2004年09月19日

『陽炎座』に感動する

ごく単純に言えば、映画は“目に見える”画面(映像)と“目に見えない”物語で形作られていると言えます。もちろん、台詞や音楽といった“聴覚的”要素もありますが、それも前者に組み込むことが出来るでしょう。“○○が映っていて、××が聞こえてきた”という事実は、絶対的な事実として映画を観る人に共通しているのですから。他方、物語は飽くまで相対的な存在だと言えまず。同じシーンを観た観客が、同じ受け止め方をするとは限らないと言う意味で。
繰り返しますが、これは映画を非常に単純化した場合の図式です。

例えば物語を追っていけばそれなりに観られる映画があります。言い換えれば、観客が日常的に使用する思考回路や一般的な常識などが、何の苦労も無く通用してしまうような映画とでも言いましょうか。こういった映画は、面白かったとかつまらなかったとかいった感想を容易に引き出させます。まぁ、これはこれで問題はありません。では、観客の側の思考を端から期待していないような映画、というか、作家独自の“美学”だとか“思想”があまりにラディカルな映画に出会ったとき、観客はどのような反応を示すのか。私の興味は、そこにあります。

昨日、鈴木清順の『陽炎座』を観ました。傑作『ツィゴイネルワイゼン』の翌年に作られたこの映画もまた、こちらが抱く諸々の感想を予め禁じているような映画でした。その体験を換言すれば“清順美学”に酔ってしまったとも言えるかもしれません。にもかかわらず、『陽炎座』に感動しなかったかと言えば、それは全く別の話です。物語は単純極まりないかもしれない『陽炎座』には、しかし、不気味な細部が溢れていて、こちらをその都度動揺させるし、あの階段、あの橋、あの桜、そしてあの舞台、どれをとっても圧倒的な強度をもって私に迫ってきました。ほとんどトリッキーな編集に加え、松田優作の声、大楠道代の肢体、楠田枝里子の顔、中村嘉葎雄の女装、そして原田芳雄の出鱈目さは、この映画のジャンル性をことごとく崩壊させ、ホラーでもアクションでもサスペンスでもなく、そのどれもが当てはまってしまうと言う奇跡的な映画にまで昇華していたと思います。
やはり映画には物語だけでは語りきれない何かが“絶対に”あるのです。それを見落とすことは、時に、残酷な結果を招く。『陽炎座』は“理解”せずに“感動”することができる稀有な映画でした。

とここまで書きましたが、なんだかまとまりの無い文章ですね…やはり6本借りてきた映画を一日一本ずつ観て文章を書くということには無理があったということです。しかも、今、この時点であと一本はまだ途中までしか観ていません。今日返却しなければならない上に、11:50からは『父、帰る』に行かなければならないし…とりあえず、帰ってからまた書きます。

2004年09月19日 08:36 | 邦題:か行
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Comments

イカ監督さま

なるほど。実は『夢二』を未見なので何とも言いがたいのですが、未だ『ツィゴイネルワイゼン』との優劣をつけられないでいます。いわゆる“清順”美学は、『陽炎座』のほうが優れているようにも思えるのですが、ロケーションの魅力と言う点では『ツィゴイネルワイゼン』のような気もしますし…じゃあ女優は、というと、私にとって大谷直子と大楠道代はほとんど五分五分のエロチシズムなんですよ。答えを出すには、それぞれ再見する必要がありそうです。


Posted by: [M] : 2004年09月20日 20:15

mixiの鈴木清順コミュにも書きましたが
僕の独断で大正3部作のベストは『陽炎座』で
さらには後期清順の集大成が『結婚 陣内原田御両家編』だと思います。


Posted by: イカ監督 : 2004年09月19日 22:07
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