2004年09月23日

『グッバイ、レーニン!』、真実も虚構になり得る現実

lenin2-168x252.jpg予定では『東京物語』を観るはずだったのですが、『GERRY』にあったような灰色の雲の動きを見ているうちに外出したくなくなってきまして、じゃぁ何のために昨日上司から金を借りたんだということになるわけですが、実は昨日、仕事帰りに飲みに行ってしまいまして…もちろん、今日映画を観る金くらいは残していたのですが、昼間からズブロッカなど飲んでいるうちに、次第にネガティヴになってきたので、やはり止めておいた次第です。よって本日は、以前観たまま文章にしていなかった『グッバイ、レーニン!』に関して、一言二言。

見事なまでにわかりやすく、かつ、示唆に富んだ作品だったかと思います。恐らく家庭用8mmフィルムで撮られた映像で始まるこの映画に一貫しているのは、テレヴィ(メディア)を観る人間が作り出す、偽の事実認識をいかに正当化できるかということだったような気がします。テレヴィに映る映像と現実との距離感。窓の外を見ずにテレヴィの情報だけが真実だと思い込むことはどれほど容易で、時に安心感すら与えるものか。

病身の母親にひたすら尽くす主人公にとって、重要なのは“真実”ではなく操作可能な”虚構”です。この映画に出てくるテレヴィは、どんなに真実(現実)でも、ブラウン管に映った瞬間、たちどころに虚構化させる装置としての役割を担っています。文字通り“現実に”ニュースとして世界に流れたであろう映像が所々に挿入されていますが、ブラウン管を通して幾度となくその光景を観た私とて、それを結果として信じてしまっているに過ぎません。出来事を目の前で見て確認していないという意味で。ともすれば胡散臭さだけが目に付くテレヴィの映像ですが、その“裏(真実)”まで確認できない視聴者は、ブラウン管に映る画面“だけ”が真実として目の前に現れるのです。

この当たり前のメディア性を、主人公は上手く利用します。彼にとって重要なのは“本当の”真実ではなく、“媒介を通した”真実だからです(パッケージだけ変えたピクルスの瓶もその一種です)。それはほとんど出鱈目であり、しかしその出鱈目さ故ドラマとして有効に機能しているといえると思います。コカコーラやレーニンの胸像は、よってそのわかりやすさの記号として重要だったのだと。それらに対する母親の反応が、この映画の主題といえるのでしょう。

ラスト近く、テレヴィの映像を信じて疑わなかったかに見えた母親が、息子の最後の大芝居にもかかわらず一向にテレヴィの画面を観ず、その息子を微笑ましく見つめる場面があります。全てを悟ったかのような彼女の複雑でありながら暖かい微笑み。息子は何度も母親の表情を確かめ、母親はそれに応じつつも、最後まで息子の後姿から目を逸らそうとはとはしませんでした。彼女が何をもって息子の芝居を見抜いたのかは明かされません。それは、芝居を見抜いたという事実にではなく、テレヴィに映る映像より目の前にいる息子を信じて見続けたという事実をこそ描きたかったからでしょう。個人的に、この映画の最も素晴らしいシーンだったと思います。私はこのシーンを観たとき母親の死を確信しましたが、やはりその直後、主人公のモノローグによってそれは明らかになるのです。このあたりの省略も見事でした。

最後に、監督のウォルフガング・ペッカーはかなりのキューブリックファンだと思いました。『2001年宇宙の旅』に対する直接的な言及もさることながら、主人公が母の部屋を元通りにするシーンがベートーベンをバックに早回しで撮られているのは、『時計じかけのオレンジ』のアレックス(そういえば『グッバイ、レーニン!』の主人公もアレックスです)がナンパしてきた2人の女性とセックスするシーンに対するあからさまなオマージュだったからです。映画史的目配せといいますか、ある種の“余裕”を感じました。

2004年09月23日 22:18 | 邦題:か行
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Title: グッバイ、レーニン!
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Comments

>こヴィさん

なるほど、主人公の成長が描かれつつも、監督はややニヒリスティックに彼を取り巻く状況自体を浮き彫りにしていたと。タクシーの運転手に成り下がった元宇宙飛行士が国家元首として担ぎ出されるくだりは、ドイツの歴史自体の狂った縮図としてあったのかもしれません。貴重なご意見ありがとうございます。


Posted by: [M] : 2004年09月24日 12:30

こんばんわ。
[M]さんのおっしゃる通りですが、私は母親側というより、やっぱり主人公側から見ました。つまり、ポイントは初めは母のためにしていたウソ(虚構)が、途中から自分自身のため(というと語弊がありますが)にやるという、目的の重点が移っていくということじゃないかと思うんです。彼は、少年の時宇宙飛行士を夢見ていたような目の輝きを取り戻す、がそれは現実社会にはもう存在しない、ということに観客(=旧東独人)は気づく。単なるノスタルジーではないネジレがやっぱあるんですよね。


Posted by: こヴィ : 2004年09月24日 01:50
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