2004年06月10日

“つまらなさ”を考える

多くの映画を観れば、必然的に面白くない映画に当ってしまうものですが、そんな時、何故これほどつまらないのかを考えるようにしています。ただ只管自分の好みと合わないといってしまえばそれまでですが、それが主観的とはいえ、絶対に理由があ るはずです。その答えを見つけることは、しかし、それほど不毛なことではなくて、むしろ未来の映画鑑賞のために有益だと、私は思っています。目を背けたい部分 に敢えて思考を働かせること、その行為により、潜在的な嫌悪の対象を顕在化させることが出来れば、少なくとも積極的に嫌いになれる。金を払って映画を見る以上 、消極的な態度はなるべく避けたいと思います。こんな前振りをしたのですから、以下に続くテクストは、“積極的につまらない”映画に関するそれになるわけですが、とりあえずここでは『ペイチェック 〜消された記憶〜』という作品に犠牲になってもらいます。

何故この作品が槍玉にあがってしまったのか。監督であるジョン・ウーに対する過度の期待からなのか、というとそれがそういうわけでもなくて、もちろん彼に対するほのかな期待が無かったと言ったら嘘になりますが、すでに『M:I-2 』 を見てしまっている私としては、そこまで無邪気になれるはずもありません。では、『ペイチェック〜消された記憶〜』のつまらなさは何なのでしょう。極めて主観的に語らせていただきます。

記憶のない主人公を据えての“巻き込まれ型アクション”という構造は 、昨今さして珍しくありません。体がすべてを覚えていた、という『ボーン・アイデ ンティティ』と違い、ここでの主人公は、未来の自分が過去の自分に託した20あるアイテムを、そのつど有効に機能させることで物語が進んでいきます。『ボーン ・アイデンティティ』と言えば、そもそもマット・デイモンが演じるはずだった主人公をベン・アフレックが演じるというミスキャストぶりに、“つまらなさ”の一 端を見ることができます。それはもちろん、彼が悪しき大根役者だと言いたいのではなく、“知性”を身に纏っているはずの主人公として、彼が適切ではない感じがし たからです。あの顔と図体の大きさが原因というより、むしろ表情にこそ端的に表れている“緩慢さ”が、まずは解せませんでした。この致命的なミスキャストは、ヒ ロインにも当てはまります。ユマ・サーマン自体は悪くないのですが、傍らにベン・アフレックを据えた時、彼女のほうが“知的”だという印象がどうにも拭えず、ひょっとすると殴り合ってもユマのほうが強いんじゃないかと錯覚してしまうほどです。まぁ、『KILLBILL』の印象はそれほど強かったということですが。

ミスキャストの話はこれくらいにして話を進めます。彼は様々なアイテムを使用しながら、窮地を脱していきます。さながら「バイオハザード」(ゲームのほうです)のごとく、何に使うのか分からないはずのアイテムの使用方が瞬時に 了 解され、使用されていく。ここで映画における御都合主義が登場するわけですが 、それを繰り返し何度も見せ付けられるのは決して心地いいものではありません。 “映画がゲームに似てしまう”という不幸な瞬間が、そのままこの映画の主題になっ ているのですから。

“アクションの人”ジョン・ウーの持ち味などほとんど見られませんでした。いくつかのジョン・ウー的アイコン(白い鳩・スローモーション)だけが、 虚しく自己模倣されるばかりです。かなり力の入ったバイクチェイスシーンも、その力の入れ具合からか、物語から大きく浮いていました。そして、何よりいただけ なかったのが、あのフラッシュバックです。最後まで幾度と無く繰り返された、あの手の映像手法(テクノロジーを前面に押し出したかのような、ノイジーな画面が サブリミナル的に挿入される)には正直うんざりです。フラッシュバックという、 実に“映画的”な手法に対する、悪意ともとれる回答。それらしい画面を見せることで、現代的なSF映画たろうとする姿勢。これらの理由から、私はこの映画に全く乗ることが出来ませんでした。

ここまで書いておいて思うのですが、上記のようなテクストは書いていて 気持ちのいいものではないですね。まぁ、こちらは金を払って見ているわけで、 その分の精算はしてやろうと思ったまでです。


2004年06月10日 11:05 | 映画雑記
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