2005年02月20日

『復讐者に憐れみを』には、中心を欠いた邪悪さが漲る

:::caution:::結末に触れていますので、未見の方は読まないで下さい:::caution:::

復讐者に憐れみを周知の通り、『復讐者に憐れみを』はパク・チャヌク監督による“復讐三部作”の第一作目という位置づけにあります。第二作『オールド・ボーイ』を見る限り、この三部作は“復讐”という主題における共通項は認められるものの、恐らく、説話上の関連性は無いと言えるでしょう。
ところで、以前『マイ・ボディガード』に関する文章でも触れましたが、私が映画における復讐で重要視するのは、

復讐に費やす時間の長さ/準備の周到さ/手口の残酷さ

であり、これらの描写に惹き込まれるかどうかでその評価が決まると一先ずは言えます。ただし、いくら復讐劇と言っても、それに関わるシークエンス以外を全く無視するわけにはいきませんが、少なくとも、何故ある人間が復讐するに至ったのかという、説話的視座に立って論を進める気はないということです。

さて、『復讐者に憐れみを』には成就するものもしないものもあわせると、私が気づいただけでも、計6つの復讐が描かれています。誰もが加害者であり被害者でもあり、あらゆる人間たちが復讐を接点に絡み合っているこの複雑極まりない構造には、パク・チャヌク監督が現実世界をどのように捉えているのかが表れているような気がしてなりません。本作について度々使用されている“リアリスティック”という言葉も、監督の現実認識の厳しさ(ニヒリズム?)によりある程度説明がつくのではないでしょうか。

6つある復讐を図式化してみると、最も多くの復讐に絡んでいるのがソン・ガンホであることがわかります。つまり、中心に据えるべきは彼ということになるでしょう。ソン・ガンホは、復讐される側でもあり、復讐する側でもある。本作が残酷なのだとすれば、それはもちろん目を覆わしむる描写においてではなく、結局はあらゆる“救済”を拒絶するかのような説話展開に拠るのですが、それは置いて話を進めると、ある中小企業の社長であるソン・ガンホは、不況のため止む無く解雇したある工員により、最初に復讐の対象となります。そこで展開される、ショッキングというよりは美的というべき血の描写が印象的なカッターによる自傷シーンも、次の瞬間には乾いた笑いを誘うでしょう。それは、一連の光景を冷酷に見据える、離れた位置からのショットに拠るのです。もちろん、というべきか、ここでも台詞は極力排されています。そもそも本作は、全編を通して非常に台詞が少ない。口の利けないシン・ハギュンの存在もその一端を担うのでしょうが、やはり、あえて言葉に頼らず、画面の連鎖だけでこの陰惨な物語を語りきることに、パク・チャヌクが意識的だったということだと思います。そして、その試みはかなり成功しているのです。いずれも緊張感漂う俳優陣の演出や、空間把握が特徴的なカメラ位置を通じて。
実際、『復讐者に憐れみを』における重要なシーン、それはつまり、復讐そのもののシーンということになるのでしょうが、そういったシーンには特に静けさが漂っているかのようです。言葉で“怒り”を表現させない(本作には怒鳴ったり叫んだりするシーンがほとんどありません)かわりに、行為にそれを託す。だから、ここに展開されるあらゆる復讐シーンが“痛い”のです。しかもそれは“直接的な痛み”となって観客を襲うでしょう。バッドでの殴打、電気ショックを用いた拷問、動脈から噴出す血、切られたアキレス腱等々が、感情のレベルではなく、“痛み”のレベルで我々に訴えかけていたのは重要でしょう。さらに言えば、死体の描写もその変奏であったといえるでしょう。ムカデが這い、ところどころ朽ち果てた自殺したシン・ハギュンの姉の顔、溺れ死んだソン・ガンホの娘の目と火葬され灰と化した腕、椅子に縛られたまま硬直したペ・ドゥナの体、そして、バラバラにされゴミ袋につめられたシン・ハギュンの肢体・・・そこまで見せる必然性などないかのようなこれらのショッキングなイメージは、しかし、この救いのない物語においては等しく不可欠なシーンなのです。

ここで唐突に本作の原題を振り返ってみます。“Sympathy for Mr. Vengeance”という原題にある“Mr. Vengeance”とはいったい誰なのか。これは、“復讐する(ある匿名の)人間”を指しています。だとすれば、これはソン・ガンホのみを指しているわけではありません。シン・ハギュンもまた、憐れむべき人間だからです。彼もまた、復讐の対象であり、復讐者なのですから。ここに『オールド・ボーイ』との接点を見出すことが出来ますが、それもここでは置いておきます。指摘しておきたいのは、本作はやはり、据えるべき“中心”を予め欠いた物語であるということです。あえて前言を覆せば、その中心は人物にではなく、復讐という概念にこそ置かれているということなのかもしれません。

『復讐者に憐れみを』において、復讐するものが善人で、されるものが悪人という簡単な図式は全く通用しません。そもそも復讐という行為自体が“違法(=悪)”なのだという現実論はさておくとして、もはやそんな現実においても救いなど無いのだという冷めた認識が、かなりの説得力をもって突きつけられます。この居心地の悪さは、パク・チャヌクが世界に感じているそれと同じ感覚なのかもしれません。取ってつけたようなラストシーンの不条理さこそ、それを端的に表してはいないでしょうか。

『復讐者に憐れみを』は、この文章の最初に提示した3つの条件を全て満たすというレベルに留まらず、何か途方も無く暗鬱たる思いを抱かせる邪悪な映画です。こんな映画を、いったい誰が望んでいるのかわかりませんが、少なくとも、この映画に比肩しうる映画を挙げろといわれても、口を閉ざしてしまうでしょう。

2005年02月20日 16:25 | 邦題:は行
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Title: 復讐者に哀れみを
Excerpt: 監督:パク・チャヌク 英題:Sympathy for Mr. Vengeance
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Date: 2005.02.20
Title: 『復讐者に憐れみを』〜復讐メリーゴーランド〜
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Date: 2005.04.14
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From: ある在日コリアンの位牌
Date: 2005.12.14
Comments

>yyz88さま

毎度どうもです。TBもありがとうございました。
貴ブログにおける“液体”への注視、興味深く読ませていただきました。
パク・チャヌクは確かに何かのメッセージを伝えるというタイプではないかもしれませんね。むしろ、自身の背徳への羨望にも似た何かを、映画で描こうとしているかのように思えてなりません。現実に対する不条理な感情も、恐らくそのまま作品に反映されているのではないでしょうか。
ペ・ドゥナが率いるテロ組織に関する伏線は、彼女自身の発言として描かれていましたが、警察はそこまで突き止めることが出来ない。監督のインタビューを読むと、あれは警察が真実を語るとは限らないということを見せたかったらしいです。
いずれにせよ、見事に誰もいなくなってしまうあのラストには、やはり絶句するしかありませんが。

>Billyさま

コメントありがとうございます。
mixiのレビューを読ませてもらいました。
今後、恐らく多くの復讐劇を見ることになると思いますが、高校生の時にこういう映画に出会ってしまうと、それはそれで大変ですね(笑)

思うに、パク・チャヌクはサイレント映画を撮った監督たちに備わっていた資質、すなわち、絵だけで物語を語るにはどこにカメラを据えるべきかを理解していますね。韓国の映画監督一の映画狂というのも伊達ではないのでしょう。


Posted by: [M] : 2005年02月21日 12:33

今日観てきましたが、凄かった。

ぼくはこの映画を語れるレベルにないのでなんとも言えませんが、とにかく強烈でした。


Posted by: Billy : 2005年02月21日 01:41

すいませんプレビューとポストを間違えて押してしまいました^^; 第三者で始る文章は以下の文章に置き換えて読んでいただけるとありがたいです。

第三者(恐らくぺ・ドゥナと関係があったと思われるのだろうけど劇中に伏線が張ってあった訳ではない、ことを考えると)が何の前触れもなく現れて悪事を働いていくところなどを見ると、この映画で描きたかったのは世の中の不条理ただ一点のような気がします


Posted by: yyz88 : 2005年02月20日 19:48

TBありがとうございました

韓国映画界のことは詳しく知りませんが、恐らくパク・チャヌク監督はクリスチャンではないかと思っています。『オールド・ボーイ』でチェ・ミンシクが舌を切ったり、知らなかったとはいえ自分の娘と関係を持ってしまったところなどはギリシャ神話のオイディプスを思い起こさせるし、Mさんも文中で触れられているように本作の原題からすると『右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ』のようなキリスト教の慈悲の心みたいなものを感じざる得ませんね。

あとこれも極めて個人的な印象ですが、パク・チャヌクという人は映画にメッセージを込めるタイプの監督ではなくひたすら物語を語ることに注力するタイプなのではないかという気がします。

ラストシーンなんかは結局それまで物語の中心だったキャラクターとは一見関係ない第三者、恐らくぺ・ドゥナと関係があったと思われるのだろうけど、劇中に伏線が張ってあった訳ではないことを考えると、この映画で描きたかったのは世の中の不条理ただ一点のような気がします。

不条理な話だからこそ、メッセージを込める事など無意味という事も出来ますが。

私自身はこのエンディングでのやり切れない気持ちに似たものをデビット・フィンチャーの『セブン』で感じましたが、やはりどうしてもキリスト教的な思想に基づくのではないかとの疑念を取り払う事ができません。

だからこそあえて私自身のサイトでは「水に流す・・」といった極めて日本的な視点で書いてみたのですが(笑)

いずれにしても深い映画で、もう一度じっくり見てみたいですね。


Posted by: yyz88 : 2005年02月20日 19:41
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