2005年06月27日
「鏡」やら「犬」やら「鮫」やらを...
ENLIGHTENMENTの「LIE OF MIRROR」を観てきました。土曜日が最終日だった模様。
初めて訪れたヒロミヨシイギャラリーの1Fには、点数にして10数点しかないにもかかわらず、それぞれが、言っていれば“ダークな輝き”を放ち、ひっそりと静まり返ったギャラリー内が現実ならざる異世界のようにも感じられました。
彼らの作品は、近づいて観たときと、離れて観たときの印象がまるで異なります。“断片が統合し生成する美”、今回のENLIGHTENMENTの作品たちは、過去の彼らの作品同様、そのような印象を齎しますが、だとすれば、さしあたり問題となるのはその題材です。「鏡の嘘」と題された諸作品は、薔薇の花だったり、仮面だったり、支那風の鳥篭だったり、そして、ヨーロッパ調のアンティーク鏡だったりするのですが、そのどれもが黒を背景としながら、不気味なほど細かく描き込まれた光と影のグラデーションは確かに観るものの視線を欺いているというほかない感覚。鏡とは、それを覗いている人間をそのまま映しこむように見えて、その実、我々がが住まう世界とは違う異世界への入り口なのかもしれません。映画においても、嘗てはジャン・コクトーが異界への入り口としての鏡を描き、最近ではウォン・カーウァイがやはり非=現実としての鏡を上手く使用していることからもわかるとおり、その向こうに映っているものは、そもそも“真実”とはかけ離れた何かなのかもしれません。
ENLIGHTENMENTが描く鏡は、予めブルーやグレー、紫などから成るグラデーションで塗りこまれ、それを覗き込む人間を一切映し出しません。鏡として我々が認識するそれは、鏡でもなんでもないただの平面としてそこにある。興味深いのは、その一枚の絵の外側にあるガラスだかアクリルだか、とにかくその絵を護る表層には、やはり観るものが映りこんでいるということ、(描かれた)鏡には映らず、その外側のガラスには確かに観ている自分がいる。なるほど、“鏡の嘘”とは適切な表現だなと関心した次第。
その後、カウンターにいた女性に薦められて、同ギャラリー5Fにて個展を開いている遠藤雪代氏の諸作品も鑑賞。こちらもまた涼しげな色使いが印象的でした。
映画のほうは『ダニー・ザ・ドッグ』やら『オープン・ウォーター』やら、ヴィデオでは3度目か4度目になる『ファニーゲーム』やら何度観たかわからない『カルネ』やらを。SHIBUYA TSUTAYAが半額セールだったので、先日劇場で見逃した『デカローグ』を7話〜10話までレンタルしたりも。
新作2作について簡単に述べます。
前者はリュック・ベッソン&ルイ・レテリエのコンビになりますが、実は『トランス・ポーター』にそれほどのれなかったという過去があり、映画全体というよりも、ユエン・ウーピンによるアクションシーンと、モーガン・フリーマンの“老人ぶり”に期待していました。ジェット・リーのアクションはこれまでのものとは若干違っていて、その凶暴性が際立ったものに。流麗であることよりも、反射的な力強さを強調した本作のアクションに関してはなかなか楽しめました。『マッハ!!!!!!!!』を想起させるシーンもありましたが、それもまた悪くはなかったです。モーガン・フリーマンに関しては、まぁ特に言うこともなく、いい俳優だなと改めて思った、と。
後者に関しては、いささかも震撼することがなかったというのが正直なところ。ただし、この手の映画を撮るにあたって、観客が観たいと思うようなある決定的な部分をあえて回避し、それを“ドキュメンタリー的”と呼ぶならそう呼んでもいいのですが、そういったアプローチで“恐怖”を構築していこうとする姿勢は評価されるべきなのかもしれません。まぁ個人的には今ひとつといった感じ。
さて、今週からいよいよ『宇宙戦争』が始まります。とりあえず初日の最終回を狙って観ようかと。スピルバーグは観ても、ルーカスを観ようとはしない私ですが、世の中的な熱狂度はどちらが上なのでしょうか。このところ、当たり前のように放送されるそのSFシリーズを一度も観たことがないので、もう今更観られなくなっているというのが私の実情です。
週末には『バス174』を予定していますが、その前にレビューレビュー、と。
2005年06月27日 12:20 | 悲喜劇的日常