谷まで来られますか。わざわざ来られるのであれば、一応電話で在庫確認(あるいは取り置き)してもらうことをお薦めします。貸し出し中だったら申し訳ないので。
ドルレアック、積極的に肯定してあげてください!
Posted by: [M] : 2005年11月11日 14:37
はい、またもやひらがなでおじゃまさせていただいてます。
・・ではやはりしぶやでかりてみようとおもいます。
「はんぱく」のほうが、ないようてきにきょうみぶかい
ものであろうことは、すでにわかっているのですが。
どるれあっくのみりょくもこうていしたかったのです。
それでは。
Posted by: Keiko : 2005年11月10日 19:26
>keikoさま
何だか大変そうですね。オールひらがなだと、余計にそれが窺われます……
『マッド・フィンガーズ』ですが、どうでしょう、新宿であれば置いてあるかもしれませんね。電話して聞いてみたらいかがでしょう? 渋谷にはありますし、多分貸し出しもされていないと思いますが…
『袋小路』、嘗てリヴァイヴァルされたときに劇場で観まして、パンフも買った様な気がします。私としては、『反撥』のほうが好みでしたが、まぁドヌーヴ好きですから…
かなり歪んだ世界観だったように記憶しています。
Posted by: [M] : 2005年11月10日 17:28
こんにちは。
マッド・フィンガーズがしぬほどみたくて、
ツタヤをにかしょさがしましたが(すみません、
キーボードみずであらったらへんかんキーがきかなくなってしまったのでかんじがつかえないんです)、
なくてすとれすたまりまくりです。しぶやはつかれるので
あまりいきたくないのですが、しぶやじゃないとむりでしょうか・・・?ちなみにいったのはじゆうがおかとおおかやまなのですが
かわりにどるれあっくのふくろこうじをかりてきました
ごらんになりましたか?
Posted by: Keiko : 2005年11月10日 16:46
>keikoさま
ありがとうございます。
多分、何も考えないで観に行くとは思いますが、空いているのであれば何とか行きたいと思います。
Posted by: [M] : 2005年11月09日 12:05
こんばんは、ブコウスキー良かったですよ個人的には・・・。
でも何を求めていくか(心境的に)にもよるのかもしれません。
で、混んでませんでした。12,3人だったかな?
前半よりも後半が充実した内容だった気がします
Posted by: Keiko : 2005年11月08日 21:57
>keikoさま
こんにちは。ご覧になられましたか。
「懐に入れておきたい」ということは、シンパシーを感じられた、ということでしょうか。ピアノを演奏される方は、また違った側面を見い出されるのかもしれませんね。
実は、元ネタである『マッド・フィンガース』もなかなかの小品です。かぶる部分も全く異なる部分も含め、悪くないので機会があればTSUTAYAで借りてみてください。
で、『ブコウスキー〜』はいかがでした?
混んでません、よね?
Posted by: [M] : 2005年11月08日 10:13
こんにちは。「真夜中のピアニスト」観て来ました。
自分を含め4,5人の女性客がポツンポツンと座って
観賞、という状況だったので、より”はいって”
観る事が出来ました。
で、感想ですが・・・
客観的に捉えようとすると、
長く引き伸ばされたCMの様な映画だと思いました。
詩的で美しくて、軽くて、気軽にシンパシーをそそる、
という感じの。
でも個人的には「懐に入れておきたい」内容だったので、
DVDが出たら買いますね
・・あと因みに、ブコウスキーも昨日ダブルで行ってきましたよ。
Posted by: Keiko : 2005年11月08日 09:38
>puff様
コメントありがとうございます。
ロマン・デュリスは、等身大の人間を演じる方がいいと思います。『ルパン』は端から観る気がありませんでしたが、やはりミスキャストでしたか。
いいですよね。E・ドゥヴォス。
明日当たり、オリジナルをレンタルしてみるつもりです。
今日はこれから『パリところどころ』に行ってきます。
Posted by: [M] : 2005年10月22日 16:37
[M]さん、こんにちは♪
「真夜中のピアニスト」
この映画、想像以上に良かったでした!!
いえね、、先に観た「ルパン」がですね、
ロマン・デュリスがどう見ても「ルパン三世」に見えてしまって
今ひとつのれなかったものですから。汗
今回のデュリスはこの役柄にとてもしっくり来たと思いました。
感想は[M]さんと同じで、ラストも絶望では無く、満足感というか
彼にとっての達成感みたいなものを感じましたです。
こうなったら是非オリジナルも観たいものですね。
あ、、父の恋人、ワタシも何だか色気を感じていましたよん・・・・・
Posted by: Puff : 2005年10月21日 17:57