2004年10月19日

建築と映画と超間接的な賛辞

i映画において、建築の果たす役割は非常に大きいと思います。というのも、建築物が全く出てこない映画はほとんど無く、時に背景として、時に主要な舞台として、何らかの形として画面に登場するからです。人は無意識のうちに、衣・食・住という言葉を口にしますが、それはそのまま映画において重要な要素でもあるのです。テキサスのみすぼらしい小屋であれ、豪奢なアパルトマンであれ、住空間を抜きにした映画など、容易に思いつきません。

すでに当サイトでも何度か言及しているゴダールの『軽蔑』。もちろん、マラパルテ邸に触れずにこの映画を語り得ないように、バルドーとピッコリが住むアパルトマンのインテリア(インテリアも広義の建築として捉えることができます)やそのアパルトマン自体を仰角で捉えたショットを抜きに『軽蔑』は語りえません。
『サイコ』も『去年マリエンバードで』も『熊座の淡き星影』も『ソナチネ』も『ミスティック・リバー』も、建築に対する繊細な感性なくして撮られ得なかった作品だと思うのです。

唐突にこのような話を持ち出した理由、それは、映画を観るに当たって、建築(装置)と人物の関係はことのほか重要だと言う事実を言いたいがため、ではなく、ちょっと気になったトークイベントがあるからという、至極単純な理由に拠ります。建築家の話を聞くことは、そのまま、映画監督の話を聞くことに等しいのではないか。そう思ったまでです。

ということで、私には何の特にもならない告知を。
「青木淳 JUN AOKI COMPLETE WORKS |1| 1991-2004』刊行記念トーク〜「つくるときにおもいめぐらすこと」というトークイベントが催されるようです。今、青木淳という名前に反応しえない人間に建築はおろか、映画に言及するのもほとんど困難ではなかろうか、と言ってしまいたくなるほど、氏の建築には“物語(ロマン)”があり、“論理(ロジック)”があります。映画好きであれば、この2語に反応してもおかしくないのではないでしょうか?

http://aoyamabc.co.jp/events.html#ao20041026

2004年10月19日 23:22 | 映画雑記
TrackBack URL for this entry:
http://www.cinemabourg.com/mt/mt-tb.cgi/95
Trackback
Comments
Post a comment









Remember personal info?