2005年02月16日

私の1位は6位でした

映画芸術410号遅ればせながら「映画芸術410号」を読み終えました。“2004年日本映画ベストテン&ワーストテン”と題された本書、40人選者たちが昨年公開された日本映画の中から独断と偏見に満ち溢れたベストとワーストを決定するという企画です。
私自身に関して言えば、ベスト10に選ばれた作品からは5本、ワースト10に選ばれた作品からは2本しか鑑賞していません。しかもワーストの2本はベストの5本とダブっています。

さて、ではこの事実が何を意味するのか。確実に言えることは、槍玉に挙げられた112本の作品中9本しか観ていないということ。つまり、年間100本以上の作品を劇場で鑑賞する私とて、その10分の1程度しか日本映画を観ていないという事実です。これを忌々しき事態だと憤るか、そんなものだろうと高を括るかという、自らの日本映画に対する“姿勢”に関わる問題は大いに孕んでいるような気がしました。所詮私事ですが。

それぞれの選者が掲げるベストやワーストに関して言えば、特に感じるところがありません。もちろん、自分の評価に非常に近い人間がいなかったわけではないのですが、全体を通して見ればあまりに作品の振幅が大きく、皆それぞれに忌憚の無い意見のように思われ、正誤の判断など出来ませんし、そんなことは求められてもいないでしょうから。よって、それ以上の意味を見出すのは困難だというのが正直な感想です。

それにしても第1位が『ユダ』、第112位(最下位)が『世界の中心で、愛をさけぶ』ですか。『ユダ』に関しては言葉の真の意味で“見逃した”ので悔しい限りですが、自らの意思として“観なかった”『セカチュー』に関して思うのは、あれだけ熱狂を持って観客たちに迎えられたこの青春(純愛)映画の興行的価値はどう考えれば良いのかということ。統計的結果ですから、それなりの信憑性はあるのでしょうが、やはり、この手の祭り(イベント)は容易に鵜呑み(参考)にすべきではないでしょう、ってそんなことは改めて言うべきことではないですかね。

何をもって作品の価値を判断するのか、これは映画好きにとって大変倫理的な問題です。

2005年02月16日 19:12 | 映画雑記
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Comments

>yyz88様

コメントありがとうございます。

>そもそも映画の批評なんて何なんだ?と思うことがありま>す。

これには確かに同感です。私としては、批評の価値は“新しい観方の提示”(某映画狂人風に言えば“光を与える”こと)に尽きるのかな、とも思うのですが、やはり作品の良し悪しも、批評の好き嫌いも、最後には観客(読み手)自身が判断し責任を持つしかないと、今はそのように結論したいと思います。

当blogも所詮は自己満足に過ぎません。その自覚だけは捨てずに置かなければと思います。

>INT.様

どうもです。

なるほど、多面的な評価ですか。受け手の嗜好性を無視して、自論を振りかざす類の批評にうんざりされているということでしょう。わかります。
映画批評というのは、最終的には映画(作品)に貢献しなければならないと思います。そのために暴論をぶることも時には必要なのかもしれませんし、ひたすら優しさに徹するという方法もあるでしょう。
そのあたりも、INT.さんご自身がいろいろな批評を読むことを通して判断されていくしかないのかもしれません。自身の嗜好性を否定してまで、映画を楽しむことは苦痛ですから。

山田氏の批評は是非ご一読ください。


Posted by: [M] : 2005年02月18日 12:29

すいません、書き方が曖昧過ぎたみたいです。

まず一つ、例えば、ある映画を観た時に私のツボにはハマらなかったけど
[M]さんのツボにはハマるものだった、と言う事は良くあると思うんですが
そう言う受け手の趣味嗜好に依存する部分を意識出来ている人が
余りにも少ない気がするんです。

もう一つ、ある映画はストーリーは今一つだったけど、
例えば演出、例えば撮影、そう言う細かい部分が素晴らしいとか、
そう言った多面的な評価をあまり見かけないんです。

そう言う意味で、ある部分は「貶し」、ある部分は「褒める」、
そう言うことの出来る評論家がいないだろうか、と。

あ、山田宏一さんの批評はチェックしてみますね。


Posted by: INT. : 2005年02月18日 01:44

どうも^^

セカチューって最下位なんですか・・・世間で騒いでいたので、普段あまり邦画を見ない私もDVD借りてきて見ましたが、そんなに悪いとは思いませんでした。さりとて特に良いとも思いませんでしたが。点数をつければ70点くらいでしょうか。

>何をもって作品の価値を判断するのか、これは映画好きにとって大変倫理的な問題です・・・・これは難しい問題ですね。

私自身は映画好きではあるけれど、その批評をする資格があるとは思っていないので、私のサイトで私が書いている駄文は小学生の書く読書感想文のようなものだと思ってます。

しかしながら私のサイトでは星5つが満点で採点してますが、サイト内で、あれは作品評価ではなくあくまでも個人的に楽しめたかどうかというバロメーターですと断っていても、鵜呑みにする人は必ずいるもので、自分では批評などと思っていなくてもそう取られることもあるし、そもそも映画の批評なんて何なんだ?と思うことがあります。

よくその映画を見る時、事前に映画の内容などを丹念に調べる人がいますが、映画見るのにガイドブックなんか必要なのか?と個人的には思っています。

私自身は、例えばポスターを見て気に入ったとか、タイトルを聞いてビビッときたとか、好きな女優が出ているからとか、映画を見るキッカケはその程度のことで、鑑賞前から詳しく調べるなんてことはしないので、たくさんの批評を読んだり聞いたりしてから映画館へ行くという人が信じられないのですが、批評が少なからず参考になるというのは事実でしょう。

ただ、あくまでもそれを読んだり聞いたりする側の姿勢に大きく左右されるような気がします。よって、誰の批評が良いとか悪いというのは筋が違うのではないかと思っています。本人の好みの問題と批評家の能力とは切り離して考えるべき性格なのではないでしょうか。ましてや映画の価値となると・・・どう判断してよいのやら・・

こんなこと考えてると夜も眠れなくなりそうですね。失礼しました(笑)


Posted by: yyz88 : 2005年02月17日 21:03

>INT.さま

こんばんは。

なるほど、「褒める事がヘタクソ」ということはつまり、その批評を読んでも観にいきたいと思わないということですかね。
もちろん、批評の存在価値は“動員力”のみに終始するとは思えませんが、少なくともその作品に対する興味を持ち得ない文章は、確かに読む気がしないかもしれません。

かつてジャン・ルノワールは、“真の批評家は映画作家でなければならない”というようなことを言っていたような気がするのですが、私がそう思うかどうかは別として、どの批評家が正しいのかという問題など、最終的には嗜好性に左右される他無いのですから、こればかりは自分で探すしかないのではないでしょうか。

それでも最後に付け加えるなら、山田宏一氏の批評は信用に足ると思っております。


Posted by: [M] : 2005年02月17日 19:41

正直近頃の「映画評論家」と呼ばれている人達のレビューは読む気がしません。
あまりにも「褒める事がヘタクソ」に見えるんですよね。

「褒める」と「貶す」を両方心得てる評論家ってどなたかいないでしょうか。


Posted by: INT. : 2005年02月17日 19:23
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