2005年09月08日

『ある朝スウプは』に横溢する痛みは貴重である

原題:ある朝スウプは
上映時間:90分
監督:高橋泉

「群青いろ」という、今風に言えば“映像ユニット”を、ご存知でしょうか。その中心にいる高橋 泉(群青いろ 青)と廣末哲万(群青いろ 黒)は、自主制作ながら2001年から現在まで、数分の短編から30〜40分の中篇をすでに20本以上製作しています。PFFでのグランプリに選ばれた本作は、彼等の長編デビュー作ですが、彼等が描こうとしているものは、実は最初から変わっていないのかもしれません。そしてその変わらない核とは、“痛み”だと思います。

『ある朝スウプは』は端的に言って痛ましい。行為も、言葉も、そして合間に挿入される風景すら痛ましいのです。出来れば目を背けたいのですが、しかし、瞳は画面に吸い寄せられていく。画面から強力な磁力が放射されているからです。いや、あえて“痛ましい”という客観的な形容詞を使うのはやめましょう。『ある朝スウプは』は直接的に“痛い”。その意味でかなり狂暴な作品だと思います。

主演の廣末哲万が、同棲している恋人役の並木愛枝を発作的に殴る場面。ほんの一瞬で終ってしまうそのアクションが、どれほど痛いことか。その平手打ちが痛々しいのではありません。鬱屈しつつある男の感情が、本人の意思で制御できずに爆発する瞬間の身振り自体が痛いのです。そして、不当にも殴られた並木愛枝はその時、純度100%の涙を流すでしょう。黒い怒りと青い悲しみとに彩られた、群青色の涙を。私が最も感動したシーンです。

恋人同士も所詮は他人。それはしかし必ずしも悲観的結論ではありません。本作は、その先にある世界への扉を、そっと提示しているに過ぎないのですから。

2005年09月08日 12:27 | 邦題:あ行
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