2004年05月22日

『ミスティック・リバー』、視線の残酷な法則

ミスティック・リバーすべての監督作品を観たわけではないので、飽くまで個人的体験の範囲内に限られてしまいますが、クリント・イーストウッドの作品について何かを語ることには、決まって困難が付きまといます。その監督作品を第三者に薦めることには何の躊躇も抱きはしませんが、作品が孕み持つ“凄さ”を容易には言い表せないからです。初監督作『恐怖のメロディ』では、驚くべき才能を感じ、『許されざる者』では、その厳しさに戦慄を覚えました。しかしだからといって、たとえばヴィム・ヴェンダースの、あるいはサム・ペキンパーの、もしくはフランソワ・トリュフォーの作品を薦めるときのようにはいかないのです。しかし、その理由は未だに判然としません。24本目の監督作『ミスティック・リバー』という“恐るべき”作品を観終えたとしても、やはり事態は一向に改善されないのです。はじめからこんなことを書いてしまうと、あたかもこれから『ミスティック・リバー』について何らかの言葉を連ねようとしていること自体の不可能性を予め告白し、その困難から逃げようとしているかのようですし、敢えて言うならまったくその通りです。そんな負け戦に挑もうとしているのも、それは『ミスティック・リバー』がそうさせるから、と言わざるを得ません。よって、以下の文章にはある種の諦念が含まれていますが、泣き言はやめて本題に入ります。

『ミスティック・リバー』に善悪の二項対立は存在しない、とまずは言うことが出来ます。仮にそのように見えるもの同士の葛藤があったにせよ、両者は互いにいつその立場が逆転するかわからないからです。いみじくも、ショーン・ペン扮するジミーが言っているように、「些細な決定が人生を変えてしまう」のだとすれば、両者は一瞬でいれかわる可能性を秘めていると言えます。その意味で、“流れ”は消して人間の意志で変えられるものではない、というのが『ミスティック・リバー』の主題だと思います。ここで言う“流れ”とは、“人生”という言葉に換言することも出来、また、タイトルでもあるMystic Riverの流れそのものを指してもいます。

ここで唐突に「mystic」という言葉の意味を調べてみると、

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mys・tic [mistik]〔形〕《通例限定》
1 (聖霊などを)象徴する,霊妙な
2 秘伝の,秘密の,魔術的
3 不可解な,なぞの.
4 神秘論者の;神秘主義の.
 プログレッシブ英和中辞典第3版 より(小学館刊)
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とあります。ボストンにMystic Riverという川が実在するかどうかは知りません。しかし、劇中のあの暗く不吉な川は、上記1〜3のいずれかの意味に当てはめて考えると、(なんとなく)しっくり来るのでないでしょうか。つまり、Mystic Riverは“(匿名の)謎めいた川”として在るのであって、実在するかどうかはやはり問題ではないでしょう。

閑話休題。さて、この物語は極めて悲劇的だと言う外ありません。起きてしまったことを悔やむことも、別の選択肢を選んだ可能性を思い描くことも、共に許されてはいないのですから。そして、『ミスティック・リバー』において、その悲劇性はまず、同じ高さで交わることのない視線によって、より印象付けられると思います。劇中に幾度と無く出てきた、上方から下方に放たれる視線の存在。では、それは何故か。“視線の高低差”はある決定的な事実を表しています。すなわち、上方から視線を受ける存在である下方にいる人物は、物語上より多くの悲劇を引き受けなければならないという残酷な法則です。このことから『ミスティック・リバー』は、極めて厳しい視線よるサスペンスだと言うことが出来ます。

例えば『ミスティック・リバー』において、多くのシークエンスがヘリから川を映した俯瞰撮影で始まるのはもちろん偶然ではなく、ラストを除けばほとんどが暗く、不吉な印象を与えるこのショットは、その短さに反比例して非常に陰鬱とした印象を与えますが、それは主題そのものを語っているのです。一方通行の川の流れが暗示するのは、どうにもならない運命性にとどまらず、カメラに見下ろされたが故の悲劇性です。その意味で、常に見下ろされるしかないこの川こそが最も悲劇的な舞台であるのは言うまでもありません。だからこそ、「謎めいた川」は殺人の舞台として選ばれることにもなるのでしょうし、その結果、「罪」だけが沈殿していくことにもなるのです。

ここで思い出したいのは、ティム・ロビンスが最も見下ろされていた人物だという事実です。妻であるマーシャ・ゲイ・ハーデンは、幾度となく彼に上からの視線を浴びせていましたし、殺害されるショーン・ペンの娘・ケイティと彼がバーで偶然出会う場面でも、カウンター上のケイティを一方的に見上げることしか出来ませんでした。そもそも、少年時代にデイブだけが連れ去られ、幼児性愛者の二人組みによって監禁され、暗闇が支配する穴倉において、彼らから最初に見下ろされた時点で、すでに悲劇は避けられない運命にあったのです。冒頭のストリートホッケーのシーンにおいて、少年時代のティム・ロビンスが誤ってボールを排水溝に落としてしまいますが、実際に落ちたのはボールの形をしたデイブの少年時代そのものだったのではないでしょうか。排水溝に流れる水はやがて川に流れ出るかもしれませんが、ボールだけはずっと底から出て行くことはないのですから。

『ミスティック・リバー』において、「あの時こうしていれば…」という後悔は許されません。どれほど悔やんでも、大きな流れそのものは変わらないし、決して後戻りはできないのです。『ミスティック・リバー』における最大の悲劇は、映画においてでさえ、時間は取り返せないという事実に存しています。ラストに映る、日を受けた川の流れは、感動的でもあり同時に悲しくもあります。罪が埋められ、その罪を洗い流そうとするミスティック・リバーを観る者はこの時、数度にわたり繰り返された、川の俯瞰撮影の意味を理解するでしょう。そして同時に、深い魂の揺れを体験することになります。この魂の揺れは、感動という一語には置き換えられない何物かです。それが何なのかは、やはりわからないままなのですが…

2004年05月22日 18:33 | 邦題:ま行
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Comments

>loth様

ありがとうございます。
昨日初めて『ミリオンダラー・ベイビー』の予告編を観まして、昂奮しました。恐らく初日に観ることになりますが、レビューには時間がかかるかもしれません。
ちなみに、『恐怖のメロディ』の記事を読ませていただきましたが、確かに私もあの映画には戦慄を覚えました。


Posted by: [M] : 2005年05月16日 12:59

こんばんは!
コメント、TBありがとうございました。
こちらの記事とてもとても参考になりました。
すごい深い内容ですね^^
ミリオンダラー・ベイビー楽しみですね。
[M]さんの記事も読ませていただくのを楽しみにして待ちます。


Posted by: loth : 2005年05月13日 00:37
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