2007年02月05日
『マジシャンズ』は、ある側面において評価さるべき映画である
マジシャンズ/THE MAGICIANS/2005年/韓国/95分/ソン・イルゴン
“95分ワンカットの奇跡がくれた、魔法のようなエンディング―――”
この映画のキャッチコピーです。さて、このコピーを読んで、どのような思いを抱くでしょうか。
映画好きであれば、すぐさま2本の作品名が浮かぶはずです。
1本は『ロープ』、そしてもう1本は『エルミタージュ幻想』。そこで、では、いったいどんな監督がそんなことをやってのけたのかと探ってみると、監督:ソン・イルゴンとある。私の場合はここで「観るぞ」と決意しました。私は寡聞にしてこの固有名詞に反応することが出来ず、であるからこそ、この映画を積極的に観る気になったというわけです。諸刃の剣とも言えそうなワンシーンワンカットという芸当が、輝かしい発見となるか、あるいは無残な失敗に終るのかを確認したかったので。恐らくフィルムではなく、ヴィデオで撮られているはずだという予想くらいはしていましたが、それ以上の詳細はあえて見ずにおき、本作に臨んだというわけです。
冒頭のショット(というか本作はこのショットが全てなのですが)を観て、何となく嫌な予感がしました。この映画は、退屈極まりないものになるんじゃぁなかろうか、と。どこと無く抽象的で、観る人が観れば幻想的とでも言うのかもしれないその画面に全く乗れず、ああ、このまま95分間もこの絵に耐えられるだろうかと気が滅入ってきて、そう思ったことには恐らくその日の体調なども無関係では無かったと思うのですが、とにかく乗れなかったのです。せめてこの映画がワンカットで撮られていなければ、どこかでこちらを立ち直らせるショットがあるのではないかと期待も出来たのですが、不幸にして本作はワンカットなのです。ということはつまり、95分間持続するショットがどこかで劇的に、その色彩なりテンポなり動きなりを変貌させることは不可能に近いことではないかと思い至りました。この緩やかで抽象的な画面がずっと続くのであれば、もうダメだ、と。
ところで本作のカメラは、本当に良く動きます。舞台となるとあるカフェから外の森へ、そしてまた中に入ったり階段を上ったり下りたり、また外に出たり…。このカメラの動きの緩やかな持続性に、私は少しずつ慣れていったように思えます。気になってしかたなかったあの画面が、徐々に自分のものになっていく、そんな感覚といえばいいでしょうか。これはまったく予想外の出来事で、ひとまず冒頭の段階で劇場を後にしなかったのは正解だったということになります。
さて、そうは言ってみても、やはり乗りきれない箇所は何度もあって、それは想像するだけで過酷な撮影技術上の問題というよりも、もっぱら物語りというか演出上のそれだったわけで。本作ではすでに死んでいるはずの女性が、実体をもった人間として画面に幾度と無く登場します。既にこの世には居ないその女性を、人間、と言い切ってしまうのも可笑しな話ですが、彼女は少なくとも、現実世界にある“もの”に(画面上では)触れることが出来る。しかし、そこにいる誰もが、彼女の存在には気づかない。まぁこのあたりの描写は容易に想像できるという点でありがちといえばありがちですし、かといってそれほど頻繁に映画で目にする描写ではありません。その意図するところをわからないでもないし、動きをやめないカメラと、死者であるところの彼女の奇妙なアクションとがある調和を生んでいたことを決して無視しているわけでもないのですが、それはやはり、私の求める(もっと単純に言えば、好みの)演出ではありませんでした。よって、彼女が登場する部分にはほとんど乗れなかったのですが(手首を切る瞬間の鮮烈な赤い血飛沫だけは別)、反面、例えば途中で登場する元スノーボーダーの坊主との会話におけるちぐはぐなやり取りと沈黙をも含んだテンポなどは非常に印象的で良かったと思いますし、何より、いよいよ全員が同じ舞台に立ち、最後のライブをするというラストシークエンスなどは、それまで観てきた画面の印象とはいささかズレている楽曲のポップさと抒情的とも言えるメロディーラインに不意撃ちの感動を齎され、そのライブシーンによって、全体としての印象も結構肯定的になってしまうほど。もしあれが“本当の”ライブだったら、私の感動もより大きなものになっていたことでしょう。なるほど、映画におけるラストシーンというのはやはり重要なのだということを実感。
『マジシャンズ』は傑作でも何でもない映画ですが、その挑戦的な姿勢を評価したい映画であることだけは確かなのです。
2007年02月05日 11:39 | 邦題:ま行
>yasushiさん
下でこヴィさんも触れていますが、すでにフィルメックスで公開されていた作品なんです。
実際にステディカムを使ってワンカットで撮影されたようです。撮影は相当大変だったろうと思います。何しろカメラが本当に良く動くので。
ある一つの挑戦という意味で、本作の試みは評価されてしかるべきだろうとは思っています。
>ヴィ殿
まさに、これは演劇的ですね。別に、死者が見えているという約束事自体を否定したいのではありません。これまでにも、その手のコードを共有しつつ楽しめた作品はあったと思うので。あの舞台女優の所為なのか、あるいは本当に体調の所為なのか、まぁ再見すればよりはっきりするのでしょう。いろいろインタビューを読んだのですが、やはり皆舞台俳優で固めたようですね。ところどころオーバーなリアクション(3人で叫ぶシーンがありましたが、あそこは個人的にまったくダメだと思いました)が鼻についたりもしました。
まぁあの「sylvia」という歌にやられたということですかね。
Posted by: [M] : 2007年02月06日 12:45
これは、フィルメックスの時も賛否両論でした。私は賛の方でしたが、[M]さんが書かれている乗れない点もよくわかります。これは行われてるのは「演劇」だと思うんですね(死者が見えているという約束ごとも)。それを映画としてどう評価するかでしょうか。でもやはりラストのライブは不意を打たれて感動させられてしまいますよね。ここは私は反転して映画的だと思いました。ちなみに役者ははやり、ノーカット(1回限り)に慣れている演劇俳優を使ったと質疑応答でも言ってた気がします。
Posted by: こヴィ : 2007年02月06日 12:03
こんな作品があったとは、またまた知りませんでした。
95分ワンカットという、ヴィデオであり、様々な手法で誤魔化しようのある御時世の中で、実際に95分ワンカットで撮影したのかはわかりませんが、傑作か駄作かがハッキリしてしまいそうなその試みを、今現在する事自体には大きなものがありそうですね。
『マジシャンズ』期待はせずに、しかしチェックはしてみますね。
Posted by: yasushi : 2007年02月06日 09:28