2004年05月19日
映画と旅〜Milano,Paris,Marseille〜
期待は萎んでいき、不安は膨れ上がっていく
ミラノの夜は、碌に英語も話せない若者をどのように受け入れたのか。どうやらあまり歓迎してくれないらしい。ただ映画が好きなだけの僕には、何の武器も無い。第一日目の夜、ミラノに到着した僕はすぐに途方に暮れることになる。日本から予約したはずのホテルが全く見つからないのだ。無論、電話をするだけの勇気と会話能力など持ち合わせていないのだから、そうなると頼れるのは警察官くらいか。と、そこに2人の警官“らしき”人物いて、貧しい旅人を訝しげに見ている。誰かを助けるという行為とは無縁の、ほとんど悪意に満ちたような視線に怖気づきながらも、僕は「ここに行きたい」とイタリア語で問いかけてみた。旅先で最初の会話。その直後、ああ、失敗だったと思うに到ったのは、何のことは無い、相手の話すイタリア語を1mmも理解できないと気付いたからだ。格好つけてイタリア語なんて話すんじゃなかった。何の収穫も得られぬまま、「Grazie」を連発する情けなさといったら…。その後も数十分歩き回った挙句、結局、目的のホテルはすぐ近くにあった。単に僕がその周りをぐるぐると旋回していただけの話だ。部屋に入るなり、その先の不安に苛まれる。明日から本当に大丈夫だろうか? ふと鞄に目をやると、飛行機でキープしておいた赤ワインが2本あった。今日はこれでも飲んで寝てしまおう。明日は朝早くからパリに発たねばならない。
早朝にチェックアウトし、空港へ。完璧に組まれた計画に未だ大きな狂いは無い。マラパルテ邸に踏み込むという途方も無い目的だけが、かろうじて自分を支えていた。パリはどんな街だろう。ゴダールの、トリュフォーの、ユスターシュの、カラックスのパリ。そう夢想する瞬間だけ、不安から解放される気がした。
パリの憂鬱と特効薬
パリは冷たい。空気もそして人間も。このパリがあのスクリーンに映っていたパリなのか? そうなんだ、やっぱり映画は如何わしいのだ、すべては虚構なのだと、映画自体にまで当たる始末。途方に暮れることしばしば。ジャン=ポール・ベルモンド演じるミシェル・ポワカールの最期(※1)を真似て「最低だ…」と呟いてみても、事態は一向に変化を見せない。そう、パリの第一印象は最低だった。何故そう思ったのかは、よく思い出せないけど。そもそも印象なんてそんなものなのだ。
やっとの思いで見つけたホテルは、パリ大学近くの屋根裏部屋みたいなところ。とりあえず、ここ2〜3日暮らすだけだし、シャワーは共同だけれどまぁいい。ただ一つ、お願いだからシャワーの電球ぐらい替えてくれよ。真っ暗な密室での悪戦苦闘は、僕をより多く疲れさせるに充分だった。
映画の旅としてのパリでの目的は、実は特に無かった。まずは旅の雰囲気を掴む、それが目的だったと言えば言えるか。さて、どうしたものか。相変わらず食欲は無い。とりあえず地下鉄でいろいろ回ってみるしかなさそうだ。そろそろ出かけるか・・・と鞄を見ると、またしても赤ワインの小瓶が見える。そうだった、今朝またキープしてきたんだった。ほぼ一気に飲み干す。すると一気に気分が晴れる。何だか力が漲る。おお、そうだよ、こうすればいいんじゃん!!! 僕がこの旅で最初に学んだこと、それは、出かける前には赤ワインを飲み干せ、である。以来数週間に及ぶこの映画の旅には、日に一本以上のワインが消費されていくことになる。特効薬…僕は赤ワインをそう呼ぶことにした。
モンパルナスでゲンズブールに合掌
無目的のパリではあったが、セルジュ・ゲンズブール(※2)の墓にだけは詣でておきたかった。彼の精神的な師であるボリス・ヴィアンは「墓につばをかけろ」という小説を残したが、ここでは全く別の話。僕がそうしたかったわけではないから。
パリ・モンパルナスにある墓地に、彼はいる。その墓地には、多くの偉人たちがゲンズブールと同じように眠っているので、何だか墓地というより観光名所みたいだ。“有名人MAP”みたいな看板もあった。ゲンズブールの墓に付くと、まず目に付くのがキャベツと無数のカルネ。キャベツは彼が1976年に制作したアルバム名「L'homme a Tete de Chou(キャベツ頭の男)」からきている。トレードマークみたいなものか。カルネとは、パリの地下鉄の切符の名称。ここに来たゲンズブールファンは、カルネの裏に追悼のメッセージを書いてそれを残すらしい。堂に入っては堂に従う。僕もそれを真似た。何て書いたのかは覚えていないけれど。祖母の墓には滅多に顔を出さないのに、あのおばあちゃん子だった僕も、これでは怒られてしまうだろう。帰国したらちゃんと墓参りに行くので、待っててください。
港町・マルセイユには何が?
そんなこんなでパリには3日くらいいただろうか。結構楽しみにしていたポンピドゥーセンター(※3)は長期工事に付き閉館中だし、何より行列が嫌いな僕には、ルーヴルに行く気力もない。美術館には行きたかったけれど、この旅行の目的は別にあるから。そんなパリの収穫といえば、いや、本当は何の収穫でもないのだが、日本で買うより安くお酒が買えたこと。その当時の僕は、PERNOD(※4)というフランス産のリキュールにはまっていた。日本よりちょっと安いだけのPERNOを、僕は喜び勇んで買った。もちろん、自分へのお土産として。まだ旅の始まりに近いのに、愚かにも僕はこの重たいビンを旅の終わりまでずっと持ち歩くことになる。馬鹿としか言いようがない。
さて、パリで夜行の切符を買って、いざ南仏へ。南仏最大の目的は、『気狂いピエロ』のロケ地に訪れること。アデュー、悲しきパリ! 夜行に乗るのは初めてだが、「地球の歩き方」を熟読しつつ、何とか切符を手にした。寝台車に乗り、切符に書かれている部屋へ。そこは二段ベッドがぶっきらぼうに二台配置された部屋だ。ふと隣のベッドを見やると、そこには美しきパリジェンヌが。この旅最初の胸の高鳴り。ベッドで荷を解いている間中、僕は何て話しかけようか考えていた。彼女は本を読んでいたが、どうやらちらちらとこちらを見ているような気もする。一分が永遠に感じられたが、自意識過剰な僕は遂に意を決し、ありったけの引きつった笑顔で彼女に微笑む。そして僕が話しかけようとした瞬間、彼女の口からたった一言漏れたのは「Bon soir」という挨拶のみ。そして、すぐに読みかけの本に目を落としてしまった。僕がその時言えたのは、かなりの悲しみを含んだ「Bon soir…」だけだった。
早朝のマルセイユは、肌寒かった。しかも、どの店も閉まっている。南仏の太陽と海は何処へ? あるのは曇り空とグレーの海だけだった。だから、というわけではないが、マルセイユでの記憶はほとんどない。あるのは、親切だったホテルの主人の笑顔くらいだろうか。あ、一つだけ忘れえぬ記憶がある。僕はものすごく偏食で、食べられないものが多い。だからと言うべきかわからないが、兎に角食べ物に対する関心が極端に低い。食べられればいい、それが持論である。旅を始めて数日経ち、特効薬を得たことで不安から解放された僕は、マルセイユに着いた頃には人並みに腹が減るようになっていたのだが、何を食べればいいのかがわからない。そんな時、目の前にマクドナルドがあった。ちなみに、日本において、マクドナルドで当時僕が食べられたメニューは(普通の)ハンバーガーとポテトだけだった。チーズは食べられないし、マヨネーズもタルタルソースも駄目とくれば、必然的にその2つしかない。マックなら世界中味が同じ筈だ! と喜び勇んで入ったマルセイユのマクドナルド。でも、僕は何処までもついていない男だった。日本で慣れ親しんだ、(普通の)ハンバーガーがないのだ。いや、もっと言えば、日本と同じメニューがビッグマックとポテトしかない。別にマクドナルドにその国のオリジナリティなんて求めていないにもかかわらず、あるのは見たこともないようなメニューばかり。何故かケーキまである。う〜む…だからと言って、かなり腹は減っている。どうすべきか。よし、ここはビッグマックにチャレンジである。ビッグマックは英語だけど、流石にそれくらいの英語は通じるマルセイユのマクドナルドで、僕は初めて食べられなかったビッグマックを食べた。
その時の感動は、どうも上手く説明できそうにない。端的に美味い。この上無く美味い。チーズもマヨネーズも、ビッグマックにおいては不可欠だと声高に叫びたくなるほどに美味かった。そんなこんなで、僕は現在、マクドナルドのメニューのほとんどを食べることが出来る。人間、極限状態になると、本当に不可能が可能になるものだと、馬鹿な僕は心底痛感した。この思い出は、そうそう忘れられそうにない。ちなみに、フィレオフィッシュは今でも苦手である。
(※1) あまりにも有名な『勝手にしやがれ』のラストシーン。初のゴダール体験は、にくい演出家としての彼であった。映画に現実が紛れ込んでいる、それがあまりに稚拙な第一印象。その後の旅が、ミシェル・ポワカールと逆の過程を辿ることになるのは、ただの偶然である。(※2) パリですべきことは唯一つ、それが彼の墓を詣でることだった。ロックばかり聴いていた自分が、あのエロティックな囁き声に魅了されるなんて、夢にも思っていなかったが。もし今、ゲンズブールが好きかと言われたら、迷わずこう答えるのが正しい。「俺も好きじゃない」
(※3) しかも、実は2年後再度訪れたパリでも、ここだけはその表情を変えなかった。工事中にあれほど苛立ったのは初めてかもしれない。“ピアノ”と聞いて最初にレンゾ・ピアノが思い浮かんだと言い張る貴方、嘘はつかないように。
(※4) 18歳のとき、とある酒場でとある男性にこの酒を教わらなかったら、今の自分はないであろうと断言できる。初めて飲んだ瞬間に好き嫌いが決まる踏み絵のようなリキュール。もし歯磨き粉の味がするなら、もう2度と飲まないほうがいいだろう。
2004年05月19日 23:41 | 映画と旅