2005年04月06日
『サイドウェイ』を観て自覚したある種の思いを…
M・S様
ご無沙汰しております。桜の季節になりましたが、飲みすぎて体を壊してなどいませんでしょうか? つい我を忘れてしまいがちなところがある貴兄が、いつまた大怪我してしまうかもしれないと、時折心配になります。くれぐれも酒にはご注意ください。
さて、なんだか説教じみた文句から始めてしまいましたが、別にそういうつもりはないのです。もちろん私がわざわざこのような便りを出すのですから、その内容は映画に関する以外はありません。実は、貴兄に是非とも観ていただきたい作品がありまして、おせっかいながらこうしてご連絡させていただきました。
映画好きの貴兄ですから、アレクサンダー・ペインという監督はご存知のことと思います。かつて“『アバウト・シュミット』を見逃した”などとおっしゃっていたような気がするので、あるいはすでに注目されている監督なのかもしれません。
ともあれ、彼の新作『サイドウェイ』をお台場シネマ・メディアージュにて鑑賞しました。その数日後、今度は六本木ヒルズ内のTOHO CINEMAにて再度鑑賞し、誰に頼まれたわけでもありませんが、本作を会う人ごとに語気を強めて薦めるという、ほとんどテロみたいなことをしておりまして、この便りもその一環というわけです。
もちろん、本作がオスカーを受賞したとか、とりわけアメリカの批評家連中に絶賛されているからといった要因がそうさせているのではありません。貴兄が再三にわたって言っているように、それらは、未だに映画宣伝に良く用いられる「今年一番の傑作! (ニューズウィーク誌)」のような、空疎で陳腐な情報よりはいくらか興奮させられるものの、取り立てて喧伝する程の価値がないことを知っているからです。もちろん、シネフィルでもない私が騒ぎ立てているからといって、その作品に絶対的価値があるなどという錯覚は自粛しているつもりですので、以下の言葉は、親しい友人の戯言として軽く聞き流していただければ良いのですが。
それにしてもこの『サイドウェイ』の公開規模はあまりに地味だと言うほかありません。最近池袋での上映が始まったようですが、少なくとも『ロング・エンゲージメント』などよりは10倍は面白く、貴重な作品にもかかわらずです!! ただし、あまり派手に公開すべき作品ではないような気がしないでもなく、やはり、このくらいひっそりと公開されている方が相応しいのかもしれません。
さて、世間での『サイドウェイ』は、スター不在の地味な映画だけれど脚本の素晴らしさがそれを補っている、とか、ワインの熟成を味わうようにじっくりと味わいたい大人の映画だ、などといわれているようです。それらに対し特に異存は無いものの、私はとにかくこのように結論したいと思います。『サイドウェイ』は端的に言って滅法“面白い”アメリカ映画だ、と。
ここでいう“面白い”という言葉、これほど曖昧な言葉もまた無いのですが、今回はあえてこの凡庸な言葉を選びたいと思います。それは映画の感想としては最も稚拙で回避的なのアティテュードだと、貴兄はおっしゃるかもしれません。そうでなければ、この映画のいかなる細部が感動的だったのか、それを言ってみろとお思いにもなるでしょう。そして実際にその通りかもしれません。
ところで、『サイドウェイ』の原題は「Sideways」ですが、何故邦題が「サイドウェイズ」とならなかったのかお分かりですか? もちろん、観ていない貴兄にはわかりかねると思いますが、実は私にもわかりません。そこに重要な意味など無いことだけは何となく分かりますが。では、原題の「Sideways」とはどのような意味か。ごく一般には“寄り道”と訳されるようです。しかし、このタイトルに見られるように複数形で用いる場合、“遠回りの”や“回避的な”という意味としても用いられるのです。と、ここまで書けば、先に記した私の“回避的な言葉”が、本作を意識したものであることはお分かりいただけますか。いや、本当は全くの嘘で、ただの偶然に過ぎないのですが……
まぁ聞いてください。
そもそも貴兄は映画に何を求めていますか? 何を唐突に、と思われるでしょうが、私は『サイドウェイ』を観た上で、実は少なからず反省をしているのです。何故なら、気づいてしまったからです。このところ、自分が救いがたいほどに硬直した状態で映画を観ていたということに。ここで暴言とわかりつつもあえて言わせていただければ、仮に貴兄がこの映画を観た場合、このように思われるのではないでしょうか。私なりの見解を述べさせていただきます。
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■70年代のヨーロッパ映画的な“淡い”画面は、ある戸外の限られたシーンでは確かに悪くない効果をあげていたものの、ドライブシーンで導入される分割画面は、時間的制約が要請する小さなエピソードの省略以上の効果をあげることのない、つまり悪く言えば、新味のなさを印象付けられた。
■ワインの成熟と中年に差し掛かった人間とを重ね合わせる説話手法は、それ自体に大きな錯誤が認められないとはいえ、だからといってそのもっともらしさを称揚したい気にはなれない。
■それぞれの俳優はキャラクターの造形にかなり貢献しているが、裏を解せば、想像を大きく超えることもないまま、瞬時に視線を奪うほどの演出が見られるわけでもない。
■確かによく練られた脚本だが、アメリカの多くの批評家たちが絶賛したという外的要因なしに、果たしてこの脚本を手放しで賞賛し得たのかどうか。
■つまり、決して悪くはないし観る価値はあるが、だからと言って途方に暮れるほどの出来ではない。
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以上はあくまで私の想像の産物ですから、これを読んだ貴兄が腹を立てたとしても、それは至極当然のことですが、もう少しお付き合いください。
実際、私自身が上述したように感じもしたのですが、ここで誤解していただきたくないのは、上記のような感想を受けた上で、結局映画などただ“面白いか”“面白くないか”のどちらかに収斂されるのだ、などと暴力的な結論を出したいわけではないし、細部よりも、行間を読むがごとく、全体に流れる緩やかなメッセージをこそ捉えるべきだ、などという反動的な結論を導きたいわけでもないのです。ここで言いたいのは、映画における凡庸さが時として齎す感動にも、やはり真摯であるべきではないかということなのです。より緩やかに自らの感性を弛緩させることもまた必要なのではないか、と。これはまったく自戒を込めた独り言と捉えていただいても良いのですが、『サイドウェイ』は私に、そのようなことを気づかせてくれました。ややもすれば、映画作品に突出した細部やら、想像を超えるような斬新な演出やら、こちらの人生を狂わせ兼ねないような過剰さやらを求めたがる、恐らく初めて感じたわけではない自らの救いがたさ。この手の救いがたさは、例えば貴兄も好きな『カノン』においてフィリップ・ナオンの口から何度も繰り返される、あの“悪魔的モノローグ”のように不条理で救いがたいと、今では自覚しています。
いろいろと書いてしまいましたが、では、『サイドウェイ』のいかなる部分が“面白かった”のかは、あえて書かずにおきます。でも本作を観る上で是非とも心を解きほぐして観ていただきたいシーンだけは書かせてください。それは以下になります。
・最初のテイスティングシーン
・ワイナリーを疾走するシーン
・最初の4人の食事シーン
・事故を偽装するシーン
そういえば我々もワイナリーに行きましたね。あの時は飲酒運転で死ぬ思いでしたが、本作を観てあの時のことを思い出しました。偶然にも、最近はカリフォルニアワインばかり飲んでいるのですが、安くてもそれなりに重宝してます。
貴兄も是非、ボトル片手に『サイドウェイ』をご覧ください。
それでは、また近々。
2005年04月06日 00:50 | 邦題:さ行
Excerpt: 『サイドウェイ』 日本公式サイト アメリカ公式サイト ブコウスキー『町でいちばんの美女』『パルプ』(新潮文庫) 監督:アレクサンダー・ペイン出演:ポール・ジアマッティ トーマス・ヘイデン・チャーチ ヴァージニア・マドセン サンドラ・オー
From: Swing des Spoutniks
Date: 2005.04.06
Excerpt: 『サイドウェイ』
From: とりあえずジャンプ・カット
Date: 2005.04.07
Excerpt: アレクサンダー・ペイン監督はこの映画をつくるに当たって撮影のフェドン・パパマイケ
From: Days of Books, Films
Date: 2005.04.19
Excerpt: 「サイドウェイ」を観ました。 面白い! とにかく良い! かなり好き系の話なんだけど、なんなんだろう、テンポもゆったりしていて悪いような気もするんです。 ストーリーもワイン好きの作家と女好きの俳優がちょっとヨコ道(サイドウェイ)にそれた一週間ってだけな...
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Date: 2006.10.11
>koi様
たびたびありがとうございます。
なるほど、ラストでヴァージニア・マドセンを登場させていたら、というのは考え付きませんでした。例えば、ドアが開いて彼女の笑顔が一瞬でも見られたら、それはそれで幸福な結末として記憶されるでしょうね。
やや“スマートさ”が勝ってしまっていた、ということでえしょうか。
あの車はやはり、私もポール・ジアマッティのメタファーとして捉えました。この映画に留まりませんが、映画における「車」の存在は、監督の姿勢みたいなものがどうしても出てしまうのではないかと。そこにどのような意味を付されているのかと考えることは、どんな映画でも無駄ではないかもしれません。
ただし、「サイドウェイ」に関しては、なかなか結論にまで至らず、車だけに注目しつつもう一度観るくらいはしないと、とても文章がまとまりそうにありません…。
まぁ、今後も精進させていただきますので、宜しくお願いいたします。m(_ _)m
Posted by: [M] : 2005年04月11日 10:10
[M]さんからの返答を受けて考えてみたのですが、「途中」と「回避(迂回)」とは、ある種の終着点があるという意味ではあまり変わらないかもしれませんね。
僕も「途中」とは、彼がまだ中年であり、これからいくらでも変わることが出来るのだという意味でとらえていました。
ラストシーンについては、「ストーリー」としたことで誤解が生じてしまったのだと思いますが、僕はポール・ジアマッティが変われたことが物足りなかったのではなく、なぜラストでバージニア・マドセンを登場させなかったのか不満だったのです。監督はわざとらしい演出のようなものを随所でうまく回避していますが、[M]さんの言うように、あの作品の素晴らしい点のひとつはその「凡庸さ」にあったのですから、彼女を登場させたほうがより良いラストになったのではないかと思ったわけです(ネタバレになっていたらごめんなさい…)。
「車」は彼自身のメタファーでもあり、キーワードになってましたよね。ポンコツになった「車」は彼の満身創痍っぷりがよく現れていて、かなり笑えました。
[M]さんの「車」についての文章もぜひ読んでみたいです。
Posted by: koi : 2005年04月10日 00:11
>ng殿
“Mの勝手にシネマ”というは、石川三千花氏をパクることになってしまいますね。但し、イラストをもう少し有効に使う術は無いものか、この点に関してはまだ新たな可能性が残されているようにも思います。
実は遠い昔、イカレポンティY氏(ラグビー部の方)に向けて“勝手にシネマ”的手法でとある作品を紹介したことがあります。PCを探したら見つかりましたので、恥ずかしながら後程こっそりアップロードしておきます。
>treevillage様
コメントありがとうございます。
なんと言いますか、自分で書いておきながら「凡庸さ」を説明するのが非常に困難極まるのですが、感覚的にはtreevillageさんのおっしゃることに近いと思います。極平凡でありながら、だからこそ多くの人間にとって肯定的な共有感覚を催させる荒唐無稽さ、っていう感じですかね。
私もあのシーンは大好きですよ。
土手を疾走する様を律儀にカメラ位置を変えて撮っているんですよね。ボトルごとワインをがぶ飲みする、あの“わかり易さ”が好きです。
Posted by: [M] : 2005年04月08日 17:30
TBありがとうございました。こちらも返させていただきとう存じます。
Mさんが挙げた4つのシーンの中では、疾走のシーンがちょっとドリフっぽくて好きでした。「ありえねーよ」っていっても面白い。それって、Mさんのいってる「凡庸さ」って事でしょうか?
Posted by: treevillage : 2005年04月08日 04:10
先輩、新しいすね、この表現。狙ったわけではないでしょうがかなり面白いです。たとえば”Mの勝手にシネマ”のような劇画タッチのコーナーとか、これからも新たな地平線を切り開いていってほしいです。陰ながらオーエンしてます。
Posted by: ng : 2005年04月07日 22:53
>koi様
コメント&TBありがとうございます。
基本的にTBというものは事前に予告して打つものではないと思いますので、全く問題ありませんよ。
ワインの成熟と中年のそれを重ねた説話自体については、よく言われているほど私自身が思うところなどなかった、というのが正直なところです。
おっしゃるように、「寄り道=途中ということ=中年」という観方もまた興味深いと思いますが、私は文中にも触れているように、「sideways」という言葉を「回避(迂回)」という意味で捉えました。あのラストシーンは、何かにつけ回避的だったポール・ジアマッティの生き方が、迂回を経て変容しつつある状態としてみれば、なかなか悪くないシーンだったと思います。
実はこのような文章を書く前に、まさしく「車」に注目した文章を途中まで書いていたのです。本作では車中のシーンも含め、重要なシーンには必ずといっていいほど車が登場しているのです。そのような視点から、もう一度この映画を観てみるのも強ち無駄ではないように思います。
Posted by: [M] : 2005年04月07日 10:29
>ワインの成熟と中年…
とありましたが、僕はむしろ、寄り道=途中ということ=中年という視点で見ていました。なぜなら、車が道を右から左、左から右へと走っていくという繰り返される特徴的なシーンがあるのですが、そこにおいて必ずカメラは左右の中間=途中に立っているということに気がついたからです。そしてこのシーンはラストにおいてのみ車内からのフロントごしの視点になるわけですが、残念ながらそのことについて納得のいく自分の回答は得ることが出来ませんでした。
それ以外のこの映画の素晴らしさについてはブログに書いてみましたので、見ていただけたらと思います。
トラックバックを使ったのは初めてなのですが、勝手にしてしまってよかったでしょうか?
Posted by: koi : 2005年04月07日 00:21