2004年06月28日

ヴィデオショップ ノスタルジー

今、『KILLBILL』に関するテクストを書いている途中なのですが、レンタルヴィデオ店での5年間のうちに、その映画的感性と知識に磨きをかけたタランティーノ、実は私も学生時代3年ほどレンタルヴィデオ店で働いていたことがあって、そのことを今日の日記と強引に結び付けようと、一端中止してこちらを書いています。

私が働いていたヴィデオ店は、数年前すでに別の店舗に変わっていますので、再びその場所を訪れてノスタルジックな郷愁に浸ることは出来ないのですが、タランティーノよりは間違いなく少ない本数だとはいえ、こちらもそれなりに映画漬けの日々を送っていたわけで、仕事中はもちろん、店員の特権を最大限に(時には限度を超えて)利用し持ち帰ったヴィデオを、飽きずに観まくっていたことを思い出します。お世辞にも映画が好きだとはいえないだろう店長と、かなりのアメリカ映画好きだったであろう副店長と、その他映画とはほとんど無縁の学生やフリーターで構成されていたそのヴィデオ店は、地方都市の駅前のくたびれた店という、いかにもな店構えで、もちろんヴィデオレンタルだけではやっていけないので、2階にCDを置いてみたり、店頭にプリクラを設置してみたりして、その延命に躍起になっていましたが、私がやめた後数年で別の書店チェーンに店を乗っ取られた現状を見ると、それも虚しい徒労だったということでしょうか。

その当時の私の楽しみといえば、店内に“隠された”傑作たちに光を当てるという、非常に“意味のある”作業でした。映画のことなどまるでわからない店長がある作品に対し、一応ジャンルわけしてある店内の配置のしかるべき位置にその作品を収めようとするのですが、無知からくるあまりにも杜撰な商品管理ゆえに、例えばベルトラン・ブリエの『バルスーズ』をあろうことかアメリカンソフトポルノコーナーに追いやったりしてしまうので、こういう作品を探し出し、“[M]のリコメンド”などというコーナーを一番目立つ新作棚の隣にひっそりと設け、コメントつきで紹介するという有意義な仕事に勤しんだのですが、その仕事が私に教えてくれたのは、ジャンルという曖昧なものをとりあえず括弧にくくり、作家の名前を記憶することの重要性に他なりませんでした。今思い出すと赤面してしまいますが、あの当時は無邪気にそんな考えを抱いていました。

でも、私にとってあの店の存在はやはり非常に大きかったのです。タランティーノにおけるロバート・ロドリゲスのような存在には遂に出会うことが出来ませんでしたが、孤独に映画を楽しむ術と、あまりに偏った嗜好性を軌道修正することを学ぶことが出来たという意味で、実に貴重な体験をさせてもらいました。店長を含む当時の同僚たちがこの日記を読む可能性がどれくらいあるかわかりませんが、一応感謝の言葉で締めたいと思います。

2004年06月28日 11:13 | 映画雑記
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