2004年08月02日
庵野秀明『式日』とカタルシス
週末からの寝不足を解消すべく、本日は早めに仕事を切り上げ自宅にてヴィデオを観ました。劇場公開を見逃し、それ以降も何故かレンタルしそびれていた『式日』を。作品の鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされることを、一般には“カタルシス”というようですが、私が鑑賞後に味わった感情は、これに近いものだったのかもしれません。あるいは、全く関係ない感情かもしれませんが。まさか、と思われる方がいるのも先刻承知なのは、ほかならぬ私自身がそう思うからで、ではその原因とやらを考えてみると、藤谷文子が演じていた女性に対するある種のデジャヴュめいた感情によるものかと。ここでの詳述はしませんが、現実と虚構の境界線に意識的であっても、私のような通俗的人間にあっては、映画に現実世界の陰画を見てしまうことも大いにありえるのだというにとどめておきます。
庵野秀明監督の劇場長編作品は、『エヴァンゲリオン』2作品と『ラブ&ポップ』を観ていましたが、とりわけ“実写”である後者において印象的だった“ナレーション”と“線路”は、庵野氏の映画に対するアプローチとして重要なファクターになるのではないでしょうか。最も、『キューティーハニー』は未見ですし、そこにある重要な意味を持った“線路”が出てくるとは思えないので、単なる思い付きですが。
ラスト直前の、約8分間程続くシークエンスショットは、画面手前に岩井俊二を、左奥には母親役の大竹しのぶ、右奥には娘役の藤谷文子が、いうなれば三角形に配置された構図でした。その構図を変えずに、無論切り返しなど使わず緊張から弛緩、号泣から笑顔へと移行していく大変素晴らしいシーンで、それがラストシーンの“本当の笑顔”へと繋がる様は全く見事だと言うほかはありませんでした。
敢えてベタにCoccoの「レイン」エンディングとしてをもって来る辺りも、やはり『ラブ&ポップ』の感動的な「あの素晴らしい愛をもう一度」と同じくとても馬鹿には出来ませんよ。彼が観客に与えるであろう、技巧的で衒学的ないやらしさの印象が鼻につくという事実のすべてを否定はしませんが、私は決して嫌いではない監督です。
それにしても、あの留守電の声は大竹しのぶではなく、『エヴァ』の三石琴乃に聞こえて仕方ありませんでした…
2004年08月02日 23:11 | 邦題:さ行