2004年09月28日

『珈琲時光』、どこでもない不自然な空間

珈琲時光ユーロ・スペースにて公開2日目の『珈琲時光』を。前日の公開初日に訪れた際、運悪く、浅野氏の舞台挨拶とバッティングしてしまい、その情報を知らなかった私は入り口まで行くも、やはり諦めました。浅野氏をこの目で見たいという気持ちが無いわけではありませんが、それより何より、予想される人ごみにどうしても耐えられないだろうという気持ちの方が強かったのです。『珈琲時光』のような緩やかな映画は、緩やかな気持ちで鑑賞したいですから。

さて『珈琲時光』ですが、この映画にどうしても“小津的記号”を読み取らないと気がすまない人達にとって、さらに言えば、映画にカタルシスを求める人達にとって、随分と冗長で退屈な印象を与えるのではないでしょうか。“侯孝賢による21世紀版『東京物語』”などと宣伝されていたことを考えれば、そんな反応があるのも止む無しという感がありますが、小津に対するオマージュが、“小津調”として画面に現われなければならない理由などありませんし、小津的な家族の描写や未婚の娘の心象をそのまま反復しなければならない理由もないのです。だとすれば、『珈琲時光』は、“侯孝賢が現代の東京を舞台として撮った映画”として純粋に観る必要があるのではないでしょうか。その上で『珈琲時光』を退屈と言おうが中途半端と言おうが、それはあくまで“好み”の問題ということになるでしょうが、ここで私の“好み”に立ち返れば、『珈琲時光』は東京を表す記号が随所にちりばめられていながら、私が知っている東京とは結びつかない、言ってみれば“どこでもない空間”がそこにあり、物語上重要だと思われる部分にあえて結論を出さず、観客を宙吊りにしたままなおもしかるべき描写によって感動させもする、大変興味深い作品でした。
一青窈と小林稔侍、余貴美子が雑司ケ谷にある一青窈の住まいで肉じゃがをつつく感動的なシーンを観て、小津的な父親像と現代的な父親の態度との“差”に注目するのも決して無駄な試みだとは思いませんが、小林稔侍の沈黙と、その沈黙ゆえに肉じゃがを食べずにはいられないという、緊張感極まる即興演出(といっても、ここでの小林稔侍は、本来言うべき台詞をあえて沈黙に変えて見せたらしいのですが)に感性を揺さぶられる方を、私は選びたいと思います。小津が常に“現在(それは家族のあり方であり、また風俗でもありました)”を描いていたように、侯孝賢もまた“今そこにあるものの変化”をこそ描いていたのですから、この点で二者に共通点を認めはするものの、やはり比較にどれほどの意味があるのか、甚だ疑問です。

見慣れているはずの東京の風景が溢れているように見えなくも無い『珈琲時光』ですが、毎日のように目にしているはずの山手線や中央線が走る景色の、あの“不自然さ”はどこから来るのか。やはり学生時代に毎日通っていた御茶ノ水や神保町ですが、何故、初めて見たような錯覚を感じたのか。不思議と言うほか無い“既視感”の不在。これが『珈琲時光』をことの他印象深い映画にしていたように思われます。
大都市を表す記号としての高層ビル群がほとんど見られず(ここでは銀座ですら、いわゆる銀座としてのイメージからは遠かったと思います)、下町的な風情が漂う鬼子母神や三ノ輪、神保町の路地などにそのロケーションの重きを置いたことが、私が見慣れた“近代的都市としての東京”との差異を表していたが故にそう感じたのでしょうか。恐らくそうではなくて、『珈琲時光』に描かれていた東京は、それがまぎれも無く侯孝賢にとっての東京だったからだと思います。インタビューを読んでみて、監督にとって東京と電車と車窓(=風景)は絶対に切り離せないのだと知りました。まさにこの事実が『珈琲時光』の不自然さを生んでいたのです。風景が見えないから地下鉄が登場しない。逆に風景があるからこそ、不自然に遠回りさせてでもそれを切り取る。かような侯孝賢的東京感は、結論を出さず物語の上で観客を宙吊り状態に置く手法とも相まって、私を動揺させました。つまり、感動的だったと換言出来ますが、優れた映画は時に、観る者を宙吊りにする残酷さがあるのだという結論とも言えない様な結論に至った次第です。

そう言えば、あのラストシーン(写真)は聖橋から撮られたのでしょうかね。毎日利用していた御茶ノ水にあんな景色が隠されていたとは…いや、別に私が鈍感だったからでしょうが。4本の電車が緩やかに交差していくあの場面はとりわけ感動的でした。『誰も知らない』のラスト近くで登場する緩やかなモノレールの滑走とともに、記憶に残るシーンだと言えるでしょう。

最後に『珈琲時光』とはほとんど関係のない話を。
母親役の余貴美子さんですが、実は自社のエレヴェーターに同乗したことがあるのです。今年の春先だったと記憶していますが、かなりの暑がりである私は、かなりフライング気味にTシャツ一枚という格好で、本人的にもちょっと寒いなと思いつつエレヴェーターに乗ったわけですが、そこへマネージャーと思しき女性と余貴美子さんが乗り込まれて来まして。私を見るなり、「やっぱり若い人はTシャツでも寒くないのね」と話しかけてこられ、あまりに唐突な振りに「いや、寒いんです、本当は」と幾分かはにかみながら答える私に、「あら…」と美しい微笑みを投げかけてくださいました。あの笑顔は、一青窈が大家に酒を借りる場面での、やや困惑した笑顔に等しかったんじゃないか、などと、ほとんど幻想というか夢想というか、まぁそんな思いにとらわれたことをここで告白しておきます。

2004年09月28日 12:53 | 邦題:か行
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Comments

>ツボヤキさま

いやいや、こちらこそTBさせていただきまして。

イスタンブール映画祭での受賞も全く知らず、お教えいただき感謝しております。公開時、この映画は退屈で冗長だなどというあらずもがなのレビューを読んでいた身としては、いくらかの絶賛の声と、ツボヤキさんのように本作を本当に愛しておられる姿勢に、現在の私も同調させていただきたいと思います。

今後もお気軽にTBしてくださいませ。
宜しくお願いいします。


Posted by: [M] : 2005年04月19日 13:30

突然に参りましてTBさせていただきました。
ご挨拶もなしで、申し訳ありませんでした。
今ひとつ、話題が盛り上れずに忘れ去られようとしている
のかな、と残念だったところで、今回の賞。
なんでもきっかけになれば、とアップしました。
好きな一作、どうぞヨロシクお願いいたします。


Posted by: ツボヤキ : 2005年04月19日 12:35

>ruikaさま

コメントありがとうございます。
いやいや、私は一介の映画好きに過ぎませんから、あまり敬遠なさらずまた遊びに来てくださいyo。

自主作品の上映会をなさるようで。トリウッドですね。ちなみに、どの作品に出られるのでしょう? サイトのほう、ちょくちょくチェキらせていただくとします。平日開催のようですが、家からそれほど遠くはありませんので、もし時間が合えば観に行けるかもしれません。ruikaさん目当てで(笑)。


Posted by: [M] : 2004年10月23日 07:37

改めまして、逆TBありがとうございました。
こちらのサイトをゆっくり拝見させて頂いたのですが、[M]さんのコメントが一つ一つ濃密で、甘っちょろい感想をたらたらと綴る事しか出来ない私にはとても遠いお方だと思いました。(笑)

うちのサイトの方で近日upする予定なのですが、今度内輪で自主映画の上映会をやる事になりました。
20代前半の若造達の初の試みです。
私も1作品でつたない演技をしております。
もしよろしければ、こちらの方をご覧くださいませ。
http://tif.jfast.net/top.htm
宣伝までしてしまい申し訳ありません。
不快に感じられましたら、削除してください。

ありがとうございました。


Posted by: ruika : 2004年10月23日 02:53

>puffさま

確かに意見は真っ二つに割れているようで。
肯定派の意見は概ね似ているようですね。そして否定派もまたしかり。少なくとも、「GERRY」を観にいくようなpuffさん好みだと思うのですが。観たら感想を是非。

ユーロは狭いですよね。だから混雑が予想されるときは、なるべく避けるようにしています。いい映画館なんですけど。


Posted by: [M] : 2004年09月30日 09:55

なるほど・・・
巷ではあまり評判が芳しくないようですが
小津監督へのオマージュという事であっても
特に「小津調」で無くても良いと思うのですよね。
侯孝賢の映画なのだから。
ウフフ、、何だか観たくなって来ました。

浅野さんの舞台挨拶はパスして良かったと思います!!
きっと凄い人人人・・・だったでしょうね。
普段でもあそこは作品によってはごった返すから・・・


Posted by: Puff : 2004年09月30日 00:29
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