2004年05月19日
映画と旅〜INTRODUCTION〜
澁澤龍彦という作家がいます。彼はすでに約17年前に亡くなっていますが、敢えて「います」と記したことに深い意味などありません。ただ、「いました」とは書きたくなかった、それだけのことです。私が学生時代に“旅”への想いを強めるに到った直接の契機はある映画作品でしたが、もう一つ、澁澤氏の著作から受けた影響も少なくありません。彼の死後出版された著作に『滞欧日記』(1993年 河出書房新社 写真は文庫版)というものがありますが、誤解を恐れずに言えば、この作品は私の“旅”そのものだったということ。言ってみれば、“旅”のきっかけが映画、“旅”のスタイルは『滞欧日記』だったということになるでしょうか。
『滞欧日記』は、澁澤氏の四度にわたるヨーロッパ旅行のあいだに彼が毎日つけていた日記を書籍化したものですが、ここではその中身の詳述はしません。しかし是非記しておきたいのは、書物で読んだことを“確認”する行為に等しかった澁澤氏の“旅”のスタイルが、次第に変化していったということです。すなわち、予定通りに行動し、既に知っている事物の“確認”に走ろうとする彼のスタイルが時には通用しなくなり、予想外の“発見”をしたり、未知の誘惑に抗いがたくなっていくのです。旅慣れなかった書斎派が、偶然の出来事を愉しんだり、見知らぬ外国人と会話したりするうちに旅慣れてきて、次第に“旅”そのものを生きるようになっていったということでしょう。そして、私の数少ない旅の経験も、まさにこのような変化の過程を辿ることになるのです。いかにしてその場所を“積極的に生きる”のか。そういえば当時から私は“旅行”ではなく、“旅”をしたのだと、根拠も無く言い放っていましたが、それは“旅を行った”という自覚は無く、知らぬ間に“旅に生きた”という感覚があるからです。ほとんどこじつけとも言えそうなこんな戯言ですが、私はこの差を虚構化したくない、とだけ言っておきます。曖昧な、しかし感覚的というより実体験として。
何故今になって過去の旅をWEB上で再現するのか(事実、ここにある“旅”を終えてから、かなりの時間が経過しています)。それはひとえに、私が体験した世界に再度光を当てたかったから、という至極個人的な理由に拠る部分もあります。しかしながら、私が“旅”をした時には体験し得なかったインターネットというメディアが可能にした、“無意識”の(決して“無償”ではありません)情報の共有が、見知らぬ人間の手助けになるやもしれない、そんなおこがましい気持ちも無かったわけではないのです。当時、もし私がインターネットを日常的に利用していたなら、何らかの情報を得るためにあれほどの苦労を強いられることは無かったはずです。ノウハウの共有と言えば聞こえは良すぎるのですが、ある情報に光を当てるとは、そういうことなのかもしれないと思ったということです。
ほとんど恥ずべき虚栄心の表れと化したここにある文章なので、非常に恥ずかしいことですが、それらには、どうしても“私自身”が露呈せざるを得ません。しかし、当時の“青さ”を、現在の視点から対象化することに、私はもう躊躇しませんし、過去の自分を隠すつもりもありません。“青さ”は“青さ”として読まれれば、そこには“青い”なりの価値が表出するかもしれない。この希望無しに、このコンテンツは成り立たないでしょう。
映画の旅と題してはいますが、ここには映画とは直接関係のないエピソードも出てくるかと思います。しかも、旅のきっかけになった映画も3本だけで、ざっと以下の通りです。
『軽蔑』 (仏=伊 1963年 ジャン=リュック・ゴダール監督)
生まれて初めて海外への“旅”を熱望するきっかけになった作品。マラパルテ邸をこの目に焼き付けるゾ! という尊大な計画(当時はそう思い込んでいました)の果てに見たものはどんな光景だったのか!?『気狂いピエロ』 (仏=伊 1965年 ジャン=リュック・ゴダール監督)
恐らく、ヴィデオも含めて30回は観ているだろうこの作品において確かめたかったのは、アンナ・カリーナが歌うシーンの森の美しさと、ラストシーンが撮られた(?)あの“何処でもない”島の所在である。フォード・ギャラクシーは無いし、連れ行くパートナーもいないが、太陽と海の青さは、私の目の前に確かにあった。『冒険者たち』 (仏 1967年 ロベール・アンリコ監督)
一度目の“旅”を終え、かなり満足したはずの自分が再度旅立つことになったのは、あの要塞島の非=現実的な光景が忘れられなかったからである。劇中、ジョアンナ・シムカスによって語られる台詞だけが、その手がかりになった。初の2人旅の行方は如何に…
だからと言って、映画好きとそうでない人をふるいにかける気はさらさらありません。上記の映画を観ていない人も、“旅”の普遍的な冒険性は感じていただけると思いますので。あるいは、私が意識せず、ある映画の舞台を結果として訪れたということもあるかもしれません。しかし、恐らくその辺には深く触れずに置くと思います。そもそも私の“旅”は、明確な目的あってのものだったからです。目的もなく偶然記憶に残った挿話については、私自身の記憶も曖昧なのです。それは予めご了承いただき、それでも尚“ある生々しい感動”が伝わればそれで充分だと思います。
このコンテンツは、“旅行ガイド”としては甚だしく不十分な代物ですが、私が知りうる限りの情報は、気がつく範囲で記しておきたいと思います。だからといって、決して実用としてではなく、飽くまで日記の変奏として捉えていただければ幸いです。ちょうど過去の日記を読むみたいな感覚で。
2004年05月19日 23:40 | 映画と旅