2006年07月04日

今こそ、新たな目でAVを発見する時かもしれない〜『セキ☆ララ』のレビューに代えて

セキ☆ララ原題:Identity
上映時間:83分
監督:松江哲明

松江哲明監督の『セキ☆ララ』を観終え、シネマアートン下北沢から駅までの短い距離を歩いている時にずっと考えていたのは、“AV=アダルトヴィデオ”という独特な方法論を持つ映像作品が“セルフドキュメンタリー=映画”としても成立し、そしてそれを確かに目撃してしまったことから来る感動を、ではどのように咀嚼すればいいのだろうかということでした。それを考えるには、私にとってのAVとは、という問題を考えてみる必要がありそうです。ということで、以下、私のAV史を“セキララ”に書いてみたいと思います。

ここで改めて告白すれば、私はその本数だけを比べるなら、これまで観てきた映画とほぼ同数、あるいはそれ以上のAVを観てきました。無論、一つの“作品”としてそれらを観てきたというより、ほとんどは男としての本能に従ったまで、少なくともある一時期までは、あくまで一つの“ネタ”として消費してきたに過ぎません。中には“好きな作品”もあり、「よく飽きずに…」と自分でもほとほと呆れてしまうくらい、何度も繰り返し鑑賞したものもあるにはありますが、それとて、映画を観るように観てきただろうかと問われれば、恐らく「それはないだろう…」と言わざるを得ないでしょう。つまり私はAVに、あくまで“ネタ”としての価値を求めていたのであり、“作品”としての価値は求めていなかったということです。

ところで私にとって、1982年という年はことのほか大きな意味を持っています。
それは『E.T.』が封切られ、それを鑑賞したことが恐らく最初のまともな映画体験だったことに多くを負っているのですが、同時に、初めてアダルトヴィデオ(正確には、ピンク映画をダビングしたヴィデオ)を鑑賞した年でもあるのです。つまり私は、映画とアダルトヴィデオを同じ年に初めて体験してしまったのでした。
その作品には、今は亡き可愛かずみが主演している『セーラー服色情飼育』(にっかつ/渡辺護/61分)だったのではないかと、今ならおおよその見当はつくのですが、それを観るに至った経緯はともかくとして、かなりの衝撃を受けたのを覚えています。内容も、シーンも全くと言っていいほど記憶にありませんが、あの後ろめたさと興奮と感動は、まさに原初体験に相応しいものだったような気がします。

そんな経験を8歳そこそこでしてしまったので、後はもう坂を転げ落ちるように、というのも変ですが、とにかくその手の作品に対する強烈な欲求が涌いてきたのでした。そしてそれがピークを迎えた16歳の時、ついにそれらを自由に、思う存分観られる環境を手にします。詳細は書きませんが(松江監督の著書「裸々裸三昧」を読むと、彼もまったく同じことをしていたので笑いました)、近所のレンタルヴィデオ屋で堂々とAVを借りられるようになり、まさにAVの洪水を浴びるかのように観まくったのでした。
(後にこのヴィデオ屋で働くことになる私は、懸命に働くことで、その時の借りを返したと思っています)

『セキ☆ララ』の松江監督は私より何歳か年下ですが、彼は日本映画学校在学中に、映画としてのAVに出会ったようです。もしかすると、それまでは私と同じような観方をしていたのかもしれませんが、少なくともその時の体験が、今の彼の作風に多大なる影響を与えたことは間違いないでしょう。
一方の私は高校から大学にかけて、代々木忠や村西とおるや、安達かおるやカンパニー松尾など、AVを監督で観る段階に達していたにもかかわらず、それを単なる“ネタ”としてしか観る事が出来なかったのかもしれません。

確かに、そんな私にとっても安達かおるの登場は衝撃でした。V&Rというレーベルに注目し、同級生や部活の仲間に、やや興奮気味しつつその凄さを説いたりするほどに。その時最も衝撃を受けた一本が、『ジーザスクリトリス スーパースタースペシャル林由美香』で、私にとっての林由美香初体験という記念碑的な作品だったのですが、極一部の友人を除けば、私のこの嗜好性はまったく理解されず、それでも私は“AVを超越している”かに見えたそれらの異端的作品にただ打ちのめされ、結果一つの新しい地平が開けた気がしました。思えばあの時感じた良い意味での“違和感”を後々まで突き詰めていれば、私にとってAVというものの価値転換が引き起こされたかもしれません。その後カンパニー松尾という逸材が出てきた時にはすでに、映画もそれなりに観ていたにもかかわらず、私にはAVと映画を同じレヴェルで思考することには意識的でなかったのです。

近年その作風が一つの事件として衝撃を放った葵刀樹や工藤澪に関しても、やはり同様です。彼らの作品はとにかく凄い。それぞれ多くの作品を観てきましたが、スタイルの完全な確立という揺るぎなさに加え、そこには監督という人間そのものと女優との、のっぴきならない強固な関係性があって、一方はそれをサディスティックに、一方は軽妙に描いているあたりがその他多くのAVとの差を広げていくばかりなのですが、にもかかわらず、私はそこにかろうじて“作家性”を感じとった程度で、従来のAVの延長線上にしか位置づけられませんでした。

そして今、彼ら偉大なる先人の後を疾走している松江哲明の『セキ☆ララ』と『童貞。をプロデュ−ス』を観るにつけ、その“速さ”を目の当たりにした私は何とかそれに追いつこうともがいてみたりして、つまりは、自分の“遅さ”を認識するほかありませんでした。これはピンク映画を意識的に観始めた時にも感じたことでもあり、結局は同じ後悔を二度味わうことになるのです。

一応AVとして制作された『セキ☆ララ』の、一体何が面白かったのか。
それが私の目にはまるでAVとしては映らず、巧みに編集された(すでに多くの人々に言われていますが、松江監督の編集技術は非常に高度な域に達しています)ドキュメントに他ならなかったからなのか。あるいは、決して“ネタ”にはならないような素材にもかかわらず、その撮影手法はまさしくAVそのものであるというパラドックスにこそ認められるのか。もしくは、すでに『あんにょんキムチ』でも垣間見られた、松江監督の飄々とした(この言葉こそ最も相応しいと思うのですが)キャラクターと共演者の魅力的なキャラクターとの化学反応によるのか。思いつくままにその理由を挙げることは出来ても、そのどれもが的外れのような気がしないでもありません。

ところで、『セキ☆ララ』には、非常に奇妙なシークエンスがあります。
相川ひろみを乗せたロケバスが、彼女の故郷である尾道に向かって夜の雨の中を走っているのですが、車内からか、あるいはサンルーフからかもしれませんが、とにかく前方の道路を延々と、ワンカットで映し出すシークエンスです。何故あのような長いシークエンスショットを撮ったのかを観ながら考えてしまうような、およそAVらしからぬ絵がそこにはありました。女性ヴォーカルの歌が重なることで、かすかな叙情性が画面を覆いはじめるこのシーン、今にして思えば、私が最も好きだったシーンかもしれません。叙情性といえば、第1部の最後で相川ひろみが流す涙もまた、ちょっと出来すぎなくらい悪くないシーンでした。しかしこれは本当にAVだろうか、という思いが上映中幾度も反芻され、でもしかるべきカラミは存在するし、う〜むなどとと考えているうちに映画は終わってしまうのですが、結果的に面白かったという結論にあっさり達してしまうのですから不思議です。あの8mmのインサートだってそれほど珍しくはないのに、でもやっぱり決して悪くはないと思えてしまう。つまり、このAVは映画なんだなぁ、自然にと思えてしまうのです。この体験は、不思議で、爽やかで、滑稽で、力強くて、結果的に貴重なものでした。

こういうAVがあってもいいじゃないか、というよりもむしろ、今こそAVと映画の間にある(かに見える)断層を、より自然な態度で埋めていくべき時だという、極めてポジティブな結論に達した次第です。そう、ピンク映画を映画として観るような感覚で。これはいささか遅すぎた結論だと、われながら思うのですが、それでも気づくことは出来た、それでいいかなと思います。AVにも感動的な瞬間はある。その瞬間を、新たな視線で発見していきたいという思い。私のAV史に新機軸を導入してくれた『セキ☆ララ』は、だから、一つのエポックとして、私の人生に刻まれるでしょう。

なお、同時に上映された『童貞。をプロデュース』の痛快さに関しては、ただもう驚くばかり。あの方法論(被写体にカメラを預けてしまうこと)の勝利に、そしてまさに事件が現場で起こっているドライブ感に心からの賛辞を送ります。

2006年07月04日 18:47 | 邦題:さ行
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Comments

>yyz88さま

ご無沙汰でした。コメントありがとうございます。

可愛かずみは、もう随分と前に自殺しましたね。結構ショッキングな事件でしたので、かなり報道もされていたように記憶してます。『セーラー服色情飼育』ですが、私が衝撃を受けたのは、ただ単に幼かったからだと思います。こういう映画は一人で観たほうがいい、という思いが、その後の人生に相当影響しました。

仰るとおり、確かに映画環境として東京は相当恵まれていると思いますし、だからこそ、私も一人で暮らしているのですが、有効に生かしきれているのかどうかは、未だ疑わしくもあります。yyz88さんは私よりも遥かに様々な作品をご覧になっていますし、東京に住んでいながら、平気で(とも言い切れませんが)傑作を見逃したりしている私は、見習う部分が多いと思ってます。

私は一介の映画好きなだけですが、そのように言っていただける限り、このブログは続けていけそうだと改めて思います。ありがとうございます。
今後とも宜しくお願いします。


Posted by: [M] : 2006年07月06日 12:54

いつも楽しみに読ませてもらってます!

ということで、久しぶりにコメントを

今は亡き可愛かずみが・・・と書いておられますが、可愛かずみって死んだのですか??? 今ほど映画を見ていたわけではありませんが、私が高校生の頃、『セーラー服色情飼育』を見て、ポルノというよりは普通の映画に通ずるものがあるなと薄々感じた作品でしたが、当時は映画に関してそれほどの知識もなく、というか今でもそうなのですが、ポルノとしては異質な作品だと感じていたのですが、M様も衝撃を受けていたとは。

東京に住んでいた時は色んな所で色んな作品を見る機会があって、それが当たり前のように思ってましたが、地元に戻ってきた現在、そういう環境が羨ましくも思えたりするのですが、そういう機会を有効に生かさなければどこに住んでいても同じなのかなと。

そういう意味でMさまのブログは価値が高いと思うし、これからも読ませて頂きたいなと改めて思いました。

映画好きと言っても色々なタイプや人が居ると思いますが、映画が好きなことには変わりない訳で、区別するようなことはしませんが、これからもMさまの文章を楽しく読ませていただきたいと思います。


Posted by: yyz88 : 2006年07月06日 04:05

>[R]殿

やはり、あのシーンに注目されましたか! なるほど、ロードムーヴィーだからやりたかったというあたりが、何とも…。でもあれはあれで良いシーンでしたよね。

背徳映画祭のプログラム、確認しました。
ちょっと気になる人が出てますね。ブログがあるようですが、アクセスできません…。


Posted by: [M] : 2006年07月05日 14:58

わぁ〜、ホロッとくる素敵な文章…。

あの延々続く、車窓からのショット。
上映後、松江監督に歩み寄り、いの一番に問い質してしまったシーンです。

はにかみながら、
「一度やりたかったんだよ、ロードムービーだし…」「真意は汲み取ってよ、言っちゃうとあれじゃん…」
という感じに濁されましたが、最終的には合点がいきました。

直後にカラミがくるので、僕はアリだなぁと思ってます。
撮影方法がAVでも、全体のトーン、繋ぎ方(そこに現れる感覚・視線)がやはり映画ですね。
エポック・メーキングというのは確かに…。

もうすぐ背徳映画祭ですね。


Posted by: [R] : 2006年07月05日 14:27
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