2004年07月14日

観たい映画を見損うこと

私は比較的出不精なほうで、例えばそれが映画に関してならまだ緩和されもするという感じですが、それでもやはり人ごみが大の苦手ですから、話題作は言うまでも無く、一部の映画通が絶対に集まるであろう作品を見に行く際にも、常にネガティヴな感情というか、混んでるだろうなぁ…いやだなぁ…という思いは避けられません。それでも映画館に行き続けるのは、ある作品を見逃したという事実が、後に強烈な悔恨となって私を襲うことを体験として知っているからです。結局は、作品を観ることによってしか、その悔恨から逃れる術はないのですが。

例えば、10年に一度しか上映されない傑作を見逃した場合にどうするのか。最も消極的な姿勢は、何もせず10年待つことです。ただし、また10年後に上映される保障など無いわけですから、そこにはいささかの希望もないと言えます。輸入版のDVDやヴィデオを入手するという手もあります。これが一番現実的でしょうしそれなりの満足感を与えてもくれるでしょうが、問題は、それが飽くまで“映画ではない”ということに存しています。では、海外のシネマテークに行くというのはいかがでしょう。恐らくこの方法が一番確実かもしれません。お金と時間“さえ”あれば。無論、最も厄介なのはこの“お金と時間”なのであって、一介の会社員である私に関して言えば、極めて絶望的だと言わざるを得ません。つまり、どれをとっても救いはなかろうという悲観的な結論に至ってしまいます。

曖昧な記憶を辿れば、今から9年ほど前、シネヴィヴァン六本木だったように記憶していますが、モンテ・ヘルマンの『断絶』を観なかったとしたら、私の映画体験は間違いなく薄っぺら(今だって大して厚くはありませんが)だっただろうと断言できます。傑作『コック・ファイター』を観たいという欲求すら沸かないばかりか、ペキンパーを観ているからといってウォーレン・オーツを知った気になっていた自分を深く恥じることも無かったろうと思います。要するにその体験は、この上なく貴重だったというわけです。そういった過去の体験を思い出す時、では何故昨年東京日仏学院で行われたジャン・ユスターシュの特集上映を観にいかないで平気でいられたのか、という問いにぶつかります。『ママと娼婦』のリバイバルをユーロスペースで観たということが何の救いにもならないのは、その特集上映では今後観ることが困難であろう作品が多く上映されていたからです。つまり、私はジャン・ユスターシュの多くを取り逃がしたまま、今後も生きなければならない。この代償は途方も無く大きいものです。

だから、などと結論づけるのは強引ですが敢えて自戒を込めて言うと、“観たい”と一瞬でも思った映画は観なければならないのだと思います。その瞬間を取り逃がすと、映画はどんどん目の前から遠ざかっていくのです。そんな思いを改めて強くしている今、まず観なければならない映画の筆頭にオタール・イオセリアーニの「四月」が来ると確信しています。

2004年07月14日 11:21 | 映画雑記
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