2005年01月09日

『犬猫』、画面に漂う完璧な“呼吸”

『犬猫』を一度観終えた後、言いがたい後悔の念に苛まれました。3年前、何故『8mm版 犬猫』を無視したのか。もちろん、その当時は井口奈己という名前にいささかも反応しえず、絶えずPFFの受賞結果に目を光らせていたわけではなかったのでそれも当然なのかもしれませんが、しかし、その2001年より遡ることさらに3年前に、やはりPFFで準グランプリに輝いた『鬼畜大宴会』の舞台挨拶にまで駆けつけ、その挑発的な暴力とエロスにしたたか打ちのめされた経験があるので、やはり言い訳は出来ません。恐らく当時からあたりに放射していたであろう『8mm版 犬猫』の“煌き”を見逃したこと。その悔恨は、少なからず『犬猫』2度目の鑑賞に影響を促し、そして2度見終えた今、紛れも無い歓喜へと変化したのです。

まず論を進める前に、『犬猫』冒頭のシークエンス(アヴァンタイトル)を振り返ってみます。

質素な、だけれども決して冷たさの印象を与えない、小津作品のようなタイトルバックの背景には、なにやら野菜を切る音が響いています。そう思った直後、未だタイトルも表示されないまま切り替わったファーストシーンで、藤田陽子演じるスズは、とあるアパートの台所でカレーを作るためジャガイモの下準備をしています。恐らく彼女の恋人であろう西島秀俊演じる古田は、台所で黙々と料理をしているスズに向かってちゃちゃを入れるも、包丁を突きつけられておずおずと引き下がってしまう。食卓代わりのコタツを正面に配し、左にはマンガを読む古田、右には先にカレーを食べ始めるスズが。何でもスズ任せの古田に、ややうんざりしながらも、最後にはいうことを聞いてしまうスズ。カレーを食べ終え、「アイス食べたくない?」と問いかける古田に、スズは呆れたように「食べたくない」と答えるのです。
次の瞬間場面は変わり、カメラは戸外からそのアパートをフレームに収めます。すると、恐らくアイスが入っているであろうビニール袋を手に歩いてきたスズはアパートの中に消え、画面には物言わぬアパートだけが残ります。その後もカメラはずっと動かずに、誰かを待っているかのようです。何も起こらぬまま(焼きいも売りの車が近くを通りかかりますが)約1分程待っていると、荷物を抱えたスズが大股で歩きながらアパートから出て来るのです。彼の元を去っていくスズを止めることが出来ない古田は、ただ窓から顔を出して「スズ〜」と呟くだけです。古田のアパートの近所と思われる長い階段を足早に下りていくスズを、カメラは階段の上から見下ろします。どんどん遠ざかって、やがて見えなくなるまで。ここで、初めて『犬猫』という題字が表れるのです。

以上が『犬猫』冒頭のシークエンスですが、このシークエンスを観ただけで、私はその後に続く1時間数十分が待ち遠しいような、それでいて必ず訪れる終幕を惜しむかのような複雑な興奮状態に陥りました。その興奮をどう言葉で表せば良いのか、ただ一つだけ言えることは、私がこのシークエンスの“呼吸”に完全に酔いしれたということです。今ここでは便宜的に“呼吸”という言葉を使っていますが、それは例えば“リズム”とか“間”とか“息遣い”とか、そういった言葉に置き換えても一向に差し支えありません。何にせよ『犬猫』を観た一番の衝撃は、それらの言葉が的確に表していると思うのです。
その“呼吸”とやらは、(1)省略(2)音(3)反復(4)演出 という構成要素から成り立っていたような気がします。『犬猫』は、これらが何とも言えない調和を見せつつ、しかし一見特筆すべきドラマや事件を欠いた“日常”であるかのように、全てがすんなり画面に収まっているという、本作が劇場長編デビュー作とは信じがたい程に高度な技術的達成でもあるのです。以下、前述の“呼吸”を構成する要素を具体的に考えてみます。

(1)大胆でいて的確な省略

すでに書いたように、『犬猫』はアヴァンタイトルから見事な省略を見せてくれます。古田との恋人生活からそれが瞬時に崩壊するあたりの、あのアイスに絡む描写で。あるいは、これは私が非常に好きなシーンでもあるのですが、同居することになったスズとヨーコ、そして、中国に留学してしまうからという理由で自分の家を2人に明け渡した小池栄子演じるアベチャンの3人が、荷物が詰まった大きなトランクを転がしながらこれまた大きな坂道を登っていくシーン。3人というより2+1と言うべきちぐはぐな関係性を数少ない会話で際立たせながら、ちょっと間の抜けたアベチャンは「留学先にFAXしなくちゃ。だって今日行くってまだ連絡してなかったし。」と飄々と言ってのけます。スズもヨーコも、そして我々観客も、この子は大丈夫なんだろうかとの不安が生み出す妙な間が画面を覆い始めた瞬間、場面は切り替わり空高く飛行機が飛んでいるシーンに変わるのです。もちろん、この飛行機には無事(?)留学先を目指すアベチャンが乗っているでしょう。見事な省略とは、たとえその後の場面が予測可能でも、画面そのものの力で観る者を首肯させるようなものを言うのではないかと、確信しました。

(2)音の面白さ
ヨーコとアベチャンが近所のスーパーにダンボールをもらいに行くシーン。カメラから遠く離れた彼女たち二人の会話はかすかにしか聞こえません。あるいは、スズとヨーコが2人で焚き火をするシーン(右上の写真)においても、物語上重要な会話がなされているにもかかわらず、やはり彼女たちの声はこちらが注意を払わなければ聞こえないのです。そうかと思えば、室内における様々な生活音は大きすぎる程によく聞こえます。カレーを食べる時のスプーンと食器があたる音、落花生のくずが散乱したちゃぶ台を片付ける音など、何の変哲もない場面において、その“音”だけが異様な存在感を示しています。遠景と近景での、この音に対する繊細な感性は非常に面白い。あえてセオリーを破ることで、些細な行為そのものの滑稽さと切なさを際立たせる。そこには、極めて新しい“音”が溢れています。

(3)反復が織り成すリズム
映画におけるある場面の反復の多くは、そこに漂う滑稽さをより強調することになります。とりわけ、『犬猫』において“反復”が齎すリズムは重要です。例えば実に映画的なあのY字路。スズもヨーコも、同じ様に迷って最後に画面手前にある(見えない)住居地図を頼る。その時流れるBGMもまた反復され、滑稽さがますます印象付けられます。そして極めて映画的なあの長い階段の存在も忘れてはならないでしょう。何か良くないことが起こりそうな、不吉な場所としてのあの階段は確か2度ほど出てきます。階段を下りていくのは決まってスズで、カメラは彼女が階段を駆け下り見えなくなるまで執拗に捉え続けますが、説話上あの階段は“別れ”を印象付ける装置として登場しているにもかかわらず、場面が反復されることで悲しさや不吉さより、ある奇妙な、カラっと乾いた印象を齎すのです。これが『犬猫』のリズムであり、味なのだと思います。

(4)演出=演技を引き出すこと
井口監督の演出は、俳優から演技を引き出すことに傾けられているかのようです。そのための雰囲気作りに時間をかけ、映画の中で俳優が“演じる”という地点から“生きる”という地点までシフトする瞬間を待つ。『誰も知らない』で是枝監督がとったアプローチに近いのではないか、と観るものに想像させるようなこの演出は、『犬猫』における最大の収穫だったかもしれません。驚くべきは、井口監督が演出した対象は人間だけにとどまらなかったということです。ムーちゃんという猫は自分の尻尾を追い掛け回すという芸当をやってのけるし、大きな犬は漫画のように人間を引きずりまわす。動物だけでなく、監督は風さえも演出します。ラスト近く、ふて寝したスズを起こしたのは、他でもない、隙間風がめくる本のページが立てるかすかな音なのです。この繊細な風の演出は驚愕に値すると言っても言い過ぎではないと思いました。もちろん、5人の主要な登場人物は全て輝いています。中でも忍成修吾はいい。あの自転車の乗り方と転び方、とぼけた話し方は感動的ですらありました。小池栄子は今後女優一本に活動を絞るべきだ、とも思わせるほど魅力的に描かれていました。丁寧で真面目で、それでいて穏やかな余裕を感じさせる演出なのです。

これまで書いてきたように、『犬猫』は紛れも無い“呼吸”の映画です。その“呼吸”は、私にとってほとんど完璧な、奇跡のような魔法だったのかもしれません。随分長々と書き連ねてしまいましたが、そのことを微塵も後悔させない映画、それが『犬猫』の完璧さなのです。

2005年01月09日 00:19 | 邦題:あ行
TrackBack URL for this entry:
http://www.cinemabourg.com/mt/mt-tb.cgi/144
Trackback
Title: 犬猫
Excerpt: とにかく素晴らしいという評判を聞きつけ、ならば!と勇んで劇場に駆けつけたわけですが、まったくもって見事だと思いました。  最近読んだ映画本に「映画の授業」というのがありまして、その中の「演出」という章で黒沢清が、映画を撮ることにおいて演出などしない...
From: 秋日和のカロリー軒
Date: 2005.01.13
Title: 犬猫
Excerpt: 機械的な調和というものは、一瞬美しさを感じるものの、結局そこには理解出来る以上の美というものは存在しにくい。 つまり、技術的な驚きはあっても(どこかのカード会社のCMではないが)、心に響く何かというものが見あたらないということだ。こんなことを言えば、「技...
From: 映画の味方★
Date: 2005.01.18
Title: 『犬猫』〜恋愛映画のバックスクリーン三連発〓〜
Excerpt: 『犬猫』   公式サイト   監督:井口奈巳出演:榎本加奈子 藤田陽子 小池栄子 西島秀俊   【あらすじ】 東京郊外のとある一軒家にて、アベちゃん(小池栄子)がカメラの勉強で中国に留学するからと、ヨーコ(榎本加奈子)は留守を任される。そこへ
From: Swing des Spoutniks
Date: 2005.02.07
Title: 犬猫
Excerpt: 監:井口奈己 出:榎本加奈子 藤田陽子 7点  まったりといい映画だった。ヨーコ(榎本)は留学する友人の留守を預かることになる。彼氏の家を飛び出してきたスズ(藤田)がそこに転がり込んでくる。二人はあまり仲がよくない幼なじみなのだが、結局その家で一緒に暮
From: gantakurin's シネまだん
Date: 2005.02.13
Title: 「犬猫」
Excerpt: ビデオメーカー 犬猫 特集【日本映画を語ろう!】 【プレイバック2004】第二弾は新人・井口奈己監督による「犬猫」。 キャストも地味だし、内容もモロ女性映画って感じで、私の最も苦手なジャンルのため 2004年の劇場公開時は全く見る気もなかったのですが、
From: こだわりの館blog版
Date: 2006.01.28
Title: 犬猫 06年115本目
Excerpt: 犬猫 Official Web Site 2004年 ガリンペイロ 井口奈己 監督榎本加奈子 , 藤田陽子 , 忍成修吾 , 小池栄子 , 西島秀俊トリ...
From: 猫姫じゃ
Date: 2006.06.07
Comments

申し訳ありません!
名前とurl表記してなかったようですね。
ごめんなさい。

ご丁寧なお返事、Mさんありがとうございます。

約2年前から独断&偏見映画記事、書いております、札幌在住のviva jijiと申します。
あっ、jiji(ジジ)は愛猫の黒猫の名ですので。^^
以前どなたかが、爺さん運営のサイトかと思われた節も
ございましたので・・・。(笑)

実は「犬猫」の記事持参したのです。↓です。

http://blog.livedoor.jp/vivajiji/archives/50441130.html

思いっきり、ご笑覧くだされば幸いです。


Posted by: viva jiji : 2007年05月11日 19:18

[匿名]さま

はじめまして。コメントありがとうございました。
実はここ数週間、当ブログには悪質極まりないSPAMコメント&トラックバックが鬼のように押し寄せておりまして、トラックバックも承認制という形をとらせていただくと共に、サイドバーからも「最近のトラックバック」を表示させないようにしております。
調べてみたところ、新たなトラックバックはこちらには配信されていないようです。『弓』と『犬猫』、どちらにTBをいただいたのでしょうか? お手数ですがサイトと記事をお教えいただければ、こちらからもTBさせていただきますし、一時的に設定を解除いたしますので。

ともあれ、『弓』に関して言うなら、昨年のベストに入れるべきか最後まで迷ったほどです。この『犬猫』同様、そういった作品評にはどうしても力が入ってしまいます。読みづらい長文でしたが、そのように言っていただけると励みになります。ありがとうございました。

この記事を書いて以来『犬猫』は再見していないのですが、仰るとおり、私もこのままこの時間が続けばいいなぁと思いました。幸いにして、井口監督の新作『人のセックスを笑うな』も完成したようですし、今度は新作のほうで同じ思いを味わえればいいですね。

それでは今後ともよろしくおねがいいたします。


Posted by: [M] : 2007年05月11日 12:40

はじめまして。
僭越ながらTBさせていただきました。
実はキム・ギドクの「弓」のレヴューを読み進んで
いましたら貴ブログにしっかり立ち止まって
心地よくオジャマしちゃいました。
Mさんの深い「弓」記事、拝読しましたらイッキに
マイ記事の下書きが宙に浮遊するハメに・・・。
多分、もう書けないわ・・・ハハハハ(笑)。

で、大好きだった「犬猫」に立ち寄りさせていただきました。
これはもうこの空気の流れ(Mさんは呼吸とおっしゃられている)に
完全に酔わせていただきました。
もうずっとあのまま酔っていたかった、そんな感じの作品。
もう2年経つんですねぇ〜。


Posted by: : 2007年05月11日 09:30

>matsumuraさま

コメントありがとうございます。
「A VERY LONG ENGAGEMENT」、下記で情報を観ましたが、すごいキャストですね。恐らく観ることになると思います。

http://www.themoviebox.net/movies/2004/STUVWXYZ/VeryLongEngagement,A/main.html


Posted by: [M] : 2005年01月19日 13:49

コメント有り難うございます。今日はオドレイ・トトゥのロングエンゲージメントの完成披露でした。この映画に関しては、また後ほど書かせて頂きます。


Posted by: matsumura : 2005年01月19日 01:02

>こヴィさま

なるほど。やはり映画は観る人によって全く違った捉え方が可能だと再確認しました。
かくいう私も、映画における“破綻”が嫌いではないので、おっしゃることは良く分かります。
その“破綻のなさ”を“テクニック”ととるか、“予定調和”ととるか、こればかりは見解の相違というほかありませんね。本作のスタンダード画面が、あるいは、貴兄がおっしゃるような印象を生んだのかもしれない、などと思いもしましたが、かように分析するまで、私にはこの空気感を、計算の結果だとはいささかも思いませんでした。90年代以降蔓延している“ニュアンス”については、同意できます。そのような作品を唾棄したこともありますが、こと『犬猫』に関して言えば、そのような“押し付けがましさ”を感じなかったのです。それはあくまで技術だと、私にはそう写ったのでした。


Posted by: [M] : 2005年01月16日 19:24

[M]氏の論に半分納得しつつも、あえて対極に申すのですが、そのあまりにも“完璧な呼吸”が私には“破綻のなさ”、語弊を覚悟で言えば“予定調和”に見えてしまったのでした。それが自作のリメイクであることに因るのかは判らないのですが、どこか、なにかをトレースしている感が否めなかった。そしてあまりに平穏な日常を信頼しすぎているというか、世界との違和感のなさ、その無自覚さが、苛立たしくも感じてしまう自分がいるのでした。微妙な差なのですが、この作品を例えば3年前に観たら心地よく感じたかもしれません。しかし、私が見た(見せられたと言ってもいいかもしれません)のは、こういうニュアンス、空気、間合い、景色、この感じわかるよね? という確認作業でしかなかったのです。これは、すでに音楽や写真、マンガでは90年代から共有している感覚であり、見出せる新しさは皆無であると言い切ってしまいたい。まして映像であるならば、もっと監督すらも予想もしない無意識や無防備が映りこんでいなければ!! ロメール的な意味ではなく、お笑い・バラエティ的な、出来のいい“コント”でしかないと断言しよう。(と大それた戯言、失礼いたしました。しかし小池栄子は私も予想外の良さでに驚愕でした。)


Posted by: こヴィ : 2005年01月15日 05:39
Post a comment









Remember personal info?