2004年11月12日

『血と骨』に関して追記

【関連ページ】
ある日の会話〜『血と骨』を巡って

昨日の文章を読み返してみると、どうにも悲観的側面ばかりが目立ち過ぎた感が。
いや、私が結果的にそれほど乗れなかったというのは否定しませんが、もう一点、重要なことを書き忘れておりました。あのような会話を捏造までしたにもかかわらずどうしても付け加えたかったこと、それは、全編に漂う“生々しさ”に他なりません。これを言葉で表現することの難しさは承知しているつもりですが、ここではあえて、それを強調しておきたいと思います。

“血は母より、骨は父より受け継ぐ”というキャッチコピーにもあるように、『血と骨』というタイトルに“家族”という概念が込められていることは周知の通りです。そして私は、この“血”と“骨”に深く関係するもう一つのファクター、すなわち、“肉”の存在をどうしても指摘したいのです。『血と骨』に溢れる“生々しさ”は、“肉”という概念を抜きには考えられないと思います。
例えば、北野武演じる金俊平が、豚を屠殺する場面があります。丸々と太った豚を逆さにつるし、よく砥がれた包丁で胸を一突きすると、あふれ出る鮮血を顔や服に浴びながら、たらいで受け止める息子がいるという場面。あるいはこのシーンの変奏が、借金をなかなか返済できない國村隼に対し、自らの腕を切り裂いて溢れ出る血を飲ませようとする場面だと言えるのかもしれませんが、これらの場面は、肉が切り裂かれ、その傷口から血が流れる、そしてその血が別の誰かに与えられるという、極めて直接的な表現がとられています。ここに、血を介した主従関係を読み取ることが出来ると思いますが、そもそも、肉の存在無くして血が流れることは無いのです。

半ば腐りかけ蛆が沸くような肉、蒲鉾工場の作業台にどっさり乗せられたグロテスクな魚の山など瞬時に認識される生臭さに加え、肉と肉がぶつかり合うようなセックスシーンを挙げても良いし、北野武の腹までもが生々しい迫力を放っていたと断言しても良いかと思います。『血と骨』は、かような生々しさを漂わせることで、原作に拮抗しようとしていたのかもしれません。原作を読んだ私が抱いた諸々のイメージのいくつかは、この生々しさにより、辛うじて実を結ぶことができたのだと思います。それはやはり、正当に評価しなければならないでしょう。

2004年11月12日 22:17 | 邦題:た行
TrackBack URL for this entry:
http://www.cinemabourg.com/mt/mt-tb.cgi/114
Trackback
Comments
Post a comment









Remember personal info?