2004年11月02日

『魚と寝る女』、心無い現実

魚と寝る女最新作『春夏秋冬そして春』が公開中のキム・ギドク監督の第4作目。今年のヴェネチアでも銀熊賞を獲得し、今、最も注目すべき映画作家であることは間違いなかろうと思います。「韓流」も結構ですが、韓国はそれほど底が浅い国ではないという事実を、キム・ギドクは“暴力的に”思い知らせてくれます。

原題は『The Isle』。“(ある特定の)小島”ということでしょうか。この原題が何故『魚と寝る女』と改題されたのかは、ここでは問わずにおきます。その小島がいったい何を指すのか、それさえ示せば充分だろうと。タイトルが示す“ある小島”とは、恐らく、黄色い釣り小屋のことだと考えて間違いないでしょう。
冒頭から幾度となく繰り返される、ほとんど水墨画のように暗く美しい景色。湖上に点在する、一見島のように見える釣り小屋。しかしこの釣り小屋といわゆる島の決定的な違いは、それが移動するということです。水底に沈んでいる錨さえ引き上げてしまえば。移動する島。果たしてその島はどこへと向かうのか。そんな疑問を宙刷りにしたまま、この映画は終わるのです。

謎めいた湖に何かを沈めること。その逆に何かを引き上げること。あるいは、自らその湖へと沈んでいくこと。『魚と寝る女』には、これら垂直の運動に加え、湖面を緩やかに滑っていくひなびたボートの水平移動が度々挿入されます。そして、この二つの運動の、その緩やかさに反した途轍もない凶暴性が男女の(文字通り)悲痛な関係性を際立たせつつ、そのまま『魚と寝る女』を言い表しているではないかと思いました。

多くを語らない男と全く話すことのない女。言葉を必要としないという意味で、非人間的とも言える彼らは、“痛み”を通してしか、他者とのつながりを確認し得ない。“痛み”こそ生の条件だと宣言するかのような彼らに、もはや一般的な常識は通用しません。二度にわたって繰りかえされるあの釣り針での自傷シーンに観るものが耐えられないのは、その“痛み”が伝わるからではなく、その行為が自分の常識から完全に逸脱していることに対する恐怖からではないでしょうか。その恐ろしさを言葉で表現することの不可能性を知っているキム・ギドクは、あのようなショッキングなイメージによりそれを脳裏に焼き付けることを選んだのだと思います。

黄色い釣り小屋を遠景で捉え、そこで起こりつつある強姦場面にあくまで冷たい視線を向けるカメラは、時に水中にもぐり、そうかと思えば唐突に宙に浮いて、人間の行為を見下ろしたりします。極めて冷静な空間設計とそれがもたらす心無さ。静寂さと激しさが、その心無さを媒介に等号で結ばれてしまうような演出。それはもちろんキム・ギドク自身の心無さではなく、現実世界の心無さなのです。それが見事に表されているラストシーンを観て、これまでキム・ギドクの作品を観ていなかった自分を深く恥じ、同時にその恐るべき才能に背筋が凍る思いだったと告白します。

2004年11月02日 18:00 | 邦題:さ行
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Comments

Mさん、こんばんはー

今日、「春夏秋冬そして春」を観て来ました。
実はですね、キム・ギドク監督の「魚と寝る女」
観たかったのですけど流してしまったのですよー
今日の映画を観たらキム監督の作品に興味が沸いて来ました。
今度「魚と寝る女」をレンタルして来たいと思います。

Mさんは、今度の土日ですか!?
週末は結構混んでいるらしいので整理券はお早めにー


Posted by: Puff : 2004年11月02日 23:38
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