2004年05月21日

『息子のまなざし』、カメラと物語の共存

息子のまなざし「Le Fils」という原題は仏語で“息子”という意味です。映画興行の視点から見れば、原題と邦題に奇妙な差異が生まれるという現象は今では珍しくありませんが、その邦題に鼻白むことが多々あっても、この映画のように積極的に肯定したくなるものは少ないと思います。極私的な結論を言えば、この邦題も含め、「息子のまなざし」は傑作と呼ぶに値します。あの感動的なラストシーンにはそう言わせるだけの強度がありました。観客の視線が唐突に断ち切られたとき、何かが終わるのではなく、でも何かが始まる確信も持てません。「息子のまなざし」と言う映画において、カメラはただ2人を見つめていたのであって、いや、それしか出来なかったのだという(当たり前の)事実だけが残るのです。観るものの瞳がスクリーンから離れて行く前に、2人を見ていた“まなざし”が、自らの瞳を閉じてしまった、とも言えるかもしれません。感動的なのは、映画が終わっても、2人の行方に安易に結論めいたものを出さず、だからといって厳しく突き放すでもない、まさに不可視の存在としての“まなざし”が確かにそこにあった、と感じることが出来たことです。この“まなざし”の持つ力が、そのまま映画の力となっているのですから。

“まなざし”とは、ひとまず映画におけるカメラの視線に置き換えてみることができます。そして、私自身は「息子のまなざし」を題名の通り“まなざし(=視線)の映画”だと思わずにはいられません。例えば、オリヴィエとアガリが、最初に会話するシーン。オリヴィエが住む、それほど広くはない部屋で2人は向き合っています。お互い何を言ったら良いのかわからない(いや、実際はそういう記号すら無かったかもしれません)表情を、カメラは、切り返しや(効果的な)クローズアップという技術とは無縁の領域で、元夫婦の無言の横顔を数回に渡り、右へ左へパンします。そこでは、視線が行き交うのではなく、濃密な停滞を余儀なくされ、結果、ある種の“淀み”を画面に定着させていました。その“淀み”が何なのか、まだこの時点ではわかりません。この映画全体を通して言えることですが、ダルデンヌ兄弟はこのシーンでもカメラの存在を観客に十分意識させています。この居心地の悪さはなんだろう、と思いつつも、しかし、物語がどのような方向に進んでいくのかがわからないのでどうすることも出来ない。
居心地の悪さと言えば、本作にはオリヴィエとフランシスが並んで食事するシーンが2回あります。夜食を食べに来たオリヴィエが、期せずしてフランシス会ってしまうシーン。そして、材木工場に向かう途中で立ち寄るカフェで、休憩がてらアップルパイを食べるシーン。この2シーンは物語上重要ですが、それが食事のシーンだからと言って、二人を饒舌に喋らせることはもちろんありません。結果として、これらのシーンを経るごとに二人の物理的・精神的な“距離”は少しづつ近づいていきますが、見ていてここまで居心地が悪く、同時に感動的だったシーンは、記憶を辿っても簡単には思い出せません(カサヴェテスの「こわれゆく女」で、ジーナ・ローランズが夫であるピーター・フォークの仕事仲間たちに食事をもてなすシーン。いつ破綻するかもわからないというギリギリの緊張感のなかで、誰かが歌ったり笑ったりしているという、やはり居心地が悪く、同時にほとんど奇跡のようなシーンでしたが、それとも違うような気がします)。
話を元に戻せば、この作品では、何故カメラの存在をあからさまに意識させていたのか、その必然性があったはずです。映画は、カメラの存在を意識させないことで成り立ってきたようなもの、とはいまさら言うまでもありません。とすれば、いかにも不自然にカメラの存在を誇示させる本作は、そうするだけの意図があったのではないでしょうか? 本来視線は目に見えません。しかし、見えないはずの視線を“感じた”時、ある予感が不意に頭をよぎりました。実は、未だにそれが何だったのかという結論は出ていません。恐らく監督は、何かの“答え”を導き出すことを、周到に避けていたのではないでしょうか。詳細な説明(描写)によって、観客の自由を奪うことに抗うつもりだったのかもしれないと言ったら言いすぎかもしれませんが、このように目に見えない監督の意図などに思考をめぐらせるより、スクリーンに見えていることから何かを導き出すほうがより現実的なので、この話はここら辺で。
それはそうと、どうやってこんなシーンを撮ったのか? と思わせるようなカメラとオリヴィエの距離。ダルテンヌ兄弟は、限界まで対象に近づけるよう「ミニマ」というカメラを使用したそうです。オリヴィエの眼鏡越しにフランシスをのぞき込むシーンや、車中のシーン見られる強烈な現実感は、それに追うところが大きいと思います。“まなざし”は、自在に動く足を獲得し、オリヴィエの後ろ姿に隠れ、フランシスの寝顔をのぞき込み、その都度逡巡しているかのようでした。だから(と言えるかどうかわかりませんが)、本作からは押しつけがましい主張が感じられない。それは、カメラ自体の迷いみたいなものが画面を覆い尽くしているからかもしれません。

いわゆる“叙情的”な編集や、それに準ずる描写の不在。もっともらしい演技の不在。効果的な音楽の不在。「イゴールの約束」も「ロゼッタ」もまったく同様の撮り方をしていたような気がします。このスタイルは、しかし、観客を圧迫するものではなく、音楽の不在に関して言えば、本作においてその背景に流れる“音”は、音楽の不在に反してかなり積極的に耳に残ります。そこに聞こえるのは、金槌で釘を打つ音、電ノコで木を切る音、そして、車のエンジン音や、二人の足音… どれもが、ただ音としてそこにあります。あまりに日常的過ぎて聞き流してしまいそうなこれらの音ですが、これら音の断片が、作品に忘れがたいリズムを刻み込んでいるのは、否定できません。音それ自体が、通常のボリュームを超えて、映像と並置していたような気がするからです。私にはゴダールが作り出した“ソニマージュ”という言葉が想起されましたが、それは、先述した音と映像の、主従関係のない共存を実感したからです。

さて、最後にもう一度“まなざし”に話を戻すと、この映画における“まなざし”とは、誰かのものだったのでしょうか。最初に述べた邦題うんぬんに関する部分で、その結論は出ているようなものです。映画制作に不可欠な存在であるカメラ(=まなざし)とその存在を、目に見えない“物語”と並置させること。この事実だけ見ても、ダルデンヌ兄弟の並ならぬ才能が見て取れるのではないでしょうか。

2004年05月21日 18:04 | 邦題:ま行
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Title: 「息子のまなざし」 過去を弔い、葬り去るために
Excerpt: ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ 監督『息子のまなざし』。原題は『LE FILS』 オリヴィエは職業訓練校で木工技術を指導をしている。性格は真面目...
From: BLOG IN PREPARATION
Date: 2006.04.03
Comments

>Ken-U様

実はあまり覚えてなかったりも…かなり酔っていたのかもしれません。我ながら情けないです。どうか期待せずにおまちくださいませ。

TBに関するご指摘、ありがとうございます。
設定を緩くしてみましたが、再度試していただけますでしょうか? お手数ですが、宜しくお願いいたします。


Posted by: [M] : 2006年02月20日 17:54

[M]さん、
消されてしまったというコメントに興味津々です。うちのほうにコメントしていただけるのだとしたら、とても楽しみです。消せませんしw

ところで、TBをさせていただいたんですが、どうやら反映されないようです。"RECENT TRACKBACK"も止まっているようにみえますが、現在TBは受けつけていらっしゃいますか?


Posted by: Ken-U : 2006年02月20日 11:52

Ken-U様

コメントありがとうございます。
実は、Ken-Uさんのコメントを受けて長めのコメントを書いたんですが、自分が酔っていることを思い出し、全て消しました。Ken-Uさんに肯定的な内容ではありましたが、あまりに熱く語りすぎたもので。
仰るように、その“距離”が非常に興味深いと思います。落ち着いたら、Ken-Uさんのブログのほうにコメントさせてもらうかもしれませんが、そのときはお願いします。いや、それほどたいしたことではないのですが。


Posted by: [M] : 2006年02月18日 02:18

[M]さん、TBお返しします。記事の古さは気にしないでください。

あのカメラワーク(を含めた演出)は観る者と作品の距離を縮めてしまうような気がします。作品を慣れ親しんだ距離で観ることができないというか、さらには劇中に自分が迷い込んでしまったような気分になるというか、そんな感覚を抱かせます。だから戸惑ってしまうのかな、と思いました。

ラストについても同じようなことがいえるのかもしれません。多くのことがこちらに委ねられるような気がするのは、何かが終わるような始まるような、あるいはその逆であるような結び方のせいなのでしょう。

ダルテンヌ兄弟の作品には、そういう”揺さぶり”があって面白いですね。距離のとり方というのがとてもうまいと感じました。


Posted by: Ken-U : 2006年02月17日 20:34
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