2005年10月05日

『シン・シティ』を前に、語ることを自粛したい理由

シン・シティまず断っておかなければなりません。下記は、『シン・シティ』のレビューとは程遠く、よって、鑑賞の参考にはなり難い文章です。予めご了承いただければと思います。

ロバート・ロドリゲスが10年来映画化を熱望していたという本作は、それが限りなく“アニメーション”に酷似しているという意味で、限りなく“映画から遠い何ものか”へと変貌したかのようです。『シン・シティ』を観終えた私の脳裏には、およそ映画を観終えた時の感情とは別種の、何とも表現しがたい思いがよぎりました。だけれども実際、そんな私の思いとは無関係に、『シン・シティ』は紛れも無い“映画”として、堂々と公開されています。それもそのはずです。ロバート・ロドリゲスは『エル・マリアッチ』以来、一貫して“映画監督”であったし、それは本作の撮影にあたり、彼が全米監督協会を脱退したところで、いささかも揺るぎはしない事実です。たとえ本作において、原作者のフランク・ミラーが共同監督として名を連ねたからといって、ロバート・ロドリゲスが“映画監督”でなくなりはしません。にもかかわらず、『シン・シティ』を映画だと断言することに若干の躊躇が要されるのは、いったい何故でしょうか。

この問題は、『シン・シティ』が面白いとかつまらないとか、そういった問題とは無縁です。それでも実際はどうだったのかと尋ねられれば、結果的にそれなりに楽しむことが出来たと答えるでしょう。事実、展開やスピード感、バイオレンス(殺人描写)、ユーモア、キャスティングの妙など、総じてロバート・ロドリゲス的だったとしたり顔で言ってしまうことだってそれほど困難ではありません。そればかりか、例えば『パラサイト』あたりと比べれば、こちらのほうが断然面白かったと断言することに対して、何の躊躇もないとさえ言えます。ですからここで問題にしていることは、本作の出来とはあくまで無関係なのです。

ところで、嘗て、これに似た思いを味わったことがあります。曽利文彦監督の『ピンポン』という映画を観た時です。たまたま原作を読んでいた私は、卓球シーンのカット割りがそのままCGで表現されている様を観て、やはり同じような思いに囚われました。これは映画だろうか、アニメーションだろうか、と。もちろん、フィルムで撮られ、映写機から放射された光がスクリーンに何らかの像を映し出し、しかるべき場で上映されれば、それは間違いなく映画であるはずです。しかし、映画に違いないものを目の前にしつつも、何故それを映画だと認めることにある種の困難を伴ったのか、その理由は恐らく、私の中で映画とアニメーション(とここでは一先ずそう呼びます)が厳密に区別されているからなのです。

映画とコミックは、誰がどう観ても全く異なる芸術です。一方は事物が運動し、一方は事物が運動しない、という唯物論的な意味で。しかし、映画とアニメーションとなると、一般的に後者は、それが劇場で上映されれば“映画作品”と同等に見なされています。私はその現象自体に対し何らかの意義を申し立てたいわけではありませんし、そんなことはどちらでもいいのです。問題は、私がアニメーションを映画とは思っていないということ。好き嫌いという嗜好とは何の関係も無く、どちらかと言われればアニメーションも積極的に嫌いではありませんが、それでもとにかくアニメーションはアニメーションであり映画ではない、そういう立場をとっているのです。だから何だということはなく、それが正しいことなのかどうかも関係なく、ただ現在はそのように考えている、というだけなのですが。

映画とアニメーションがどのような意味で異なるのかを詳述はしませんが、簡単に言うなら、映画とは、作家が必ずしも意図し得ないものが画面に映ってしまう可能性をに孕んだ、極めて曖昧で、同時に多様性を帯びた稀有な芸術であるということです。写真と絵という根本的な違いもさることながら、所謂アニメーションとはその点が異なると思うのです。

ちなみに誤解の無いように言い添えておくと、私は映画におけるCGやアニメーションの部分的な存在自体を肯定も否定もしていません。それらは相対的に良かったり悪かったりする、という程度で、それを積極的に顕揚しようとも貶めようとも思いません。
さらにいえば、現在、世界にはコミック的な映画は掃いて捨てるほど存在し、コミックを原作とした映画が市場を賑わせているという認識くらいは人並みに持っています。そして、それらがどれほど下らない作品でも、それが“映画”である限り、あくまで映画作品として接するようにはしているつもりです。
だけれども、『シン・シティ』のように徹底してコミックに忠実たろうとする作品に接した時、ある違和感を隠しきれずにいるのもまた事実なのです。『シン・シティ』の映像表現がどれほど斬新で、映画史を揺るがすほど革新的な手法で撮られたものだったとしても、やはり、私にとっては素直に肯くことなど出来ないでしょう。だけれども本作を完全に“映画ではない!”と言い切れないのは、登場人物がCGで再現された原作どおりのキャラクターではなく、(一応)生身の人間が演じているからです。原作者兼監督であるフランク・ミラーの前に、俳優たちはCG合成用のブルーバックしかないスタジオで、ひたすら原作に同化しようと努めたことでしょう。事実上脚本など無く、原作コミックが脚本だったと、ロバート・ロドリゲスがインタビューに答えるのをどこかで読みましたが、しかし、この発言は図らずもこの映画の限界を表してはいないだろうか、私はそんな風に思いました。

『シン・シティ』は決してつまらない映画ではありません。むしろ、ハリウッド的大衆性をあからさまに無視したモノクロ・パートカラーのざらついた画面やノワール的なボイスオーヴァーの存在、あるいは、豪華なキャストを多数起用した割りには低予算で仕上げてしまった監督のしたたかさ等、好感が持てる部分もある映画です。しかし、先に長々と書いたいくつかの理由により、他の映画作品と同じレヴェルで本作を語ることなど出来ないのです。そして今後も、当サイトでアニメーション(及びそれに準ずると判断された作品)を取り上げることはなかろうと、今はそのように決意しております。

2005年10月05日 18:10 | 邦題:さ行
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Title: 『シン・シティ』のプロローグ
Excerpt: プロローグは映画全体を予感させる。プロローグで「おヌシ、やるな」と思わせれば、わ
From: Days of Books, Films
Date: 2005.10.11
Title: #33:シン・シティ
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From: *KAZZの呟き*
Date: 2005.10.15
Comments

TBさせていただきました。

この映画に「コミックの映画化」ではなく「フィルムによるコミック」を感じたのは自分だけかと心細かったのですが、[M]さんがそれをもっときちんと指摘されていて、我が意を得た思いでした。


Posted by: : 2005年10月11日 23:59

>シー殿

観たら感想を聞かせてください。ネット上では概ね好評のようですね。デヴォン青木はタランティーノが監督したシークエンスは、なかなかと言った感じでした。デヴォン青木の無表情にも注目してください。


Posted by: [M] : 2005年10月06日 09:58

こう云うお話は大変興味深いですね。ふむふむ。
シン・シティは今週末にでも観る予定です。


Posted by: シー : 2005年10月05日 22:16
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