2005年01月24日
天邪鬼な百合の花
この週末は私にとって、ことの他有意義で感動的だったとまずはご報告しておきます。無論、それは映画に拠る部分もあるとは言え、全く映画とは関係ない部分での“幸福”としか言いようの無い極私的な出来事がありまして、どちらかというと普段孤独に陥りがちな私の気分も、この週末に関してはかなりのハイテンシオーネの状態をキープするに到ったと。まぁ、そのようなこと(と言っても分からないでしょうが)をこの場で詳述するつもりもありませんが、映画を観る際のコンディションは意外と重要なもので、それはそのままこの週末のコンディションに多分に好影響を与えたというわけです。
というわけで、土曜日はアテネフランセ主催の「ジョン・フォード『投げること』完結編」へ。蓮實重彦氏による“映画表現論-21世紀version-”と題された本講演は、先にフランスと日本で発表された同名の評論を完結させるという題目の元に催されたようです。
当日券のみ、30分前からのチケット販売とのことでしたので、かなり早めに現地におもむきました。小津に続いて氏が発表したモノグラフィーということもあって、期待も高かったということです。加えて、西部劇を好む私にとってジョン・フォードが比類なき監督だったということも、本講演に参加しようと思った要因です。果たして開場は満席、余談ですが、『レイクサイド・マーダーケース』公開初日にも関わらず、青山真治監督も駆けつけていたようです。
例によってリポートの詳細は他サイトに譲り、雑感をば。
すでに「文学界2月号」を読んでいた私としては、それを忠実に再現したかのようなこの講演に大きな発見は無かったと言えますが、それより何より、41本に及ぶ参考上映(VHS)には貴重な作品が多く、とりわけ未見だった遺作『荒野の女たち』のラストシーンを観られただけで満足だったといっても言い過ぎではありません。
もちろん、これまで蓮實氏の言説を読んだり聞いたりしていた私とて、例えるなら『カリフォルニア・ドールス』のあるシーンを何回観ても同じところで笑ってしまうように、時にジョーク交じりの氏の講演はやはり興味深く、2時間以上という時間を全く感じさせなかったと断言することには躊躇を覚えません。事実、「文学界」に書かれた論評には“目から鱗”的な発見も多かったのですから。
カメラによって記録されたフィルムの全てが映画にはならないことは、極当たり前の事実として認識されています。つまり、映画作品はあるショットを生かし、別のショットを殺しながら成り立っているのですが、だとすれば、生かされたフィルム(映画作品として完成したフィルム)には、生かされた必然があります。にもかかわらず、人はそのショット一つ一つに目を瞑ろうとする。結果、画面を観ずに捏造された解釈という武器を振り回し、肝心な映画自体を取り逃がす……これが、“motion picture”と呼ばれている映画が常に抱えている問題だという氏の一貫した姿勢は、本講演においても変っていません。いったい、誰が“運動”を“観て”いるのか、と。
ジョン・フォード作品において、“投げること”がいかに徹底した主題だったのか。それを証明するには、やはり作品を“観る”しかないということがこの講演のテーマでした。それは確かに抗いがたい程に鮮やかな証明として、私の目に映ったと言えます。もちろん、それが“絶対的”なフォード作品の“観方”だと断言出来るかといえばそれは難しく、あくまで相対的な価値基準であることもまた否定できないでしょう。ただ、私はこの講演の後、ジョン・フォード作品のことごとくを見直したいという欲求に捉われました。現代の批評家としての役割が、“動員”に直結するかどうかは大いに議論の余地があり、またTVというメディアから聞こえてくるが故の錯覚、例えば某感動強要人だとか、某自腹恐喝人などの影響力も決して無視できないのですが、批評としての価値は、観ることが困難な作品を上映できるだけの人を動かし、不当な評価を受けつつある作品の新たな“観方”を提示することで、やはり人を動かすということにあるのではないかと、久方ぶりに、そのような論考に到った次第です。
ちなみに、表題はこの本文とは何の関係もなく、私の“気分”を簡潔かつ曖昧に表したものです。
2005年01月24日 00:18 | 悲喜劇的日常
Excerpt: 映画史をたずさえたもののみが獲得できる強度 見終わった後の感想は「うれしい」、これにつきます。 青山真治の新作がこれほどまで傑作であってくれたことが、なぜかうれしくてたまりませんでした。 「やったあ、やっぱり映画者、間違ってないよなあ」と。 『レ...
From: 秋日和のカロリー軒
Date: 2005.01.26
秋日和さま、こんにちは。
『レイクサイド〜』評、拝読いたしました。大絶賛ですね。彼は相当なシネフィルですから、あの題材にこれまでの映画史的記憶が反応するのも当然かもしれませんね。
いずれにせよ、今週、最悪でも来週には鑑賞して、レビューを書くと思います。
蓮實氏に関しては特にありませんが、私自身に関して言えば、彼の数々のショッキングな言葉は、決して字義通りに受け取るべきものではないというスタンスです。
Posted by: [M] : 2005年01月26日 12:10
何べんもすみません。
蓮実は「見ること」の過酷さを説いてきましたが、「文学界」のフォード論でもそうなんですが、「まともな視線の持ち主であればこんなことは誰でも気づく」とか云ってて、アチャ〜また落第だあ〜、思っちゃうんですよね。あの人、バケモノですよ。オリヴェイラの時も「夕刊読んでたら、オリヴェイラの写真がなんとかという野球選手の写真より何平方センチメートル小さかった、パースペクティブの間違いが許せず新聞社に電話してやった!」とか、笑いたいけど、やっぱり笑ってしまいます。
Posted by: 秋日和 : 2005年01月26日 02:07
『レイクサイド』なんですが、まだ興奮が冷めてなくて冷静なこといえないんですけれども、その興奮を書きなぐったので、ぶしつけながらTBさせていただきます。(はしたない文章なのでお恥ずかしいのですが)
Posted by: 秋日和 : 2005年01月26日 01:40
へ〜え、いいですねえ、ハスミン。
青山は初日舞台挨拶もこなしてきたんじゃないですか。
『レイクサイド・・・』行ってきました。
スゴイ作品でしたねえ。
目下、ボクの目標は脱ハスミです。
ハスミ語はいちどうつるとなかなか抜けないんですよねえ。
Posted by: 秋日和 : 2005年01月25日 19:19