2004年10月02日

1959年の豊饒さ〜『草の上の昼食』と『リオ・ブラボー』

草の上の昼食とリオ・ブラボー金曜日はヴィデオにて『草の上の昼食』と『リオ・ブラボー』を。共に大傑作なのは言うまでもありませんが、様々な場所で散々語りつくされている感もあるのでここでは詳述しません。その代わり少しだけ雑感をば。

『草の上の昼食』は横笛によって吹き荒ぶ魔術的な風が、何かを奪うのではなく、ある“豊かさ”を生み出していくという物語です。フランスで公開されたのが59年。この年は、ジャン=リュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォーがフランス映画界に津波を起こした記念すべき年です。あの突風が、ヌーヴェル・ヴァーグをも引き起こしたのかもしれない、などと空想に耽ってみるのも、それほど無意味なことではないと私は思っています。
『草の上の昼食』の美しさを前に、もはや形容すべき言葉も見つからないので安易に比較へと逃げますが、例えば『草の上の昼食』と同様に、草原と木々に降り注ぐ眩い太陽の光と、そこでの昼食とを画面に映したアニエス・ヴァルダの『幸福』(1965)の美しさは、それがタイトルとは間逆とも言える悲劇性を帯びていた分、紛れも無い“幸福な”喜劇である『草の上の昼食』の優位は揺るがないと確信しました。このテクニカラーは本当に美しかった。

これは全くの偶然ですが、『リオ・ブラボー』も1959年の作品です。「ヒッチコック=ホークス主義」を打ち出したのも批評家時代のゴダールやトリュフォーだったという事実が示すとおり、ハワード・ホークスは絶対的な映画作家であるという厳然たる事実を再確認。
その昔、私がレンタルヴィデオ屋でアルバイトしていた時、アメリカ映画狂いだった先輩に向かって、「ホークスの『ハタリ!』で最も感動的だったのは、ピアノを前に男たちが歌う、あの合唱シーンでした!」とやや興奮気味に言ってみた時、その先輩は一言「ああ、あれ全然普通のシーンだったじゃん…」とだけ言い放ってその場を離れたのですが、今ならこう断言できるでしょう。先輩、あなたの目は節穴ですか? と。それ位、『リオ・ブラボー』の合唱シーンも素晴らしいのです。
数年後に『ビッグ・バッド・ママ』において呆気なく死んでみせるアンジー・ディッキンソンの、控えめでありながらも図々しい愛の形がすこぶる感動的でした。
西部劇でワード・ボンドが出てくれば胸が躍るし、ウォルター・ブレナンの豪快でいて聡明な素振り、ライフルよりはやはりギターの似合うリッキー・ネルソンのややニヒリスティックな演技をギターによって武装解除させてしまうホークスの完璧な演出等々、映画好きなら“誰でも知っている”はずの『リオ・ブラボー』ではありますが、むしろ若い女性にこそその凄さに打ちひしがれていただきたいものです。

2004年10月02日 16:55 | 邦題:か行, 邦題:ら行
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