2005年06月20日

無念、あるいは無念

何とか滑り込むことができたユーロスペースで観た『肌の隙間』は、ピンク映画というものを再度考えさせる作品でした。本作はピンク映画というジャンルに一応は属しているようですが、もはや、一般映画との形式的な差異はなくなったのではないか、と。さしあたり問題となるであろうセックスシーンの有無や低予算早撮りという条件も、ピンク映画のみに突きつけられる問題とは言い難いと思うからです。そして、この『肌の隙間』という映画は、それがピンク映画の巨匠が作ったからという理由で支持される次元をとうに超え、映画そのものの姿として異彩を放っているのであり、まさにその点で、私は本作を支持したいと思いました。最終日ゆえか劇場は満員、瀬々監督の人気を物語っているようでしたね。

さて土曜日は『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』をシネセゾン渋谷にて。
実はそれほど大きな期待を抱いていたわけではなく、それどころか、長編デビューのニルス・ミュラーが上手い具合に化けてくれたら儲けものだというくらいでしたが、何度となく観た予告編には『サイドウェイ』のアレクサンダー・ペインが製作総指揮として名前を連ね、ショーン・ペンが主役というのだから頭を抱えるような出来ではないだろうと。結果的に、とにかくその担当作はほとんど観たことがないのですが、やや斜めからの視点やラストの遠景が印象的なエマニュエル・ルベッキという撮影監督の仕事がなかなか好みでしたし、そこにショーン・ペンの意向がどれほど反映されていたのかは知りませんが、ニルス・ミュラーの繊細な演出も大いに楽しめました。観て損は無い映画だと思います。
その後は個人的事情により『GERRY』を断念して帰宅しました。

あくる日の日曜日は劇場には行かず、bunkamuraで催されている『レオノール・フィニ展』へ。彼女の作品を実際に観るのは初めてで、私が知っている“シュルレアリスム寄り”の彼女とは違った側面も発見でき、かなり楽しめました。とりわけ、50年代後半から60年代後半にかけた“鉱物の時代”における諸作品は、抽象性を纏いながらもそのメタリックな質感や鋭いフォルムには、決して抽象画家ではない彼女の“具体性”がはっきりと刻印されていて感動。彼女の特異なエロティシズムもさることながら、円熟期における謎めいた構図やグロテスクな生き物にも多くの発見があり、満足いく展覧会だったと思います。今回は作品集を購入せず、澁澤関連の文庫を2冊ほど購入し、帰宅。その後、相棒の建築家・ng氏の熱いリコメンドにより、『アバウト・シュミット』をヴィデオにて鑑賞。大いに笑い、ラストでは不覚にも涙腺を緩ませてしまいました。深夜に2回目を鑑賞中、そのまま眠りに堕ちてしまったのですが、ng氏が感動した理由も何となく納得した次第。レビューは別途短評にて。

というわけで、『サマリア』のレビューはまた明日にでも。
長らく待っているごく一部の皆様、ごめんなさい。明日朝も早いので、もう寝ます。今日は少し飲みすぎました。

2005年06月20日 23:25 | 悲喜劇的日常
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