2004年10月24日

『ディボース・ショウ』、回らないスクリューボール

コーエン兄弟の新作は封切りで観るようにしていたのですが、ここ最近の2作品については何故か観ておりません。理由はもはや忘れましたが。だからと言って決して観たくないわけではないので、遅まきながらヴィデオにて『ディボース・ショウ』を。

コーエン兄弟をどのように評価していいものか、これはなかなか微妙な問題だと言わざるを得ません。端的に言って、あの過剰ともいえるユーモアを好きになれるかどうか、だと思うのですが、それぞれのギャグや身振りに笑うことがあっても、一つの作品としてそれが長く記憶に残るかと言うと、そこでふと考え込んでしまうのです。つまり、突出した“部分”だけが記憶に残る作家なのではないかと。例えば、キャスティング(特に脇役)の妙。俳優によって歌われるカントリーミュージック。あるいは、とぼけた“間”とそれに続く“大袈裟な”アクション。それらが全体として、“なんとなく”上手くまとまっている感じがしないでもない、と言う部分こそがコーエン兄弟の映画なのではないかと、今は考えています。

『ディボース・ショウ』も多分に漏れず、そのような映画として観ました。本作は、スクリューボール・コメディの変奏だといえるのかもしれません。そこには、ブルジョア的な男女の軽妙な会話が作品の多くを占めることになるでしょう。しかし、そこに繰り広げられるであろう“マシンガンのような会話”がこの映画にはほとんど見当たりません。
相変わらず、細部にはところどころで笑うことが出来ます。個人的にはコーエン兄弟の得意技だと思っているんですが、誰かが誰かを始めて紹介する場面(広く言えば、初めて対面する場面)に見られる作りきった笑顔とその直後の困惑した表情の温度差などはいつも可笑しいですし、やっと騙されていたことに気付いたジョージ・クルーニーといかにもコーエン的脇役ポール・アデルスタインが顔を見合わせて叫ぶ場面にいたっては、それがコメディ映画にあってお約束的だとわかっていながらも、その“過剰さ”に笑わざるを得ないとも言えるのです。にもかかわらず、スクリューボール・コメディの核心がそこには無い。

いや、もしかすると『ディボース・ショウ』はやはり、スクリューボール・コメディではなく、“コーエン流”のラブ・ロマンスなのかもしれず、そう思うとそれほど悪くはないのです。現代においてスクリューボール・コメディを題材にすることの難しさ(すでにハワード・ホークスという巨人がいるわけですから)を承知の上で、そうではないコメディを撮ろうとしたのかも。そうなってくると、この『ディボース・ショウ』は、やっぱりそれほど悪くはないという結論にならざるを得ません。まぁ、これはこれで…ですね。

2004年10月24日 19:30 | 邦題:た行
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Title: ディボース・ショウ
Excerpt: コーエン兄弟作品(2003年・米) 原題は\"Intolerable Cruelty\"、直訳すれば「耐えがたき残虐(行為)」です。汚い手を使ってでも勝ちにこだわる離婚訴訟専門の敏腕弁護士マッシー(ジョージ・クルーニー)と、大金持ちと結婚→離婚して慰謝料をせしめる...
From: CINEMA IN/OUT
Date: 2005.02.20
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