2005年05月17日

『コースト・ガード』、あるいは不定形の世界

コースト・ガード本作を観終えた後、昨年書いた『春夏秋冬そして春』の文章を読み返してみたのですが、今、当時の思いを若干修正しなければならないと思っています。その文章で私は、『春夏秋冬そして春』はそれまでのキム・ギドク作品といくつかの違い(最も顕著なのは超ロングショットの存在)はあるにせよ、やはり本質的には変わっていないと結論しました。ところで、基本的には自らの意思でコントロール不可能な何かを“本質”(キム・ギドクの場合は、現実的な“痛み”による意思疎通)と呼ぶのではないか、そう考えると、そもそも人間の本質など余程のことが無い限り変わるものではなく、この結論は少しも結論足りえていなかったことに気づくのです。だとすればやはり、『春夏秋冬そして春』はキム・ギドク前期作品とは異質な、転換的作品だったのかもしれません。少なくとも、世界に対する彼の視線の変化が、あのようなロングショットを生み出したのだと。ちなみにこの思いは、すでに『サマリア』を観てしまったことにも深く関係しているとのです。

『コースト・ガード』は、『春夏秋冬そして春』の春の章を撮り終えた直後の2002年の初夏におよそ1ヶ月程で撮られました。前述を受けて考えてみれば、それまでに正式公開されていた2作品(『魚と寝る女』と『悪い男』)と『春夏秋冬そして春』にはある種の断層があり、『コースト・ガード』は間違いなく前者に属すべき作品です。ただし繰り返せば、やはり“本質”は変わっておらず、ある限定された場(そこは概ね、一般的な社会からはみ出した“現実ならざる世界”です)に蠢く権力者と弱者の淀んだ関係性や男と女の愛が、逆説的に現実世界を照射しているのです。自らの軍隊経験が少なからず反映されたと思しきこの『コースト・ガード』ですが、やはりというべきか、本作にもキム・ギドク的イメージの数々を容易に発見することが出来ます。それは水であり、ガラス(鏡)であり、あるいはそこにコミュニケーションとしての暴力やセックスです。

『コースト・ガード』には様々な対立的要素が溢れています。それらは恐らく、簡単に指摘できる程に分かり易い形で提示されていると言えるでしょう。AとBが対置する。そんなことが、この世界には当たり前のように存在しています。そして映画におけるドラマは時に、そのような対立的関係性の中から生れ落ちるのです。
例えば北と南。ここでいう北とはもちろん北朝鮮、南とは韓国を指しています。本作の主たる舞台は軍事境界線に近い、南側の海岸です。北からのスパイが一歩でも足を踏み入れた場合、それはスパイの死を意味します。そして本作の悲劇は、まさにこの場所で起こるのです。
主人公カン上等兵(チャン・ドンゴン)は、もともと一般的な社会生活を送っていた大学生です。徴兵制はある年齢から2年2ヶ月の間、彼を社会から引き離します。つまりその間は、一時的にでも社会通念を剥がされてしまうのです。軍隊という“社会ならざる場所”においては、殺人という行為の意味すら異なり、それが正常な人間を狂気へと駆り立てます。より残酷なのは、誰もが兵役を終えて社会へと戻ることが出来るわけではないということです。ここにも社会と軍隊という対立項を指摘することが出来るでしょう。
ところで、海兵隊は合法的に人を撃ち殺すことが出来るという意味において、民間人よりも強者だと言えます。だとすれば、弱者である民間人がとるべき行動はどのようなものか。本作でそれは、さらに弱い何か(水槽の中の魚)に対して束の間の強者となるか、あるいは強者である海兵隊を内側から骨抜きにするという形で描かれています。いずれにせよ本作において強者と弱者の間にあるのは、残酷な法則のみです。
さて、本作における登場人物に限らず、人間は2つの危うい均衡を保ちながら生きていると言えるのではないでしょうか。それらはすなわち、正気と狂気にほかなりません。しかし、自身の現実認識が正しいかどうかなど、実は誰にもわかりはしないという事実。例えば海兵隊員は銃を前に無力です。銃は、暴力的に撃つか撃たないかを迫ってくるからです。銃を手にした人間にとって、正気と狂気のバランスなど瞬時に崩壊するでしょう。もちろん、目の前で恋人を無残に殺された女性に精神の均衡など保てるべくもないのです。あるいはその事実を、現実と非=現実と置き換えることが出来るかもしれません。狂人にしか見えない事物があるとすれば、それを“非=現実”と呼ぶことが出来るかもしれませんが、狂人にとってそれは紛れも無い“現実”なのかもしれない。嘗て海兵隊の仲間だった人間が、今や敵となって軍隊に銃を向けている。しかし、誰もそれを現実だと確信できないのは、鬼と化したチャン・ドンゴンが銃を構える姿に“非=現実なフィルター”がかかり、現実に生きる人間(=観客)の眼を欺くからです。

さて、以上は本作を観た人であれば、いや、仮に本作を観ていなくても、一般認識として容易に指摘し得る対立的要素です。問題はしかし、『コースト・ガード』においてキム・ギドクが、そんな対立的要素など本当に存在するのかを疑っているということにあると思います。さらに言えば、本作でキム・ギドクが描いたのは、対立的要素の解消、というよりもその廃棄だったのではないか、と。我々人間は、いや、世界は、そのような分かり易い二極的対立項に回収されるべきものではないはずだ、と。実際、初期のキム・ギドク作品(『悪い男』や『魚と寝る女』)を観れば、何が“善”で何が“悪”かなど問題ではなかったことがわかります。そのような常識的見地を疑うことが、何よりもキム・ギドク的だったと思うのです。実際、本作で見出すことが出来たいくつかの対立的要素も、最終的にはその境界線が廃棄され、決して分かり易い図式には収まってくれないことが分かるでしょう。

海兵隊員たちが休憩時間にサッカーをするシーンが2シーンほど出てきます。サッカーと言ってもそれは一般に認識されているそれではなく、地面に描いた朝鮮半島をピッチに見立て、その半島に沿って配置された海兵隊員たちが、明確な敵・見方の区別などないままボールを蹴りあうというものです。その描かれた朝鮮半島に、南北境界線はありません。北だろうが南だろうが関係なく、ということはつまり、自分以外の全てが敵であり見方であるような空間において、その遊戯は行われるのです。
軍隊での任務を終え、社会へと帰還すべき人間であるチャン・ドンゴンがなぜまた軍隊へと戻って来ざるを得なかったのか。見えない足かせが彼を再び軍隊へと引き戻してしまうこと。明確だった社会と軍隊の境界線をも、彼は消してしまうでしょう。
恋人を射殺され、正気を失った紛れも無い弱者であった女性が、現実と非=現実を区別出来ぬまま海兵隊員に次々と体を許し、挙句営倉行きを恐れる彼らを無邪気に断罪していくシーンでは、スパイを追うものとしてその権力を盾に銃を手にする海兵隊員の人間的な弱さが暴かれ、強者と弱者は逆転します。そしてその女性同様、狂人と化した(であろう)チャン・ドンゴンもまた、いつの間に追われる者から追う者へと変遷していく……
以上のことからもわかるように、指摘しうる対立項を仕切る境界線は物語の進行と共に溶解し、それぞれの立場はその足元をぐらつかせつつ、何が善で何が悪かという根源的な問題を曖昧にしながら、極めて流動的な世界そのものの姿を炙り出していくのです。

『コースト・ガード』が描く世界は、ドロドロとした不定形の世界にほかなりません。あらゆる境界線を焼き尽くそうとするキム・ギドクの、価値観の凝り固まった世界に対する“怒り”が表明されているのです。ラストシーンで、社会へと帰還したかに見えたチャン・ドンゴンが民衆に向けて銃剣を突き刺す姿は、ほとんどテロリストのようであり、一人の被害者にも見えてしまうという矛盾。現代において、正しいことも間違ったこともあるのか。人は常にそのどちらに属してもおかしくないような、曖昧な世界に存在しているのかもしれません。

やはり『春夏秋冬そして春』とは一線を画する映画です。無論、『サマリア』を観た印象とも異なります。ともあれ、今私が注目せずにはいられない監督であることだけは間違いないと断言できるでしょう。

2005年05月17日 23:38 | 邦題:か行
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Title: 韓流シネフェス??/「コースト・ガード」★★★
Excerpt: キム・キドク印にしては甘い 「コースト・ガード」★★★ チャン・ドンゴン主演 海岸警備隊の海兵隊員が, 軍事警戒地域で民間人を 誤射したことにより 精神をおかしくしていく。 主人公をチャン・ドンゴンが演じ、 監督がキム・キドクとくれば 重??く、救い...
From: soramove
Date: 2005.05.21
Comments

>現象さま

はじめまして。コメントありがとうございます。
そしてトラックバック、やはり出来ませんでしたか…。申し訳ありません。ちょっと設定を変えてみますので、よろしければ再度挑戦いただければと思います。

さて、貴ブログの記事、拝読いたしました。
もしかしたら私はとんでもない記憶違いをしていたかもしれません。あの朝鮮半島に見立てたピッチに、ネットなど無いものとばかり思っていました。同時に、ラストで消えたショットもすっかり忘れて、というより抜け落ちていました。これは再見しなければなりませんね。ありがとうございます。

先日新作『うつせみ』を観ましたが、やはり『春夏秋冬そして春』以降の映画だと確信しました。もはや彼の映画は安心して観られる域に達したような気がします。ただし、その思いもどこかで裏切られるのでしょう。それがまた楽しみだったりするので、何とも複雑です。

ともあれ、今後とも宜しくお願いいたします。


Posted by: [M] : 2006年03月14日 13:10

はじめまして。
TBさせていただこうと思ったのですが、
うまく貼ることができずコメントのみ失礼させていただきます。
今まで意識したことがなかったのですが、
「あらゆる境界線を焼き尽くそうとするギドク。」
頷かされました。
作品にのりうつった憤怒は、
「春夏秋冬そして春」前後で大きく違うと感じます。
ラストシーンで有刺鉄線のネットが消えるシーンは、
切なる思いが込められているようで非常に印象的でした。


Posted by: 現象 : 2006年03月13日 21:51

>soramove様

コメント&TBありがとうございました。
いつの時代にも異端児はいるものですが、最近のキム・ギドクは大分受け入れられてきているように思います。やはり、各国の映画祭での評価は、動員にかなり影響を与えているかと。

こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。


Posted by: [M] : 2005年05月22日 17:50

私も同感でこの監督の作品はなるべく見るようにしています。優しい映画や軽めのコメディが多い韓国映画界のなか、異彩を強烈に放っていますよね。
感想を興味深く読みました。
また時々来ます、これからもよろしく!


Posted by: soramove : 2005年05月21日 18:12
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